9月から10月のはじめにかけてブログの書き込みができなかった。理由の最大の原因は補習である。今年、受験生が「倫理」で受験するというのだ。きっかけは、去年の私の「倫理」の授業がおもしろかった、どうせ受験科目にするのなら、量だけ多くて興味のわかない歴史科目でなく、「倫理」でということで選択したのだ。私には拒否する理由がないので、引き受けた。しかし、内心えらいことになったと思ったのだ。倫理はたしかに穴場科目である。センター試験を見ていれば分かるが科目の性格上、平易な問題以外になかなか出せない傾向にある。演繹を構成の基本とする関係上、物理や数学と同様記憶することはきわめて少ない。原理をきちんと理解すれば、たかだか60人程度の思想家の論理を理解すればいい。内容といい記憶するボキャといい、きわめて少ない。しかし、そのことと、西洋、東洋それぞれの思想を全面的に展開し、日本思想史も展開することとは話は別になる。つまり、話を展開することは途方もない勉強を講師に要求する。私はいつかこういう要求に直面するだろう、と思っていた。
他方、授業で「倫理」をとっている諸君のニーズは全く違う。何もこの科目を資格獲得の道具にしようとは思っていない。そこで要請されるのは、授業の展開の興味や関心の深さである。「倫理」の難解な単語をただ羅列する説明ではほとんど授業の体をなさない。すべて授業する必要などない。むしろ、いかにして彼らが哲学や宗教を自身の事柄として受容するか、その仕掛けを彼らの興味の中心へとどう鋳なおすか、という作業なのだ。これは、ある意味で一つの思想をより授業者が深く理解し、まるで粘土でこねるように造形することになるのだ。
私がざっと授業で展開する思想家を並べよう。ニーチェ(ユダヤ、キリスト教を込めて)、カント、青年心理学、キルケゴール、フロイト、ヘーゲル、サルトル、マルクス、儒教、ホッブズ、ロック、ルソー、これが現在私が展開し、生徒に興味関心を引けるという思想家の一覧だ。これはあくまで今年までの展開で使用した思想家だ。
いまかんたんに名前を挙げたが、ことはそう簡単ではない。
たとえば後期から「倫理」があるが、私はニーチェから始めている。同時にキリスト教の基礎を伝えることができるのだが、じゃあ、ニーチェと軽く書いたがあなたはどう論じるか、それも生徒が興味を持って聞かなければ意味がないのだ。ニーチェを読むと簡単にいう。私はこのところ「道徳の系譜」を紹介の基本にしている。ここ数年、だから、「道徳の系譜」を読んでいる。傍らにドイツ語の原文を持ちながら、いつでも独文に当たれるようにして読むのだ。本当なら「ツァラトストラ」と「権力への意志」もあたりたい。しかし、この数年は「道徳の系譜」に絞っている。しかし、かんたんにこの本は理解を許すと思われるだろうか。読んだらすぐに何かが出て来るというものではない。そうかんたんにニーチェは語らない。何度も読むのだ。そこから生徒へのメッセージを引き出すのだ。ニーチェを通して一体心の底から何をメッセージとして語りたいのか。そこをひたすらニーチェの原文について見つめるのだ。もちろん、ニーチェについては永井均という鬼才がすばらしい解説文を書いている。しかし、私の感じでは竹田青嗣あたりのちくま新書ではニーチェの本当にスゴイメッセージが伝わってこないように見える。永井にしても、私が生徒との間に抱える問題に必ずしも寄り添っては来ない。そうなのだ。本当にききたければ直にニーチェの声を聞くしかないのだ。この天才が毒舌と共にかたるその語り口の中から、しかし、あるとき心を揺さぶるメッセージがわき上がってくる。それは、しかし、生徒と向かい合い、生徒と(べたべた接触するという意味でない)接触の中から彼らの深い深層を私たちがじかに感じ取らなければいけないのだ。
ところが、補習が入ってきたのだ。補習は思想全域を網羅することを私に要求する。しばらく日本政治思想史から遠ざかっていた。私はあくまで自分の勉強としてしか位置づけていなかった。受験とはいえ生徒がナルホドというレベルへと変換するという思考で読んでいなかった。いわば大人向きで丸山眞男から日本政治思想史を学んだ。久しぶりにそれを紐解きなおした。しかし、時間はすさまじい勢いで過ぎて行く。キリスト教史ひとつとっても、私はアウグスティヌスとトマスアクィナスを軽視していた。いやいやキリスト教をどう展開するか。今回はニーチェとフロイトの立場から整理して伝えた。岸田秀という心理学者のそれも込めた。しかし、それとて、何も読まずには展開できない。いまいった読書もくわわるのだ。現在、ヘーゲルがわからなくなってしまった。どう展開すればいいのか。もう原文には当たっていられない。加藤尚武のものを急遽あたりはじめた。ルソーと時代背景はどういうかんけいにあるのか、それも補習の展開上よくわからなくなった。・・・・
くわえて、「現代社会」の授業がある。くわえて、総合学習の準備がある。授業評価を雑誌にする。それも生徒の手で雑誌にする。外部を呼ばねばならない。大学教授、消費者センター、新聞社、予備校。いやいや大体雑誌の構成をどうするのか。すべてシナリオはない。くわえて公民の課題研究がある。数人だが、株式投資を研究したいと集まっている。前期は、ようやくメールとインターネットのくみあわせで私が、証券会社となって株式の売買をするというシステムを作った。大変だった。自転車操業である。評価はどうするんだ!
実は、この他に、土日は週末の特集番組の録画チェックがある。土曜から「ウェイクアッププラス」「ブロードキャスター」「サンデーモーニング」「サンデープロジェクト」他、さらに私は宮台真司と神保哲生のインターネット番組も購入している。現在私はカネがないので、新聞を取っていない。学校でも忙しくてチェックができていない。インターネットで代替させている。さらに、本当は毎日12チャンネルの・・・・・
【現在格闘している文献】
ニーチェ『道徳の系譜』
永井均『これがニーチェだ』
永井均『ルサンチマンの哲学』
柄谷行人『戦前の思想』
柄谷行人『日本精神分析』
柄谷行人『日本近代文学の起源』
柄谷行人『世界共和国へ』
『あっと』1~4までの柄谷行人の文献
加藤尚武『ヘーゲルの「法」哲学』
平田清明『社会思想史』
出口勇蔵『社会思想史』
丸山眞男『日本政治思想史研究』
丸山眞男『講義録』1、6
真木悠介『現代社会の存立構造』
長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』
長谷部恭男『憲法学のフロンティア』
小松美彦『脳死・臓器移植の本当の話』
桑原武雄編『ルソー』
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