先触れの騎馬が湯治場に駆け込んできた。
「御代官の奥方様が、ご到着される。於雪殿、居られるか」
ヤマトから事前に知らされていた白拍子が飛び出して迎えた。
「こちらに」
「一揆勢が町に迫っているので、こちらに避難してまいりました」
「して、長安殿は」
「一揆勢を迎え撃たれます」
小柄な婦人を先頭に、僅かな兵に守られた子女等が姿を現わした。
代官所勤めの者達の家族で、老人から赤ん坊まで合わせ百人近い人数だ。
湯治場に着いて安心したのか、ホッとして腰を落とす者が多い。
疲れ切った顔の婦人が白拍子と顔を合せると、とたんに表情を和らげた。
「於雪」
白拍子は何も言わずに婦人に駆け寄り、ヒシと抱き寄せた。
「小峰、足は大丈夫かい」
「逃げるのに必死で痛みを忘れていたわ」
小峰は足の痛みを我慢して、湯治場に残留していた代官所の役人を捜す。
そうと察して与力が前に進み出た。
「手前がここを任されております。何なりとご指示を」
「連れてきた者達の面倒を頼むわ」
「しかと承りました。奥方様は」
「関所の者達を呼び寄せ、町に引き返す」
この先の関所に詰めているのは五十人ほどで、たいした戦力にはならない。
それを承知の上で言っているらしい。
己自身も足の痛みがあるというのに。眦を決していた。
白拍子が、「それなら私も」と。
小峰は嬉しそうに頷いた。
「貴女がいれば心強い」
聞いていた者達の中から前田慶次郎が進み出た。
「失礼する。奥方、よろしいか」
偉丈夫の姿に小峰は目を見張る。
「貴男は」
「浪人、前田慶次郎」
その名乗りは小峰のみならず、みんなを驚かせた。
織田信長、豊臣秀吉に愛され、天下に「大傾奇者」として知られていたからだ。
奇矯な振る舞いに、武士らしからぬ衣装、だけではない。
古今の書籍、茶の湯に通じ、戦場では朱槍を許されていた。
ことに、織田信長が本能寺で討たれた後の、織田軍の関東総崩れで名を馳せた。
その時に所属していたのは伯父の滝川一益軍であった。
本能寺の変を知るや、小田原から北条軍が攻め寄せてきた。
滝川軍は奮戦し二度三度と撃退するも、北条の大軍に抗しきれなくなった。
味方であった関東の諸将も、北条の勢いを知るや寝返る者続出。
ついに滝川軍は上方への退却を余儀なくされた。
危急の際に殿を買って出たのが前田慶次郎。
攻め込んできた北条軍の足を止め、本隊が土一揆で退路を阻まれたと知るや、
殿から引き返して血路を斬り開き、味方を上方へ退却させた。
その際に斃した敵兵数知れず。
己のみならず馬までが全身血塗れであったそうだ。
慶次郎は、「奥方は御代官の、お心をご存じか」と続けた。
「承知しております。心置きなく戦うためでしょう」
「それを承知で戻られるのか」
小峰は慶次郎にニコリと答えた。
「縁あって夫婦でござりますれば」
慶次郎は言葉に詰まる。
後頭部を指で搔きながら、小峰の視線を受け止めた。
小峰の後ろから元服前の子供が顔を見せた。
「母上、私も参ります」
その言葉に小峰の顔色が変わった。
振り返って、強い口調で諭した。
「なりません。今は貴男が大久保家の長なのです。
貴男が弟や妹達の面倒をみなくて、一体誰がみるというのですか」
傍で腰を落として成り行きを見ていたヤマトは、血の滾りを感じた。
熱い血潮が全身を駆け巡る。
それに合わせ、自身の奥深くで眠っていた龍が振動を始めた。
慌てた「金色の涙」が押さえようとした。
いつもと感じの違う龍の振動に不安を覚えたのだ。
が、アッという間に覚醒した。
ヤマトは四つ足で立ち上がり、大きく咆哮した。
その猫らしからぬ雄叫びが辺りの山々に響き渡った。
獰猛な木霊に人のみならず獣も鳥も動きを止め、震え上がった。
ヤマトは手近の柵の上に跳び上がり、居竦む人々を見回した。
岩をも射抜きそうな鋭い眼光。龍が完全にヤマトを支配した。
不思議な事に、実体は無いはずなのに成長した気配がする。
今の龍は、さしもの「金色の涙」でも制御は不能になっていた。
原因は温泉から吸収した水溶性の金の影響なのだろうか。
伝説の金龍に成るかも知れぬと、単純な考えで温泉を飲んでいた。
今はそれが悔やまれる。
ヤマトは大がかりな戦いの臭いに武者震い。
全身を覆う黒毛が、夕日を浴びて妖しく黒光りした。
ヤマトは白拍子に目を遣る。
「於雪、ここで奥方と、みんなを守れ」
先までとは違う口調に白拍子は思わず頷いた。
奥方をはじめとして、みんなは人の言葉を喋る猫に思わず後退り。
湯治場から聞える噂で知ってはいたものの、実際目の当たりにして、
実物の不気味さに声を無くしていた。
次ぎにヤマトは慶次郎に顔を向けた。
「これから先は俺達に任せて、お主等は上方に戻れ」
歴戦の強者は臆しないで、ヤマトと視線を合わせた。
「わかっている。それで、お前はどうする」
ヤマトは、「知れたこと」と答え、赤狐と緑狸を呼び寄せた。
期待に胸膨らませる二匹に、「ついて来るか」と問う。
まず赤狐・哲也が顔を上に向け、甲高い雄叫びを上げた。
山々に木霊すると、あちこちの山から狐達の応じる雄叫びが自然発生した。
物見に出ている伏見の狐達のみならず、土地の狐達も参じるらしい。
負けずと緑狸・ポン太が雄叫びを上げた。
図太い木霊が狐達の甲高い雄叫びの間隙を縫うように響き渡る。
こちらも狸達が雄叫びに応じた。
狐狸達の雄叫びが山々の木々を揺り動かした。
鳥達が飛び立ち、獣達が野山をかけ回る足音が響き渡る。
おそらく熊や狼、猪等も刺激された筈だ。
目を輝かせた若菜がヤマトの前に立つ。
「私も一緒だよ」
「今回は手強いのがいるかもしれん」
天魔の事を豪姫の耳に入れたくないので暗に示唆した。
若菜が承知とばかりに頷いた。
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ヤマトから事前に知らされていた白拍子が飛び出して迎えた。
「こちらに」
「一揆勢が町に迫っているので、こちらに避難してまいりました」
「して、長安殿は」
「一揆勢を迎え撃たれます」
小柄な婦人を先頭に、僅かな兵に守られた子女等が姿を現わした。
代官所勤めの者達の家族で、老人から赤ん坊まで合わせ百人近い人数だ。
湯治場に着いて安心したのか、ホッとして腰を落とす者が多い。
疲れ切った顔の婦人が白拍子と顔を合せると、とたんに表情を和らげた。
「於雪」
白拍子は何も言わずに婦人に駆け寄り、ヒシと抱き寄せた。
「小峰、足は大丈夫かい」
「逃げるのに必死で痛みを忘れていたわ」
小峰は足の痛みを我慢して、湯治場に残留していた代官所の役人を捜す。
そうと察して与力が前に進み出た。
「手前がここを任されております。何なりとご指示を」
「連れてきた者達の面倒を頼むわ」
「しかと承りました。奥方様は」
「関所の者達を呼び寄せ、町に引き返す」
この先の関所に詰めているのは五十人ほどで、たいした戦力にはならない。
それを承知の上で言っているらしい。
己自身も足の痛みがあるというのに。眦を決していた。
白拍子が、「それなら私も」と。
小峰は嬉しそうに頷いた。
「貴女がいれば心強い」
聞いていた者達の中から前田慶次郎が進み出た。
「失礼する。奥方、よろしいか」
偉丈夫の姿に小峰は目を見張る。
「貴男は」
「浪人、前田慶次郎」
その名乗りは小峰のみならず、みんなを驚かせた。
織田信長、豊臣秀吉に愛され、天下に「大傾奇者」として知られていたからだ。
奇矯な振る舞いに、武士らしからぬ衣装、だけではない。
古今の書籍、茶の湯に通じ、戦場では朱槍を許されていた。
ことに、織田信長が本能寺で討たれた後の、織田軍の関東総崩れで名を馳せた。
その時に所属していたのは伯父の滝川一益軍であった。
本能寺の変を知るや、小田原から北条軍が攻め寄せてきた。
滝川軍は奮戦し二度三度と撃退するも、北条の大軍に抗しきれなくなった。
味方であった関東の諸将も、北条の勢いを知るや寝返る者続出。
ついに滝川軍は上方への退却を余儀なくされた。
危急の際に殿を買って出たのが前田慶次郎。
攻め込んできた北条軍の足を止め、本隊が土一揆で退路を阻まれたと知るや、
殿から引き返して血路を斬り開き、味方を上方へ退却させた。
その際に斃した敵兵数知れず。
己のみならず馬までが全身血塗れであったそうだ。
慶次郎は、「奥方は御代官の、お心をご存じか」と続けた。
「承知しております。心置きなく戦うためでしょう」
「それを承知で戻られるのか」
小峰は慶次郎にニコリと答えた。
「縁あって夫婦でござりますれば」
慶次郎は言葉に詰まる。
後頭部を指で搔きながら、小峰の視線を受け止めた。
小峰の後ろから元服前の子供が顔を見せた。
「母上、私も参ります」
その言葉に小峰の顔色が変わった。
振り返って、強い口調で諭した。
「なりません。今は貴男が大久保家の長なのです。
貴男が弟や妹達の面倒をみなくて、一体誰がみるというのですか」
傍で腰を落として成り行きを見ていたヤマトは、血の滾りを感じた。
熱い血潮が全身を駆け巡る。
それに合わせ、自身の奥深くで眠っていた龍が振動を始めた。
慌てた「金色の涙」が押さえようとした。
いつもと感じの違う龍の振動に不安を覚えたのだ。
が、アッという間に覚醒した。
ヤマトは四つ足で立ち上がり、大きく咆哮した。
その猫らしからぬ雄叫びが辺りの山々に響き渡った。
獰猛な木霊に人のみならず獣も鳥も動きを止め、震え上がった。
ヤマトは手近の柵の上に跳び上がり、居竦む人々を見回した。
岩をも射抜きそうな鋭い眼光。龍が完全にヤマトを支配した。
不思議な事に、実体は無いはずなのに成長した気配がする。
今の龍は、さしもの「金色の涙」でも制御は不能になっていた。
原因は温泉から吸収した水溶性の金の影響なのだろうか。
伝説の金龍に成るかも知れぬと、単純な考えで温泉を飲んでいた。
今はそれが悔やまれる。
ヤマトは大がかりな戦いの臭いに武者震い。
全身を覆う黒毛が、夕日を浴びて妖しく黒光りした。
ヤマトは白拍子に目を遣る。
「於雪、ここで奥方と、みんなを守れ」
先までとは違う口調に白拍子は思わず頷いた。
奥方をはじめとして、みんなは人の言葉を喋る猫に思わず後退り。
湯治場から聞える噂で知ってはいたものの、実際目の当たりにして、
実物の不気味さに声を無くしていた。
次ぎにヤマトは慶次郎に顔を向けた。
「これから先は俺達に任せて、お主等は上方に戻れ」
歴戦の強者は臆しないで、ヤマトと視線を合わせた。
「わかっている。それで、お前はどうする」
ヤマトは、「知れたこと」と答え、赤狐と緑狸を呼び寄せた。
期待に胸膨らませる二匹に、「ついて来るか」と問う。
まず赤狐・哲也が顔を上に向け、甲高い雄叫びを上げた。
山々に木霊すると、あちこちの山から狐達の応じる雄叫びが自然発生した。
物見に出ている伏見の狐達のみならず、土地の狐達も参じるらしい。
負けずと緑狸・ポン太が雄叫びを上げた。
図太い木霊が狐達の甲高い雄叫びの間隙を縫うように響き渡る。
こちらも狸達が雄叫びに応じた。
狐狸達の雄叫びが山々の木々を揺り動かした。
鳥達が飛び立ち、獣達が野山をかけ回る足音が響き渡る。
おそらく熊や狼、猪等も刺激された筈だ。
目を輝かせた若菜がヤマトの前に立つ。
「私も一緒だよ」
「今回は手強いのがいるかもしれん」
天魔の事を豪姫の耳に入れたくないので暗に示唆した。
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