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京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

京阪沿線社寺巡礼 Vol.1 祈りの原点〜祇園さんと祇園祭〜

2025年06月15日 07時29分00秒 | 日記
 6月8日は、八坂神社へと来ました。







京阪ホールディングス主催の「京阪沿線社寺巡礼」に当選し、Kさんとご一緒しました。



パンフレットの「京阪沿線社寺巡礼」は野村明義宮司の揮毫です。





13時30分からは常盤新殿2階広間で八坂神社の宮司・野村明義さまから「祈りの原点〜祇園さんと祇園祭〜」の講話がありました。

昨年の山鉾巡行で京都市観光協会がVIP席でお酒の提供を計画され、それに猛反対されました。
祇園祭は"祭"と言う言葉は付きますが、八坂神社の重要な神事のひとつです。

祇園祭の意義を深く考えられ、本来の祇園祭の姿に復興したいと考えられておられる宮司さまに取っては、当然の事だと思います。



祇園祭の本来の意義は疫病や厄災を鎮める八坂神社の祭礼です。
昨年は祭りが始まって1155年の節目を迎えました。
新型コロナウイルス禍で例年通りの祭りが斎行できなかった3年間、祭りの意義と本質を問い続けられ「神様の神慮にかなった、疫病が鎮まっていたころの祭りに戻したい」
「あり方、タイミングなどを自然の摂理に基づいたものにしたい」と話されておられました。

例えば、山鉾巡行は四条通を境に前祭と後祭が往時のように時計回りのコースを進み、祭りも旧暦の水無月(みなづき)に戻す-。いずれも都市化してしまった京都の市街ではすぐに実現するのは難しい事ばかりです。

「最も重要なのは水と(空)気が清浄であること」という。現代のような水道設備などのインフラが整備されていなかった平安時代には、水がよどんだことで疫病が蔓延(まんえん)しました。水の浄化こそが疫病除けにつながってきた歴史があります。



休憩を挟み、次に比叡山延暦寺副執行を務めておられる星野最 さまから「八坂礼拝講の解説と延暦寺のご案内」と題した講話がありました。

明治時代以前の日本人の宗教感は神仏習合が基本的な考えでした。
八坂神社も祇園感心社と称される比叡山延暦寺の末寺のひとつでした。

祇園祭に合わせて、八坂神社と天台宗総本山・比叡山延暦寺と合同で、神仏習合の儀式「八坂礼拝講」が営まれて来ました。
しかし、その儀式は2005年以来行われておらず、昨年2024年に復活されました。
疫病退散や国家安寧、世界平和を祈る儀式です。
平安時代の祈りが令和の世によみがえろうとしています。







おふたりの講話の後、ご本殿(国宝)へと移動し、正式参拝を受けました。





正面のお厨子には素戔嗚尊(すさのをのみこと)、向かって右側のお厨子には櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、左側には八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱がお祀りされています。

次にご本殿の裏に置かれているご神宝を拝見しました。





こちらは、かって南側にある石鳥居にかけられていた「感神院」の扁額です。

明治政府による神仏分離令により祇園感神院にお祀りされていた仏さまは、大蓮寺に移されましたが、唯一残った十一面観音菩薩立像が一躰、今もお祀りされています。

ここは八坂神社の神さまに最も近いところで、神聖な雰囲気に包まれた空間です。

野村明義宮司に代が代わられてから、境内にかってお祀りされていた末社・摂社が復興されたり、神泉苑・八坂神社神仏合同青龍神水交換式が行われるなど、多くの神事の復興に積極的に取り組まれています。

今後の宮司さまのご活躍をお祈りします。





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