私は株式を購入したことはない。もっぱら投資信託である。その投資信託に「RR」と称するレベルがある。このごろ、私は「RR4」ぐらいがちょうどいいとよく思うのである。
「RR」というのは投資信託の
「RISK・RETERN」
の頭文字である。リスクとリターン、つまり、危険度とその報酬の高さをレベルで表示したものである。下の表は野村證券のものだが、危険度が高ければふつう、リターンとして戻ってくるものも高い可能性がある。みなさんも、一度くらい
「ハイリスク・ハイリターン」
などという言葉を聞いたことがあると思う。
リスク度1(RR1): 安定重視型 |
安定した利回りを目標として値動きの少ない証券で運用するファンドですが、元本保証されているわけではありません。 |
リスク度2(RR2): 利回り追求型 |
利回り向上を目標として、公社債を中心に運用するファンドですが、値下がりのリスクもあります。 |
リスク度3(RR3): 値上がり益・利回り追求型 |
値上がり益追求・利回り向上を目標として、株式と公社債等の組み合わせにより運用するファンドですが、値上がり益を追求するため値下がりのリスクがあります。 |
リスク度4(RR4): 値上がり益追求型 |
値上がり益の追求を目標として株式を中心に運用するファンドですが、一方で大きな値下がりのリスクがあります。 |
リスク度5(RR5): 積極値上がり益追求型 |
大きな値上がり益の追求を目標として、派生商品や値動きの激しい証券等に積極的に投資するファンドですが、より大きな値下がりのリスクがあります。 |
リスクとリターンという語はしかし、キイワードである。いつ買うのか、危険はどのくらいあるのか、どのくらい返ってくるのか、こうした感覚は私たちが経済活動を活性化していくうえでの指標となるだろう。
かつて大前研一が、どの投信をいつ、どのようにして買うのか、いつ売るのか、こうしたことを習熟するのには10年かかるといっていた。そのとおりである。そして、彼のくちぐせだが、そのためには〈勉強〉が必要となる。
リスクがあるが、リターンもほしい、このぐらいのリスクでぎりぎりどのくらいのリターンがのぞめるか、こうした思考のなかから勉強というコンセプトは立ち上がる。あるいはいいかえれば、このリスクとリターンという要素が脱落することによって私たちは勉強しなくなる。
テニスをする。一回戦くらいは勝ちたいし、こうしたら勝てるのではないか、このような希望のなかから練習への熱意が出てくる。これが大会で勝ってみた、惜しくも負けたなどいう結果が出たときにはより、リスクとリターンの関係が鮮明になる。
今、学校の知識にはこのリスクとリターンがからまない、あるいはきわめてからみにくい状況になっている。からませられるのは受験や各種検定試験程度なのだ。
どのような勉強をすると、どのようなリターンが望めるのか?
その勉強には、どのようなリスクが伴うのか?そして、そのリスクをクリアするにはどのような準備をし、日々努力すべきなのか?美容師では?大学の研究者では?パティシエでは?
学校という世界にはこのような明確な図が見えにくいのだ。あるいは、こうしたリスクとリターンの構図の存在が大体あやぶまれているのだ。職業ということでいえば普通高校ではまったくこの絵はみえない。進学ということでは、偏差値と大学入学にからむ数値以外はほとんどみえない。
だから、非受験校の生徒は勉強しない。
しかし、自動車学校ではどうなのだろうか。リターンとしての自動車免許取得のために、試験のリスクに備えて勉強しないだろうか。
学校にはすっぽり社会がない。社会が脱落しているのである。
学校の先生は世間知らず
これを疑う人はいない。知らないのは学校の先生だけだ。正確に言うとみんな世間知らずなので気付かず無意識なのは、学校の先生だけだ、といった方がいいだろうか。
私のように科目の性質上、経済を取り扱うとき、このリスクとリターンの関係の不在が幾重にも生徒の関心を引く科目編成を行う障害となる。正直なところ、学校のアキレス腱は経済である。
私たちはこういう基本に立ち返る必要がある。つまり、社会というものの存在、それも生徒にとって切実となる=「リスク・リターン」の鮮明な形態を学校へとどのようにしていれてゆくのか。総合学習という文部科学省の試みはこの延長で考えてみる必要があるのではないだろうか。既存の科目の死のむこうを私たちはどうやって再生させるのだろうか。ちなみに、私は「RR4」がもっともスリリングである。
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