もと会社OB会歴史探訪サークルの仲間と、東海道53次の関宿を歩いてきた。
江戸から数えて47番目の宿場町(三重県亀山市関町)で、近くに「鈴鹿関」があることでも有名である。
旧東海道のほとんどの宿場町は、昔の姿が残っていないが、関宿は江戸から明治にかけて建てられた町家が、200余軒残っていて、国の「重要伝統的建造物保存地区」に指定されている。
東追分から西追分までの、2キロにわたる街並みは、旅籠屋や本陣、芸者置屋、豪商、町家などが軒を連ね、往時の賑わいが偲ばれる。
今は、東海道新幹線や名神高速道路が走り、国道1号線も旧街道と平行して通っている。
全ての路線がトンネルを利用するので、天下の難所「鈴鹿峠」も、一瞬にして越せる。
慌ただしく通り過ぎる人や車を尻目に、時代に取り残された旧街道の宿場町は、ひっそりと佇んでいた。
江戸時代の旅籠建築を再現した玉屋に立ち寄り、往時の旅に関わる歴史資料や道具などを見学した。
この、せわしない世にあって、峠越えの後の旅籠屋で寛ぐ一夜の様子が、とても懐かしく羨ましくも感じた。
関西線車中で投稿
玉屋かどうか名前は忘れましたが、上がって見学しました。
街並みがよく保存されていますね。
交通の発達で「坂は照る照る鈴鹿はくもる」の
心配もなくなりました。
鈴鹿は追剥ぎの名所?だったのですよね?
妻籠宿や奈良井宿に比べると、
物足りなさを感じる宿場でした。
観光客も少なく、寂れた光景は、
木枯らし紋次郎が出てきそうです。
どこの峠越えも、追い剥ぎや山賊、雲助が登場しますね。
当時の旅人の苦労が、宿場を訪ねると偲ばれます。
時代物には欠かせない東海道の関宿ですね。
実際に写真でみると、いかにも~といった感じです。
玉屋さんの宿の光景は布団の柄といい
まさにこんなところで旅の人たちが寝泊まりして
いたのか..と想像できます。
鬼平が大好きな私ですが、悪役の顔ぶれも
目に浮かぶようです。
宿場風景は、時代劇や浮世絵の世界ですが、
古い建物や道具などを見ると、
往時の暮らし振り見えてきて面白いです。
せんべい布団の部屋は、離れの座敷で、
お大尽が泊まったスイートルームのようです。
一般の旅人は大部屋の雑魚寝だそうです。
大旅籠から木賃宿まで、
熾烈な客引きが繰り広げられた宿場町は、ひっそりと静かでした。