願徳寺の歴史も古く白鳳8年(697)な持統天皇の願いにより今の京都府向日市寺戸に創建されました。
当時は大伽藍を持つ大寺院で当時のご本尊は薬師如来でしたが現在は太秦にある広隆寺に安置されているそうです。
こちらも応仁の乱、織田信長による兵火に遭い伽藍を消失します。徳川家康の庇護を受け再建されましたが、以降、諸堂の荒廃が進み、本尊如意輪観音、諸仏は昭和37年に勝持寺に移されました。
本堂と庫裏が昭和48年に今の地に再建され
ましたが本尊如意輪観音、諸仏は平成8年になりようやく勝持寺より願徳寺に帰座されました。
表門は常に閉まっていて、拝観を希望する人はインターホンでその旨を伝えます。
受付で拝観料を払って本堂の中へ。
国宝の如意輪観音菩薩半跏像です。
平安前期貞観時代の作で榧(カヤ)の一木造りです。
お顔の表情といい、衣の襞といいエキゾチック感たっぷりの仏さまです。
中国よりの渡来仏あるいは渡来人の作との2説があるそうです。
他には薬師如来立像は平安後期の作で国の重要文化財です。
古墳時代後期の凝灰岩の棺だそうです。
(国宝の如意輪観音菩薩半跏像の写真は購入した絵葉書から、薬師如来立像の写真は由緒書からの転載です。)
最後に御朱印を授与して頂き、最後の目的地の粟生光明寺へと向かいます。
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