■以下の文章は授業で出された生徒のコメントで彼らが優秀作として選び出したものです。■問1 毎日会える「今」「ここ」にいない人間に、今何している?に毛のはえた程度のことでどうして通話するのだろうか。■問2 なぜ相手の通話とのつきあいを断る時に「ごめん」というのだろうか?■問3 何で通話しているとき相手の通話料を心配しないのだろうか。「ここで切ってくれ、こっちからかけ直す」とはまず言わない。それは、なんでだろうか?
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■まなざしに声があるというのは奇妙な表現です。しかし、「目は口ほどにものをいう」などと
といいますね。目はけっこう雄弁に、そして強烈に、獰猛にもの語るのではないでしょうか?■これは今学校の〈真実〉です。この現実を理解できない「空気を読めない人間」こそが教員や親や周囲がどんなに「いい子=生徒」と言おうが学校では生きていけない破綻者なのです。 . . . 本文を読む
教育評論家の尾木直樹氏によると、現在のいじめの主要なツールはケータイによるものだ、というのです。高校生にとってはおそらく人間関係をとりむすぶ重要なツールとしてケータイはあるに違いありませんね。そのときに、「わたしだけその情報がまわってない」となったときの特に女子の反応が気になります。さて、実際問題として、ケータイいじめの現実はどのようなのでしょうか?
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中央高校で教員をやっていると結構この問題が重いと思わされるのが、空気が読めない人たちの発言なんですね。延々と始めるわけです。僕も正直困ることがあるんです。いや、僕がではなく、他の受講生があきらかに拒否反応を示し始めるわけです。
私たちはこの空気の読めない発言をどう考えるべきでしょうか。 . . . 本文を読む
■「現代社会」の授業で、「空気を読めない人」ということについて受講生のみなさんに、ハンドルネームで自由なコメントを投書していただきました。■じつは、この「空気が読めない」という要因が現在マスコミをにぎわせているいじめの重大な原因と木村は考えています。■ことし、実験的にこういう企画をしたいと思っているのです。下のみなさんのコメントに対して、投票をお願いし、1位の人に5点(仮定。以下同じ)差し上げます。それから、この人に投じた人にも1点さしあげます。もれなくテスト点に加えます。
■応募は自由とします。
■こうして下のコメントが寄せられました。どのコメントがよいと思われますか?あなたも投票してみてください。また、あなたのコメントも寄せてください。
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いじめを苦に中学生が自殺しました。その原因の一つが教員による〈いじめ〉でした。言葉による暴力だけでなく、実際体罰もしていたようです。そして、それをきっかけにして生徒間のいじめが激化したようです。これは事実ではありません。報道によるものです。今回はこのように教員のパワハラ
が事件の原因となっているようです。本文を読まれるとわかりますが、しかし、学校に「その程度のこと」は十分あり得ます。これは私の実感です。その実感を裏付けるのが本文です。お読みになり、もし類似の情報があったら、あるいは関連のご意見がありましたら、お寄せください。 . . . 本文を読む
女子の意識には、それも10代後半の青年期の女子の意識には男子の首から下の裸体が存在しない、と仮説を立てています。これに対する女子の忌憚のないご意見を伺いたいのですが、いかがなものなのでしょうか? . . . 本文を読む
静岡中央高校では、セメスター制を導入しています。2単位の科目を半期で認定してしまおうというシステムです。ふつう、一年間かけて授業するところを半年で終了させることを原則とする制度です。 ただし、
① 4単位のものは半年ごとに2単位づつ半期ごとで認定されるもの、たとえば歴史科目と、そうでないものがあります。数学は、前半の2単位をとれないと後半の2単位は自動的に履修さえできません。② 2単位のもので . . . 本文を読む
県下で唯一の単位制高校として出発した静岡中央高校。授業を各人が選択する、時間割は自分で作る、自分にあった教員を選択する、選択できる、こういうキャッチコピーをひっさげて現在駆動しています。さて、セメスターという一年間ではなく半年で授業を完結するシステムや、プライマリイゼミという新入生限定の基礎HRを設けてなお生徒の履修修得が促進されるようにしようと学校側は努力しているわけですが、どのようにみなさんはご理解されているか、お聞かせください。 . . . 本文を読む
学校はネットワーク社会という現代社会の分業スタイルからとおく離れてしまっている。経済の授業を含めて私たち公教育では経済活動を学校のなかの活動の中にまったく取り入れることができない。ネットワークを作るということは、まずボランタリリィ(自己原因)ということ、そして、個人の自律、ある種の相互の無関心を前提にした、目的合意的な人間関係が存在することがその条件として挙げられる。この意味で学校はまったくムラ社会を出ていない。 . . . 本文を読む