榊原康政は体力が尽きようとしていた。
もし彼がここで敗れるような事になれば、勢いづいた敵は榊原隊を蹴散らし、
焼け落ちた城門より城内に突入するだろう。
城兵は二千足らず。彼等で守りきれるだろうか。
僅かに残った体力に賭ける他なし。最後の攻撃に出るべく身構えた。
躱されぬように慎重に間合いを詰める。
こちらの事情を知らぬ太田三右衛門は余裕の表情を浮かべていた。
康政は視界の端に、新たな軍勢を捉えた。
三右衛門の背後の丘の上に、続々と姿を現わした。
およそ二百騎ほどの一隊だ。西方よりこちらを目指して来るではないか。
騎馬隊なので進軍速度は速い。
翻る隊旗に目を凝らす。
遠目にそれを確認した。
見慣れた家紋。三河松平の傍流、松平広重隊ではないか。
彼は家康の信任厚く、今は鎌倉の代官を任されていた。
一揆勃発の報せに軍勢を寄こしたのだろう。
おそらく歩兵も遅れて姿を現わす筈だ。
兵数に期待は出来ないが、広重隊は一騎当千の者達ばかり。
その軍働きには大いに期待が出来る。
三右衛門は情勢の逼迫に気付いてはいない。
一揆勢も同様。一騎打ちに釘付けで背後の警戒を怠っていた。
広重隊が丘を下り、池を迂回すればここに到着する。
このまま推移すれば一揆勢を挟み撃ちに出来る。
全ては、康政が僅かの刻を稼げば事足りる。
しかし、康政は構えを解いた。
槍を下ろし、片手で三右衛門の背後を指し示した。
「邪魔が入りそうだ」
三右衛門は驚いた顔で康政を凝視した。
隙を誘うための謀ではないと信じたのだろう。
彼も槍を下ろして背後を振り返った。
そして、「おう」と驚きの声を上げた。
顔を戻して、「良いのか」と康政に問う。
康政は真顔で、「良いも悪いも、仕様がなかろう」と。
三右衛門は呆れたように言う。
「お主も酔狂よの、挟み撃ちに出来たものを」
「生まれついての馬鹿だからな」
「ワシと同じだか」
「そうかも知れん。それより、早く去れ」
三右衛門は困った顔をした。
「お主、見逃して罰されはせぬか」
「いらぬ心配を。我等が主は度量が大きい」
「話しでは吝嗇家だと聞いたが」
「それは違う。物を粗末にせずに大事に扱っていなさるのだ」
三右衛門は軽く頷き、「分かった、それでは勝負はお預けだな」と。
「如何にも」
「次ぎに会うまで首は大事にしろよ」
捨て台詞を吐いて三右衛門は部隊を手早く纏め、撤収させた。
その行動の巧みな事、この上無し。
様子を見守っていた榊原隊の者達は目を白黒。
一人が、「本当に見逃してよろしいのですか」と問う。
迫っている広重隊は無論、城兵達も遠目に見ている筈だ。
このまま敵を見逃して許されるわけが無い。
康政は、「良い。それよりもだ、広重隊が追撃せぬように、退路を塞げ」。
榊原隊は康政の真意を察したのだろう。
一揆勢の去った道に人垣で陣を構えた。
そこに広重隊が到着した。
先頭の大柄な武者は松平広重であった。
敵を挟み撃ちにせぬばかりか、退路を塞いで追撃を許さぬ榊原隊に激怒。
鬼のような形相で鞭を振り上げた。
「康政、これは何の真似だ」
答え如何によっては味方といえど斬り捨てる、といった覚悟が見えた。
従う騎馬の者達も榊原隊に突入する構えだ。
康政は平然と広重の前に進み出た。
「これはこれは広重様、遠路ご苦労様です」
広重はムッとした顔で鞭を康政に向けた。
「すぐに退け、退かぬか」
今にも鞭打ちせんばかり。
それでも康政は気後れしない。毅然と拒否した。
「なりません」
広重は康政の真摯な顔に興味を覚えたらしい。
「どうした。何があった」
康政は広重ならば理解してくれると思った。
戦とあらば鬼にもなるが、同時に卑怯な振る舞いを人一倍嫌い、
相手かまわず平気で苦言を呈す男であったからだ。
「一騎打ちでしたので、勝負は後日に預けました」
広重の顔が微妙に変わった。
「一騎打ち」
「そうです」
「今の時代に一騎打ちとな」
昔ならいざ知らず、矢弾の飛び交う今の戦場で一騎打ちをする者は少ない。
下手をすると相手の刀槍ではなく、流れ弾の餌食となるからだ。
康政は、「古い男ですから」と胸を張る。
鞭を下ろして広重が大きく笑う。
「はっはっは・・・、ワシより若いのに一騎打ちか。
それではワシ等が邪魔したわけだな」
「いいえ、そういうわけでは・・・」
「すると、さぞかし名のある者が相手であろう」
「太田三右衛門です」
広重の目が大きく見開かれた。
「なに、朱槍の三右衛門。生きていたか」
「いました。たいした遣い手です」
「次ぎに会ったらワシに譲れ」
「いいえ、そればかりは」
「はっはっは・・・」
広重の裏表の無い笑顔に康政は胸を撫で下ろした。
「我が儘を申して済みません」
「良い。それよりもだ、これからどうする」
「辺りの火を消し、城門の立て直しを急がねばなりません」
「そうだな」と広重は周辺を見回し、城門に目を遣って不審がる。
「城門が焼け落ちたというのに、誰一人出てこないが、これは・・・」
「一揆勢があちこちに出没し、大半の兵が出払っているようです」
「残っているのは」
「私も駆け付けたばかりで詳しくは知らぬのですが、おそらく二千」
広重の顔色が変わった。
「たかが一揆に手こずっておるのか」
「噂では、魔物の如き働きをする者達が加わっているそうです」
広重が、「魔物・・・」と首を捻った。
「はい、恐ろしい強さで、井伊家の赤備えを蹴散らしたとか」
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もし彼がここで敗れるような事になれば、勢いづいた敵は榊原隊を蹴散らし、
焼け落ちた城門より城内に突入するだろう。
城兵は二千足らず。彼等で守りきれるだろうか。
僅かに残った体力に賭ける他なし。最後の攻撃に出るべく身構えた。
躱されぬように慎重に間合いを詰める。
こちらの事情を知らぬ太田三右衛門は余裕の表情を浮かべていた。
康政は視界の端に、新たな軍勢を捉えた。
三右衛門の背後の丘の上に、続々と姿を現わした。
およそ二百騎ほどの一隊だ。西方よりこちらを目指して来るではないか。
騎馬隊なので進軍速度は速い。
翻る隊旗に目を凝らす。
遠目にそれを確認した。
見慣れた家紋。三河松平の傍流、松平広重隊ではないか。
彼は家康の信任厚く、今は鎌倉の代官を任されていた。
一揆勃発の報せに軍勢を寄こしたのだろう。
おそらく歩兵も遅れて姿を現わす筈だ。
兵数に期待は出来ないが、広重隊は一騎当千の者達ばかり。
その軍働きには大いに期待が出来る。
三右衛門は情勢の逼迫に気付いてはいない。
一揆勢も同様。一騎打ちに釘付けで背後の警戒を怠っていた。
広重隊が丘を下り、池を迂回すればここに到着する。
このまま推移すれば一揆勢を挟み撃ちに出来る。
全ては、康政が僅かの刻を稼げば事足りる。
しかし、康政は構えを解いた。
槍を下ろし、片手で三右衛門の背後を指し示した。
「邪魔が入りそうだ」
三右衛門は驚いた顔で康政を凝視した。
隙を誘うための謀ではないと信じたのだろう。
彼も槍を下ろして背後を振り返った。
そして、「おう」と驚きの声を上げた。
顔を戻して、「良いのか」と康政に問う。
康政は真顔で、「良いも悪いも、仕様がなかろう」と。
三右衛門は呆れたように言う。
「お主も酔狂よの、挟み撃ちに出来たものを」
「生まれついての馬鹿だからな」
「ワシと同じだか」
「そうかも知れん。それより、早く去れ」
三右衛門は困った顔をした。
「お主、見逃して罰されはせぬか」
「いらぬ心配を。我等が主は度量が大きい」
「話しでは吝嗇家だと聞いたが」
「それは違う。物を粗末にせずに大事に扱っていなさるのだ」
三右衛門は軽く頷き、「分かった、それでは勝負はお預けだな」と。
「如何にも」
「次ぎに会うまで首は大事にしろよ」
捨て台詞を吐いて三右衛門は部隊を手早く纏め、撤収させた。
その行動の巧みな事、この上無し。
様子を見守っていた榊原隊の者達は目を白黒。
一人が、「本当に見逃してよろしいのですか」と問う。
迫っている広重隊は無論、城兵達も遠目に見ている筈だ。
このまま敵を見逃して許されるわけが無い。
康政は、「良い。それよりもだ、広重隊が追撃せぬように、退路を塞げ」。
榊原隊は康政の真意を察したのだろう。
一揆勢の去った道に人垣で陣を構えた。
そこに広重隊が到着した。
先頭の大柄な武者は松平広重であった。
敵を挟み撃ちにせぬばかりか、退路を塞いで追撃を許さぬ榊原隊に激怒。
鬼のような形相で鞭を振り上げた。
「康政、これは何の真似だ」
答え如何によっては味方といえど斬り捨てる、といった覚悟が見えた。
従う騎馬の者達も榊原隊に突入する構えだ。
康政は平然と広重の前に進み出た。
「これはこれは広重様、遠路ご苦労様です」
広重はムッとした顔で鞭を康政に向けた。
「すぐに退け、退かぬか」
今にも鞭打ちせんばかり。
それでも康政は気後れしない。毅然と拒否した。
「なりません」
広重は康政の真摯な顔に興味を覚えたらしい。
「どうした。何があった」
康政は広重ならば理解してくれると思った。
戦とあらば鬼にもなるが、同時に卑怯な振る舞いを人一倍嫌い、
相手かまわず平気で苦言を呈す男であったからだ。
「一騎打ちでしたので、勝負は後日に預けました」
広重の顔が微妙に変わった。
「一騎打ち」
「そうです」
「今の時代に一騎打ちとな」
昔ならいざ知らず、矢弾の飛び交う今の戦場で一騎打ちをする者は少ない。
下手をすると相手の刀槍ではなく、流れ弾の餌食となるからだ。
康政は、「古い男ですから」と胸を張る。
鞭を下ろして広重が大きく笑う。
「はっはっは・・・、ワシより若いのに一騎打ちか。
それではワシ等が邪魔したわけだな」
「いいえ、そういうわけでは・・・」
「すると、さぞかし名のある者が相手であろう」
「太田三右衛門です」
広重の目が大きく見開かれた。
「なに、朱槍の三右衛門。生きていたか」
「いました。たいした遣い手です」
「次ぎに会ったらワシに譲れ」
「いいえ、そればかりは」
「はっはっは・・・」
広重の裏表の無い笑顔に康政は胸を撫で下ろした。
「我が儘を申して済みません」
「良い。それよりもだ、これからどうする」
「辺りの火を消し、城門の立て直しを急がねばなりません」
「そうだな」と広重は周辺を見回し、城門に目を遣って不審がる。
「城門が焼け落ちたというのに、誰一人出てこないが、これは・・・」
「一揆勢があちこちに出没し、大半の兵が出払っているようです」
「残っているのは」
「私も駆け付けたばかりで詳しくは知らぬのですが、おそらく二千」
広重の顔色が変わった。
「たかが一揆に手こずっておるのか」
「噂では、魔物の如き働きをする者達が加わっているそうです」
広重が、「魔物・・・」と首を捻った。
「はい、恐ろしい強さで、井伊家の赤備えを蹴散らしたとか」
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