京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

本能寺「家康の京都」本能寺編

2023年06月15日 07時33分00秒 | 日記
る 6月3日、天龍寺を拝観後、嵐電と地下鉄東西線を乗り継ぎ来たのは法華宗大本山の本能寺です。







JR東海「そうだ 京都、行こう。」のイベントの一環で「家康の京都」本能寺篇に参加しました。







NHKの大河ドラマ「どうする家康」が放映され今注目のお寺のひとつです。



先ずは本能寺宝物館4階の会議室で奈良大学の河内将芳先生による座学がありました。

先生のご専門は日本中世史で室町・戦国時代から織豊時代と京都との関わりについての著書を多数執筆されています。

「宗及他会記」や「兼見卿記」、「言経卿記」などの信頼出来る文献を詳細にかつ体系的にまとめられてお話されます。

また、国宝の「上杉本洛中洛外図屏風」の映像を使い「本能寺の変」が起こった場所や嫡男信忠が自害した二条新御所の場所を説明されるなど非常にわかりやすい内容です。







次に学芸員の方から信長が最後に身につけていたと言われる愛刀「薬研藤四郎」の復元された刀を手に持って鑑賞しました。

アクリルケースに入れられていて、刀の表裏の両面が見れるのがいいです。 







次に刀を製作されている方から、研ぐ前の刀を持たせて頂きました。
2kgぐらいの重量があるでしょうか?非常に重たいです。
素材は「玉鋼(たまはがね)」で"火床"の中に材料の砂鉄と木炭を入れ、「鞴(ふいご)」と呼ばれる風を送る装置を用いて燃焼させ、鉄に含まれる炭素の割合を調整する製鉄法です。

10分も振り回せば直ぐに"腱鞘炎"になりそうです。







2Fに移動し、宝物館を見学します。



本能寺に伝わる寺宝の数々が展示されていて、法華宗大本山に相応しい"日蓮大聖人御本尊"や"御本尊立体御曼荼羅"の他に織田信長に関する宝物や資料が多いです。

天文2年(1543)にポルトガル船により鉄砲が伝来しました。
使用するには"火薬"と"玉"が必要で、"玉"は国産化が可能でしたが"火薬"の方は輸入に頼るざるを得ない状況でした。

当初、本能寺の信者は種子島に多く、九州、中国地方にも信者が多かったそうです。
末寺もそのラインに沿って多く建立されていたそうです。

信長は鉄砲に必要な"火薬"の調達に本能寺に近づいたひとつの理由だと思われます。

中には火薬を送って貰った礼状も展示されています。











「三足の蛙」

"本能寺の変"が起こる前夜に突然鳴き出し信長公に異変を知らせた。との伝説がある中国伝来の香炉です。

蛙は「ゲロゲロ」と鳴きますが、それを酒が飲めない信長は「下戸下戸(ゲコゲコ)」と聞き間違えたとの話も残っていますが、後世の作り話でしょうね。





境内東側にある「織田信長公の供養塔」

本能寺の変の後、信長の遺骸は見つからなかったので、信長が使っていた刀が代わりに埋められているそうです。

河内先生は講座の中で、本能寺境内にあった火薬庫に火を放ち爆破させ、自らの遺骸を他人にさらされない様にしたのでは、、、と言われていました。
信長らしい行動です。

明智軍があれだけ血まなこになって探しても見つからなかった事からホントの出来事だったのかも知れないですね。











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