新たな黒備えの騎馬隊の出現に井伊は頭を悩ませた。
旗印に全く見覚えが無い。
騎馬隊は城とは別方向から現れた。敵の新手だとすれば厄介だ。
井伊が対応を練っていると、意外な事に。
目の前の敵が、四列目と五列目がだが、騎馬隊に向かって陣を敷いた。
鶴翼の陣。
鶴が翼を広げた格好の陣形で、敵を懐奥深くに誘い込む。
そして両翼で包み込むように包囲して殲滅する。
よく用いられる守備陣だ。
ただ数に劣るので、薄い鶴翼の陣にならざるを得ない。
個々の兵の力量で補うつもりなのだろう。
どうやら騎馬隊は敵の仲間ではないらしい。
五百余騎の騎馬隊は逡巡することなく、魚鱗の陣形を敷いた。
正面突破を目的とした攻撃型の陣形で、前方が突出しているのが特徴だ。
陣を整えるやいなや、動き出した。
並足から少しずつ馬の速度を上げた。
見守っていると騎馬隊が勢いをつけて敵の鶴翼の陣に突入した。
見事な一糸乱れぬ突入。一頭の遅れも無い。
と、敵の鶴翼の陣が二つに割れた。
突入してきた騎馬隊を懐奥深くに迎え入れながらも、翼では包み込まない。
激突する寸前で中央が割れ、敵兵達が左右の翼に分かれた。
そして兵を吸収した両翼が別個に場から離脱した。
これに井伊の目の前にいた一列目・二列目が続く。
アッサリと前線を放棄して追走した。
その素早さに味方は唖然とした。
背中へ斬り付ける事も追う事も出来ない。
左はと見ると、駆け付けた二千余を蹴散らしていた三列目も同様だった。
一塊になって脇目も振らずに場から去った。
井伊は急ぎ態勢を整え追撃しようとしたが手遅れ。
敵の逃げ足は速い。
五つの小集団が競うように城を目指していた。
目標を失った黒備えの騎馬隊も追撃はしない。
井伊隊と衝突せぬように馬足を落とすので精一杯。何とか寸前で踏み度まる。
纏めているのは先頭を駆けていた大柄な武者。
その武者が一騎で井伊に近づいて来た。
残された騎馬武者達の態度から、彼が統率者だと判断できた。
その大柄な武者は泰然としていた。
殺意も悪意も感じられない。親しげに接近してきた。
統率者の兜の奥の目が笑っていた。
井伊は思い当たった。
結城秀康に違いない。
急いで下馬して迎えた。
統率者が兜を外す。
無骨な顔に鋭い目。井伊を見てニッコリ笑うと愛嬌がある。
二十歳にもならぬ若者だが名は知られていた。
徳川家康の次男にして、豊臣秀吉の養子。
そして今は関東の名家・結城家の婿養子になっていた。
徳川家康の次男だが徳川家中ではない。
今でも豊臣秀吉の養子として遇されていた。
結城秀康の声はよく通る。
「直政、元気であったか」
「お陰様で」
「遠乗りのついでに寄ってみた。邪魔ではなかったか」
下総国結城からの遠乗りにしては遠すぎる。
途中に利根川等の河川が幾つもあり、気楽には来れない。
おそらく、家中の誰かが知らせたのだろう。
秀康は恩着せがましい顔も言動もしない。
井伊も敢て尋ねない。
「いいえ、助かりました」
「あの者達は何者なのだ」
「それが・・・、分かりかねて困っています」
「そうか。私達は近くに宿営する。何かあれば声を掛けてくれ」
立ち去ろうとする秀康を呼び止め、黒地に黄金色の瓢箪の旗印を指さした。
「若、あの旗印は初めて目にするのですが」
「上方からだ」
奇を衒うのが好きな秀吉からの贈り物なのだろう。
「道理で、立派です」
二人は異様な雰囲気に気付いて左を見た。
八王子隊が手足を失い逃げ遅れた敵兵達を捕まえ、容赦なく切刻んでいた。
四肢を切離し、首を落とす。
その荒々しさを味方の兵達は固唾を飲んで見守っていた。
井伊と秀康は顔を見合わせ、そこに駆け付けた。
「これはどうした事だ。惨たらしい」
八王子隊を率いる田川定利が二人に気付いて会釈した。
「こやつらは人ではありません」
「人ではない・・・。たしかに動きは人離れしているが」
田川は刀で足下の敵兵の手首を切り落とした。
「どうです。泣き喚かないでしょう」
その兵はすでに片足・片手を失っていたが、目だけはランランと輝いていた。
声は一言も発せず、田川から視線を外さない。
最後まで反撃の機を窺っていそうな気配がする。
秀康が興味深そうに問う。
「人でないとなると、その者等は何なのだ」
「おそらく魔物の類ではないでしょうか」
秀康は、「ほう、魔物」と敵兵を凝視した。
井伊にとっては敵が魔物とあれば全てが腑に落ちる。
「しかし・・・、魔物とは。どこから現れたのだ」
田川が遠くを見るような目で言う。
「どこから・・・。
先だって八王子で代官が襲われました。
たった一人の襲撃でしたが、異常な強さで退治するのに手間が掛かりました。
腕の立つ者達が代官の身辺を守っているのですが、相手にならぬのです。
それでも何とか退治しました。
襲った者の四肢と首を切離してようやく動きが止まったのです。
ここの者達の様にです」
「するとその者も魔物」
「だと思います。その者の正体も知れています」
周りの者達が一斉に田川を見る。
「誰だ」
「川越で土豪と代官方与力の屋敷が襲われた事をご存じですか」
「聞いている。川越から使者が来て、説明を受けた。
それで川越城の兵は探索に手一杯。ここに兵を寄越してはいない。
それが・・・」
「代官を襲ったのはその与力でした。顔見知りの者が確かめています」
近くにいた武将が顔を顰めた。
「最初に現れた魔物の正体は川越で焼け死んだ筈の与力か」
井伊は川越から来た使者を思い出した。
表情の乏しい男で、必要以外の言葉は喋らなかった。
使者にしては無愛想な男だった。
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騎馬隊は城とは別方向から現れた。敵の新手だとすれば厄介だ。
井伊が対応を練っていると、意外な事に。
目の前の敵が、四列目と五列目がだが、騎馬隊に向かって陣を敷いた。
鶴翼の陣。
鶴が翼を広げた格好の陣形で、敵を懐奥深くに誘い込む。
そして両翼で包み込むように包囲して殲滅する。
よく用いられる守備陣だ。
ただ数に劣るので、薄い鶴翼の陣にならざるを得ない。
個々の兵の力量で補うつもりなのだろう。
どうやら騎馬隊は敵の仲間ではないらしい。
五百余騎の騎馬隊は逡巡することなく、魚鱗の陣形を敷いた。
正面突破を目的とした攻撃型の陣形で、前方が突出しているのが特徴だ。
陣を整えるやいなや、動き出した。
並足から少しずつ馬の速度を上げた。
見守っていると騎馬隊が勢いをつけて敵の鶴翼の陣に突入した。
見事な一糸乱れぬ突入。一頭の遅れも無い。
と、敵の鶴翼の陣が二つに割れた。
突入してきた騎馬隊を懐奥深くに迎え入れながらも、翼では包み込まない。
激突する寸前で中央が割れ、敵兵達が左右の翼に分かれた。
そして兵を吸収した両翼が別個に場から離脱した。
これに井伊の目の前にいた一列目・二列目が続く。
アッサリと前線を放棄して追走した。
その素早さに味方は唖然とした。
背中へ斬り付ける事も追う事も出来ない。
左はと見ると、駆け付けた二千余を蹴散らしていた三列目も同様だった。
一塊になって脇目も振らずに場から去った。
井伊は急ぎ態勢を整え追撃しようとしたが手遅れ。
敵の逃げ足は速い。
五つの小集団が競うように城を目指していた。
目標を失った黒備えの騎馬隊も追撃はしない。
井伊隊と衝突せぬように馬足を落とすので精一杯。何とか寸前で踏み度まる。
纏めているのは先頭を駆けていた大柄な武者。
その武者が一騎で井伊に近づいて来た。
残された騎馬武者達の態度から、彼が統率者だと判断できた。
その大柄な武者は泰然としていた。
殺意も悪意も感じられない。親しげに接近してきた。
統率者の兜の奥の目が笑っていた。
井伊は思い当たった。
結城秀康に違いない。
急いで下馬して迎えた。
統率者が兜を外す。
無骨な顔に鋭い目。井伊を見てニッコリ笑うと愛嬌がある。
二十歳にもならぬ若者だが名は知られていた。
徳川家康の次男にして、豊臣秀吉の養子。
そして今は関東の名家・結城家の婿養子になっていた。
徳川家康の次男だが徳川家中ではない。
今でも豊臣秀吉の養子として遇されていた。
結城秀康の声はよく通る。
「直政、元気であったか」
「お陰様で」
「遠乗りのついでに寄ってみた。邪魔ではなかったか」
下総国結城からの遠乗りにしては遠すぎる。
途中に利根川等の河川が幾つもあり、気楽には来れない。
おそらく、家中の誰かが知らせたのだろう。
秀康は恩着せがましい顔も言動もしない。
井伊も敢て尋ねない。
「いいえ、助かりました」
「あの者達は何者なのだ」
「それが・・・、分かりかねて困っています」
「そうか。私達は近くに宿営する。何かあれば声を掛けてくれ」
立ち去ろうとする秀康を呼び止め、黒地に黄金色の瓢箪の旗印を指さした。
「若、あの旗印は初めて目にするのですが」
「上方からだ」
奇を衒うのが好きな秀吉からの贈り物なのだろう。
「道理で、立派です」
二人は異様な雰囲気に気付いて左を見た。
八王子隊が手足を失い逃げ遅れた敵兵達を捕まえ、容赦なく切刻んでいた。
四肢を切離し、首を落とす。
その荒々しさを味方の兵達は固唾を飲んで見守っていた。
井伊と秀康は顔を見合わせ、そこに駆け付けた。
「これはどうした事だ。惨たらしい」
八王子隊を率いる田川定利が二人に気付いて会釈した。
「こやつらは人ではありません」
「人ではない・・・。たしかに動きは人離れしているが」
田川は刀で足下の敵兵の手首を切り落とした。
「どうです。泣き喚かないでしょう」
その兵はすでに片足・片手を失っていたが、目だけはランランと輝いていた。
声は一言も発せず、田川から視線を外さない。
最後まで反撃の機を窺っていそうな気配がする。
秀康が興味深そうに問う。
「人でないとなると、その者等は何なのだ」
「おそらく魔物の類ではないでしょうか」
秀康は、「ほう、魔物」と敵兵を凝視した。
井伊にとっては敵が魔物とあれば全てが腑に落ちる。
「しかし・・・、魔物とは。どこから現れたのだ」
田川が遠くを見るような目で言う。
「どこから・・・。
先だって八王子で代官が襲われました。
たった一人の襲撃でしたが、異常な強さで退治するのに手間が掛かりました。
腕の立つ者達が代官の身辺を守っているのですが、相手にならぬのです。
それでも何とか退治しました。
襲った者の四肢と首を切離してようやく動きが止まったのです。
ここの者達の様にです」
「するとその者も魔物」
「だと思います。その者の正体も知れています」
周りの者達が一斉に田川を見る。
「誰だ」
「川越で土豪と代官方与力の屋敷が襲われた事をご存じですか」
「聞いている。川越から使者が来て、説明を受けた。
それで川越城の兵は探索に手一杯。ここに兵を寄越してはいない。
それが・・・」
「代官を襲ったのはその与力でした。顔見知りの者が確かめています」
近くにいた武将が顔を顰めた。
「最初に現れた魔物の正体は川越で焼け死んだ筈の与力か」
井伊は川越から来た使者を思い出した。
表情の乏しい男で、必要以外の言葉は喋らなかった。
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