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かえるネット木津川南

大阪市南西部で活動する日本共産党の青年後援会のブログです。

政党の値打ちは何によってはかられるか2

2010-11-11 12:39:23 | 日本共産党政策・提言等

第二のモノサシ どういう歴史をもっているか

党をつくって88年間、なぜ一度も名前を変えずに活動できたか

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(写真)赤旗まつりの中央舞台でおこなわれた志位和夫委員長の記念演説

 第二のモノサシは、どういう歴史をもっているか、ということであります。政党がどんな歴史をもっているかも、その値打ちをはかる大切なモノサシです。

 日本共産党は、88年前(1922年)に党をつくって以来、「日本共産党」という一つの名前で通しています。日本共産党は、過去の日本軍国主義による侵略戦争や植民地支配に命がけで反対を貫いた唯一の政党です。だから戦後も、同じ名前で堂々と活動しています。なぜ名前を変えないのかという質問がありますが、なぜ一度も名前を変えずに活動できたか、ここが大事です(拍手)。ここをよく見てほしいと思うのです。

 ほかの政党に歴史がないわけではありません。公明党は別にして、ほかのすべての党は源流を戦前の日本の政治のなかにもっています。しかし、保守政党も、「社会主義」を名乗った政党も、日本共産党以外のすべての政党は党を解消し、大政翼賛会に合流して、侵略戦争を推進しました。戦後、昔の名前では国民に顔向けができなくなり、すべての党が名前を変えたのであります。

 私たちの党の歴史は過去の問題ではありません。いまに生きる生命力をもっています。今年に入って、それを実感した出来事を二つ紹介したいと思います。

「韓国併合」100年――併合条約を「不法・不当」ときっぱりいえる党

 今年は、「韓国併合」100年です。私は、8月15日におこなわれた韓国民団主催の光復節中央記念式で初めてあいさつする機会がありました。そこで、「『韓国併合』100年と日本共産党の立場」について、つぎのように表明しました。

 「『韓国併合』は、日本軍による繰り返しの侵略、王妃の殺害、国王・政府要人への脅迫、民衆の抵抗の軍事的圧殺によって実現されたものであり、『韓国併合条約』は、日本が韓国に対して、軍事的強圧によって一方的におしつけた不法・不当な条約です」

 そうのべた瞬間、会場の全体から大きな拍手が起こりました。(拍手)

 実は、「韓国併合」条約は「不法・不当な条約」ということを、日本政府はいまだにいえないのです。この条約は「すでに無効」としかいえないのです。1965年の日韓条約で、国交正常化をおこなったさい、植民地支配への反省をしなかったからであります。

 「韓国併合」条約を「不法・不当な条約」ときっぱりいえるのは、党創立当初から朝鮮、台湾など植民地解放を主張しつづけてきた日本共産党ならではのものだと(拍手)、私は、あいさつをしながら、先輩たちの不屈のたたかいに大きな誇りを感じました。(拍手)

 歴史に時効はありません。日本の政治は、この問題をいずれのりこえてこそ、韓国・朝鮮の人々とのほんとうに心通う友好がつくれると思います。

 一つご報告したいことがあります。10月に入って、日韓議員連盟に日本共産党も加入してほしいという連絡がありまして、党議員全員が加入する手続きをとりました(拍手)。私が4年前に初めて訪韓したさいに、韓国の政界の側からは、「なぜ(日韓議員連盟から)日本共産党を除外しているのか。参加を認めるべきだ」という声がずいぶんあがりました。懸案の課題でしたが、ここでも大切な一歩前進があり、議員連盟の一員としても韓国と普通におつきあいができる関係になったことを報告しておきたいと思います。(拍手)

尖閣問題――侵略戦争に反対をつらぬいた党ならではの先駆的な見解

 もう一つは、尖閣問題です。日本共産党は、すでに1972年に見解を発表し、尖閣諸島の日本領有は歴史的にも国際法上も明確な根拠があると表明してきましたが、10月4日に、さらにつっこんだ見解を発表いたしました。

 新たに踏み込んだ中心点は、「日本は、日清戦争に乗じて尖閣を不当に奪った」という中国側の主張にたいして、日清戦争の講和を取り決めた下関条約と、それに関連するすべての交渉記録を詳細に分析し、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖(ほうこ)列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」ときっぱり表明したことにあります。(拍手)

 この見解は広い反響を呼んでいます。ある防衛省関係者は、「最も重要なのは、日本の領有の正当性を粘り強く国際社会に訴えていくことだ。共産党の見解に敬意を表する」とのべました。ある外交官のOBは、「政府以上のものだ」と評価してくれました。あるアジアの駐日公使は、「中国にこれだけのことをいったのは見事だ」と感想を語りました。読売新聞はコラムで「尖閣アピール“1番は共産党”」と報じました(拍手)。衆院での代表質問で、この問題での党の立場を表明しますと、議場から大きな拍手がステレオでおこりました(笑い、拍手)。翌日には外務省のホームページにも(尖閣問題の)詳しい解説がのりました。その多くの論点は、わが党の見解とそっくりのものでありますが、もちろん、特許権の侵害だなどとけちなことをいうつもりはありません。(笑い、拍手)

 どうしてこういう見解をだせたか。私たちが、過去の日本の侵略戦争や植民地支配に最も厳しく反対してきた政党だからであります(「そのとおり」の声、拍手)。だから日清戦争で侵略で不当に奪ったのは台湾と澎湖列島であり、尖閣諸島はそれとは別の正当な領有だったと、きちんと論をたてられるのであります。

歴代政府の弱点――侵略戦争への反省がないと、正当な領有権の主張もできない

 歴代日本政府のどこが問題か。歴代政府は、本腰を入れて、尖閣諸島の領有の正当性を中国政府や国際社会に訴える政治的・外交的対応をやってきませんでした。

 1972年の日中国交回復の時にも、78年の日中平和友好条約の時にも、92年に中国が「領海法」で尖閣を中国領に含めた時にも、本腰を入れた領有権の主張をしていません。民主党に政権が代わっても、ここが弱いのです。

 どうしてそういう弱点が生まれているのか。根本には、侵略戦争への反省がないまま日中国交回復をおこなったという問題があります。1972年9月の田中角栄首相と周恩来首相との国交回復交渉の記録が公開されています。それを見ても、侵略戦争への反省はないのです。「迷惑をかけた」という程度のものなのです。尖閣諸島については、田中首相が「尖閣についてどう思いますか」と尋ね、周恩来首相は「話したくない」と答えている。これだけのやりとりしかないのです。領有権の主張はまったくおこなわれていません。侵略戦争の反省がないから後ろめたいんですね。だから領有の正当性を主張できず、卑屈な対応になっていく。だいたい、反省がないと、侵略で奪った領土と、正当に領有した領土との白黒の区別もつかなくなってしまいます。

いまの私たちのたたかいも必ず未来に生きて働くという展望をもって

 過去の誤りに正面から向き合い、誤りを真摯(しんし)に認めてこそ、アジア諸国との本当の友情を得ることができる。また、尖閣問題のように、日本の正当な権利を堂々と主張し、真の意味で国益を守る仕事をすることができる。私は、このことを訴えたいと思います。(拍手)

 暗黒の時代に、命がけで反戦平和の旗を掲げた私たちの先輩たちは、そのたたかいがはるか先の21世紀の時代に、こういう形で生きて働くとは想像もしなかったことでしょう。しかし、正義と道理に立つものは必ず未来に生きて働く。これが私たちの確信であります。(拍手)

 みなさん。いまの私たちのたたかいも、必ず未来に生きて働くという展望をもち、誇りをもって、ともに奮闘しようではありませんか。(大きな拍手)


政党の値打ちは何によってはかられるか1

2010-11-10 08:29:35 | 日本共産党政策・提言等

政党の値打ちは何によってはかられるか1

第40回赤旗まつり 志位委員長の記念演説


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(写真)記念演説する志位和夫委員長=7日、東京都江東区

 みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます(拍手)。きょうは「赤旗まつり」にようこそお越しくださいました。在日大使館から参加された大使・外交官のみなさんにも、心からの歓迎のあいさつを送ります。(拍手)

 私たちは、赤旗まつりの記念演説で、その時々の日本や世界の動きとのかかわりで、日本共産党の役割についてお話しすることを恒例としてきました。きょうは、「政党の値打ちは何によってはかられるか」というテーマでお話をしたいと思います。

 この間、「民主か、自民か」という、いわゆる「二大政党づくり」の動きがすすめられてきました。この動きの特徴は、目の前の「政権選択」にかかわらない政党は、選挙での選択肢から排除してしまうことにあります。しかし、そんなモノサシで政党の本当の値打ちをはかることができるでしょうか。

 私は、政党の本当の値打ちは何かについて、だれでもこれは当然だと思っていただける五つのモノサシで、ご一緒に考えてみたいと思います。どうか最後までよろしくお願いいたします。(拍手)

第一のモノサシ どういう旗印――綱領をもっているか

 第一のモノサシは、どういう旗印――綱領をもっているかということです。

 政党にとって綱領がたいへん重要であることに異論がある人はいないでしょう。私たちの大先輩のエンゲルスは、党の綱領とは「公然と掲げられた旗」であり、「世間の人々はそれによって党を判断する」と言いました。綱領は、政党の国民への根本の公約でもあります。

綱領のない民主党、公然と「綱領」を掲げたことがない自民党

 それでは、いわゆる「二大政党」は、この根本問題にどういう態度をとっているでしょうか。

 民主党は、政権党なのに綱領をもっていません。この党は、「自公政権退場」の世論におされて政権につきましたが、動揺と迷走のあげく、いまでは普天間問題でも、消費税増税でも、「政治とカネ」の問題でも、自民党とうり二つの政党になっているではありませんか。その根本には、政治の現状を変える綱領をもっていないという大問題があります(「そうだ」の声、拍手)。綱領をもたないでよく平気でいられるなと思いますが(笑い)、ここにこの党の大きな問題があるということを指摘しないわけにはいきません。

 自民党は、その民主党を「綱領がない」といって攻撃しています。しかし、自分はどうでしょう。今年1月、野党に転落してあわてて「新綱領」というのをつくったのですが、中身がないんですね。読んでみましても「日本らしい日本」をつくるとか、「全ての人に公正」な政治をつくるとか、そんな言葉が並んでいるだけです(笑い)。実はみなさん、自民党には結党以来、文字にはしていませんが本当の「綱領」があるのです。それは“アメリカ従属、大企業中心”という「綱領」であります(「そのとおり」の声、拍手)。本当の「綱領」は、恥ずかしくて一度も公然と掲げたことがないのが自民党であります。

 「二大政党」といっても、かたや綱領がない、かたや本当の「綱領」は恥ずかしくて掲げられない。こういう勢力に日本の未来を託すわけにはいかないことは明らかではないでしょうか。(大きな拍手)

日本経済――「ルールある経済社会」への改革こそ危機打開の道

 それでは日本共産党が半世紀にわたって高く掲げてきた旗印――綱領とは何か。“アメリカ従属、大企業中心”という「二つの異常」を正して「国民が主人公」の新しい日本をつくる。これが半世紀前からの一貫した旗印ですが、ここに来まして、いよいよこの道のみが、いまの日本の政治の閉塞(へいそく)、行き詰まりの打開の道だということが、はっきりしてまいりました。

 日本経済を見てください。「大企業を応援すれば、経済が良くなり、やがて国民の暮らしも良くなる」という古い道がついに立ち行かなくなっているではありませんか。その最大のあらわれは、12年間にわたって働く人の賃金が下がり続けていることです。民間の給与は、1997年の平均467万円から、2009年には406万円へと、61万円も下がりました。こんな国は世界にほかにありません。その一方で、大企業のため込み金――内部留保は増え続け、244兆円に達し、現金、預金だけで52兆円と「空前のカネ余り」となっています。

 大企業はお金が余って、使い道がなくて困っています。それならば、政治の力で、この巨額のお金を、投資や雇用など日本経済と国民生活のために使わせようではありませんか(大きな拍手)。そのカギは、家計を直接支援し、内需を活発にする政策に転換することにあります。

 みなさん。力をあわせて、労働者派遣法を抜本改正し、最低賃金を抜本的に引き上げ、人間らしい労働を保障し、賃金引き上げをかちとろうではありませんか。(拍手)

 後期高齢者医療制度の廃止、高すぎる国保料の引き下げ、お年寄りと子どもの医療費の無料化など、社会保障充実に踏み出そうではありませんか。(拍手)

 中小企業と大企業との公正な取引のルールをつくりましょう。農業では、再生産を保障する価格保障・所得補償とともに、日本農業と地域経済を土台から破壊するTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加に断固反対し、食料主権を保障する貿易ルールをめざす一大闘争をよびかけるものであります。(大きな拍手)

 大企業に社会的責任を果たさせる「ルールある経済社会」をつくろう――綱領がさし示す経済改革をすすめてこそ、日本経済の危機を打開し、健全な成長の軌道にのせることができるということを、私は訴えたいのであります。

財界系のエコノミストも「賃上げこそ最高の成長戦略」

 最近、新日鉄系のシンクタンクのエコノミストが、「日本に必要な成長戦略とは『賃上げターゲット』政策だ」という提言を出しました。こういっております。

 “賃金を抑制し、収益を増やし、お金をため込むのは、個々の企業にとっては合理的かもしれない。しかしそれを企業全体がやれば、社会の需要が冷え込み、モノが売れず、企業自身の首を絞める結果となる。といって個々の企業が賃上げに踏み切ることも難しい。ならばここがまさに政府の出番だ。非正規労働者、解雇規制、企業制度の問題などについて、規制緩和の流れを逆転させ、賃金が上がりやすくなる政策パッケージを打ち出し、着実に実行すべきだ。それこそが最高の成長戦略だ”

 いいこというではありませんか(拍手)。こういう声が財界系のエコノミストからあがることも綱領の生命力を示すものだと私は考えるものであります。(拍手)

沖縄米軍基地――14年前には日本共産党だけの主張が、県民の総意に

 外交はどうでしょうか。沖縄の米軍基地問題の行き詰まりはきわまりました。政府は、「辺野古移設」の「日米合意」を推進するといいますが、「普天間基地の閉鎖・撤去」「県内移設反対」の県民の総意はいよいよ揺るがないものになっています。

 私が、感慨深いのは、「県内移設」路線に、当初から反対を貫いてきた唯一の政党が日本共産党だということであります(拍手)。1995年に引き起こされた少女暴行事件への島ぐるみの怒りをかわそうと、1996年12月、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意が結ばれました。SACO合意は、普天間基地の返還を決めましたが、それは海上新基地をつくる――「県内移設」という条件つきでした。この合意に唯一反対を貫き、「たらい回しではなく撤去を」という旗印を一貫して掲げて奮闘したのが、日本共産党でありました。(拍手)

 14年前のことを思い出しますと、当時は、私たちの主張は「非現実的」だといわれましたが、「苦しみはどこに移しても同じ苦しみ、たらい回しこそ非現実的だ。撤去こそ唯一の現実的な解決策だ」とがんばりぬいてきました。県民のたたかいが広がりました。14年間、美ら海(ちゅらうみ)にくい一本打たせてきませんでした。「県内移設」路線はいまや破たんし、「県内移設反対」は党派を超えて広がり、沖縄県民の揺るがぬ総意となりました。(大きな拍手)

 なぜ日本共産党が、14年前から「移設ではなく撤去を」と堂々と主張できたのか。綱領の力があります。「安保のない、基地のない日本をめざす」。この大目標を揺るがず掲げているからこそ、21世紀の先ざきまで米軍が居座る新基地建設には断固反対を貫けたのであります。(拍手)

 沖縄県知事選が迫りました。「県内移設反対」、「海兵隊は沖縄にいらない」――県民の総意実現の先頭に立つイハ洋一さん勝利のために、全国のみなさんの連帯したたたかいを心からよびかけるものであります。


領土問題の公正な解決に反する

2010-11-02 12:32:04 | 日本共産党政策・提言等

領土問題の公正な解決に反する

ロ大統領の千島訪問に抗議

志位委員長が談話


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(写真)記者会見する志位和夫委員長=1日、国会内

 日本共産党の志位和夫委員長は1日、国会内で記者会見し、ロシアのメドベージェフ大統領が「北方領土」の国後(くなしり)島を訪問したことについて、談話(別項)を発表し、「第2次世界大戦の終結時に(日本から)不当なやり方で千島(ちしま)列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)を奪った行為について、最高指導者が国後島を訪問することでまさに今後も不当に占領し続けるという意思を示したものとして厳しく抗議したい」と表明しました。

 志位氏は、1855年の日魯通好条約と1875年の樺太(からふと)・千島交換条約で平和的に国境が確定され、国後・択捉(えとろふ)から北千島の占守(しゅむしゅ)にいたるまでの南北千島全体が日本の領土となったと述べました。

 ところが、旧ソ連が第2次大戦終結時に「領土不拡大」の大原則を踏みにじり、南北千島列島と北海道の一部である歯舞・色丹を占領したために問題が引き起こされていると指摘。戦後処理の不公正を正す立場に立って、「全千島の返還を求める交渉を堂々と行ってこそ、この問題の解決の道は開ける」と強調しました。

 記者団から、民主党政権の対応について問われ、「自民党政権と同じように『4島は千島ではないから返すべきだ』という論理で対応して現状の固定化を続けるのか、領土不拡大という原点まで戻って本腰を入れた対応をするのか、これから鋭く問われてくる」と述べました。


談話

ロシア大統領の千島訪問について

志位 和夫

 一、ロシア連邦のメドベージェフ大統領は1日、ソ連時代を含め同国最高指導者としては初めて、日本の歴史的領土である千島列島の国後島を訪問した。

 今回の訪問は、日本国民にとっては、大統領のたんなる「国内視察」ではない。それは、ロシアの最高権力者が、同国に不当に併合された日本の領土である千島を、「ロシアにとってきわめて重要な地域」としてこれからも占領しつづけ、領有を固定化しようとする新たな意思表示であり、領土問題の公正な解決に反するものであって、わが党はきびしく抗議する。

 一、ロシアとの領土問題は、第2次世界大戦の終結時に、ソ連が、「領土不拡大」という戦後処理の大原則を踏みにじって、日本の歴史的領土である千島列島の獲得を企て、対日参戦の条件としてアメリカ、イギリスなどにそれを認めさせるとともに、講和条約の締結も待たずに、千島列島を自国の領土に一方的に編入したことによって起こったものである。そのさいソ連は、北海道の一部である歯舞群島、色丹島までも編入したのであった。

 この戦後処理の不公正を正すところに、ロシアとの領土問題解決の根本がある。

 わが党は、この立場に立って、1969年に千島政策を発表して以来、全千島列島と歯舞群島、色丹島の返還を求めてきた。

 一、日本政府の対ロシア領土交渉が、1956年の日ソ共同宣言以来、半世紀を超える努力にもかかわらず、不毛な結果に終わっているのは、この根本問題を避けてきたところに最大の根源がある。政府は、問題をサンフランシスコ講和条約の枠内で解決しようとして、「四島は千島に属さないから返せ」という主張に頼っている。しかし、この主張が国際的に通用する道理を持たないことは、サンフランシスコ会議における日本政府代表(吉田全権)とアメリカ政府代表(ダレス全権)の発言およびこの条約の批准国会における政府答弁を見ても、明らかである。

 一、わが党は、歴代の日本政府にたいして、日ロ(日ソ)領土問題の解決のためには、千島放棄条項を不動の前提とせず、第2次世界大戦の戦後処理の不公正を正すという立場に立って、対ロ(対ソ)領土交渉をおこなうことを提起してきた。

 ロシアが現状固定化をめざして新たな強硬措置に出ようとしてきた今日、日本政府が、半世紀の領土交渉の総括を踏まえ、歴史的事実と国際的道理に立った本格的な領土交渉に踏み出すことを、強く要請するものである。

日本共産党HPより

劉暁波氏へのノーベル平和賞についての見解

2010-10-15 19:16:05 | 日本共産党政策・提言等

どう考える 劉暁波氏へのノーベル平和賞

言論による体制批判には言論で対応を

日本共産党が中国側に提起してきたこと


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(写真)胡錦濤政治局常務委員(国家副主席)と会談する不破哲三委員長(中)、志位和夫書記局長(左)=1998年7月、北京市・釣魚台国賓館

 ノルウェーのノーベル賞委員会は8日、「中国における基本的人権の確立のため、長期にわたる非暴力の闘争を行ってきた」として、今年のノーベル平和賞を中国の作家、劉暁波氏に授与すると発表しました。

 中国政府は、劉氏について「中国の法律に触れ〔「国家政権転覆扇動罪」〕、刑を科されている犯罪者」「今回の授賞はノーベル賞の趣旨に反し、平和賞をおとしめる」などと批判。ノルウェー政府に対しても、「ノーベル賞委員会の誤った決定を支持し、両国関係を損なった。中国政府と国民は不満を表明する理由がある」と批判し、ノルウェーとの漁業交渉も中止しました。

 日本共産党は、これまで中国に対して直接、また世界のマスメディアに対しても、「どのような体制であれ、言論による体制批判には、禁止ではなく、言論での対応が重要だ」との立場を明確にしてきました。

 同時に、その国の政治制度や社会のあり方をどう選び、どう進めるかは、その国の国民と政治勢力が自主的に決めることで、外部から介入するやり方は適切ではないとの立場を表明してきました。日本共産党は、そうした内政不干渉の原則をふまえつつ、次のような態度を表明しています。

胡錦濤氏との会談

(1998年7月)

 日本共産党と中国共産党との関係が正常化されてから初めての両党会談で、不破哲三委員長(当時)は、1998年7月20日、胡錦濤党政治局常務委員・国家副主席(現党総書記・国家主席)に次のように提起しました。

 「89年に天安門事件が起きた時、わが党は、平和的な運動を武力行使でおさえることは、社会主義的民主主義とは両立しえない暴挙だと指摘しました。この問題では、いまも意見と評価の違いがありますが、今日は、この問題で討論しようと思ってきたわけではありません。

 私たちは、より根本的な問題として、将来の展望の問題がある、と思います。将来的には、どのような体制であれ、社会に本当に根をおろしたと言えるためには、言論による体制批判に対しては、これを禁止することなく、言論で対応するという政治制度への発展を展望することが、重要だと考えます。レーニン時代のロシアでも、いろいろな権利制限の措置がとられましたが、レーニンは、それは革命の一局面の過渡的な制限であって、将来は制限をなくすということを、理論的にも政治的にも明確にしていました。将来的なそういう方向付けに注目したい、と思います」(『日本共産党と中国共産党の新しい関係』から)

中国共産党との理論会談

(2005年12月)

 不破氏は、2005年12月8日、来日した中国共産党の張西明・中央宣伝部理論局副局長(当時)を団長とする理論研究代表団との会談で、中国側の質問に答えて、次のように指摘したことを明らかにしています。

 「こういう歴史的な経験〔ロシア革命にも反対政党の存在を認めた時期があったこと〕の話もして、反対政党の禁止は、決して社会主義革命の原則ではないし、本当に新しい社会の発展を長い目で考えたら、議会的ではない道で革命に勝利した国ぐにでも、反対政党を禁止するのではなく、反対政党を含む複数政党の存在とその政治活動の権利をきちんと認めることが、その国の革命の将来の発展、社会主義の世界的な発展にとって、より有利な、より妥当な方法になると述べ、私がそう考える理由は、大きくいって三つの点だと言って、次の三つの問題をあげました。

 第一に、それは、社会主義のもとでの国民主権の制度を強化することに役立つ。

 第二に、それは、社会主義をめざす政治的軌道をより安定した形で確立することに役立つ。

 第三に、それは、世界的規模での体制間競争が新しい段階を迎えた今日、社会主義の国際的影響力やそれへの共感と信頼を広げるうえでも役立つ」(『21世紀の世界と社会主義 日中理論会談で何を語ったか』から)

日本外国特派員協会での講演

(2009年3月)

 志位和夫委員長は2009年3月3日、都内の日本外国特派員協会で講演し、質問に答えて次のように話しました。

 「わが党は中国の政治体制について内政干渉的な発言をするものではありません。しかし一般的にいって、次のようなことが言えます。それは、どのような社会体制でも、言論による体制批判に対しては、言論によって対応する、この原則を堅持してこそ、社会に本当に根をおろしたものになるということです。このことを私たちは、将来の問題として、中国側に率直に話しています。

 それから私たちが、中国を、社会主義をめざす真剣な探求をおこなっている国だとみなしているということは、そこで起こったことすべてを肯定するものではありません。私たちは、たとえば『反日デモ』が起こった際、それから『チベット問題』が起こった際など、国際的にも問題となる様々な事態が起こった時には、率直に、わが党の立場を先方に伝えています」(『日本共産党の“元気”の源は何か』から)



尖閣諸島問題についての見解

2010-10-06 10:03:19 | 日本共産党政策・提言等

10月4日、日本共産党が尖閣諸島問題についての見解を発表しました。少し長いですが、全文を載せます。

尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当

―日本政府は堂々とその大義を主張すべき―

2010年10月4日 日本共産党


 日本の尖閣諸島周辺で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件をきっかけに、尖閣諸島の領有権にかかわる日本と中国の主張の対立が、国際的にも注目を集めている。日本共産党はすでに1972年に日本の尖閣諸島の領有は正当であるとの見解を発表しているが、この機会にあらためて尖閣諸島の領有の正当性について明らかにする。

一、日本の領有と実効支配

近代まで「無主の地」

 尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られており、中国の明代や清代の文献に登場する。当時、琉球は中国との間で朝貢貿易をおこなっており、中国の使節である冊封使が琉球国王の代替わりにさいして往来した。琉球と中国大陸の福州とを結ぶ航路のほぼ中間に位置する尖閣諸島は、海路の目標とされていた。しかし、中国側の文献にも、中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住していたことを示す記録はなく、明代や清代に中国が国家として領有を主張していたことを明らかにできるような記録も出ていない。

 一方、日本側にも、この時期について日本の領有を示すような歴史的文献は存在しない。近代にいたるまで尖閣諸島は、いずれの国の領有にも属せず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの「無主の地」であった。

日本による領有

 「無主の地」の尖閣諸島を1884年(明治17年)に探検したのは日本人古賀辰四郎だった。古賀氏は翌85年に同島の貸与願いを申請した。同島でアホウドリの羽毛の採取などが試みられ、周辺の海域で漁業をおこなう漁民の数も増えるなか、沖縄県知事は実地調査をおこなうこととし、尖閣諸島が日本の領土であることを示す国標を建てるべきかどうかについて、政府に上申書を提出する。政府内での検討の結果は、国標を建てて開拓にあたるのは他日の機会に譲る、というものだった(『日本外交文書』第二三巻)。

 日本政府はその後、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで、1895年1月14日の閣議決定によって尖閣諸島を日本領に編入した。歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為である。これは、「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権原のひとつである。

日本の実効支配

 日本政府は、尖閣諸島を沖縄県八重山郡に編入したあとの1896年9月、以前から貸与を願い出ていた古賀辰四郎氏に4島(魚釣、久場、南小島、北小島)の30年間の無料貸与の許可を与えた。古賀氏は尖閣諸島の開拓に着手し、貯水施設、船着き場、桟橋などの建設をすすめ、アホウドリの羽毛の採取や鳥ふんの採掘などを主な事業にして「古賀村」が生まれた。これが尖閣諸島における最初の居住である。大正期に入ってからはかつお節の製造や海鳥のはく製製造がおもにおこなわれた。最盛期には漁夫やはく製づくりの職人など200人近い人びとが居住していた。

1919年には、中国福建省の漁民が魚釣島付近で遭難し、同島に避難した31人を住民が救助し、全員を中国に送還した。この救援活動にたいし、中華民国の長崎駐在領事から、1920年5月20日に感謝状(写真)が届けられた。感謝状のなかには、尖閣諸島がはっきりと日本の領土として記述されていた。

 このように、尖閣諸島にたいしては、第2次世界大戦まで中断することなく日本の実効支配がおこなわれてきた。

 1945年の日本の敗戦により、日本が中国から奪った台湾などの地域は、連合国のカイロ宣言(1943年11月)やポツダム宣言(1945年7月)にもとづいて、中国への返還が決められ、実行された。このなかには、尖閣諸島は含まれていない。

 尖閣諸島は、沖縄の一部として、アメリカの軍事支配下におかれることになった。1951年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約によって、尖閣諸島を含む「北緯二九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)」などは米軍の施政権下に置かれ、米国は、一定の地代を支払うことと引き換えに、尖閣諸島の大正島と久場島を米軍射撃場として使ってきた。施政権は奪われていたとはいえ、尖閣諸島にたいする主権は日本にあった。日米の間で1971年6月に調印された沖縄返還協定が1972年5月15日に発効したことにともなって、尖閣諸島の施政権は日本に返還され、今日にいたっている。

二、国際法上明白な日本の領有

中国は75年間異議をとなえず

 中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないという事実である。

 中国、台湾が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは1970年代に入ってからである。台湾は1970年に尖閣諸島の領有を初めて主張し、71年に入って主権声明を出した。中国政府は、1971年12月30日の外交部声明で領有権を公式に主張した。尖閣諸島のある東シナ海から黄海について、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は、1969年5月に公刊した報告書で、石油天然ガスの海底資源が豊かに存在する可能性を指摘していた。

侵略による奪取とは異なる

 尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼(とうしょ)として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだ、という点にある。

 日清戦争(1894~95年)で日本は、台湾とその付属島嶼、澎湖(ほうこ)列島などを中国から不当に割譲させ、中国への侵略の一歩をすすめた。しかし、尖閣諸島は、日本が不当に奪取した中国の領域には入っていない。

 この問題では、台湾・澎湖の割譲を取り決めた日清講和条約(下関条約)の交渉過程、とりわけ、割譲範囲を規定した同条約第二条の「二、台湾全島およびその付属諸島嶼」のなかに尖閣諸島が含まれていたのかどうかが、重要な論点となる。

 第一に、経過の点で、日本が尖閣諸島の領有を宣言したのは1895年1月14日であり、台湾・澎湖の割譲を取り決めた講和条約の交渉が開始される同年3月20日よりも2カ月ほど前のことである。

 第二に、下関条約は、割譲範囲について第二条で、「台湾全島及其ノ附屬諸島嶼」、「澎湖列島即英國『グリーンウィチ』東經百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼」と規定しており、尖閣諸島については一切言及してない。

 第三に、下関条約を締結する交渉の過程で、中国側の代表は台湾とその付属島嶼や澎湖列島の割譲要求にたいしては強く抗議したが、尖閣諸島についてはなんら触れなかった。かりに中国側が尖閣諸島を自国領土だと認識していたならば、尖閣諸島の「割譲」も同じように強く抗議したはずだが、そうした事実はない。それは、公開されている交渉議事録から疑問の余地がない。

 第四に、1895年4月17日に下関条約が締結されたのちの同年6月2日、「台湾受け渡しに関する公文」に署名する際、台湾の付属島嶼とは何かが問題になったときに、日本側代表は、台湾の付属島嶼は、それまでに発行された地図や海図で公認されていて明確だとのべ、中国側はそれを了解している。当時までに日本で発行された台湾に関する地図や海図では、例外なく台湾の範囲を、台湾の北東56キロメートルにある彭佳嶼(ほうかしょ)までとしており、それよりさらに遠方にある尖閣諸島は含まれていない。尖閣諸島は、台湾の付属島嶼ではないことを、当時、中国側は了解していたのである。いま、中国側は、尖閣諸島が台湾付属の島嶼であり、日本によって強奪されたと主張しているが、それが成り立たないことは、この歴史的事実を見れば明らかである。

 中国側の立場を擁護する主張の中には、日清戦争で敗戦国となった清国には、尖閣諸島のような絶海の小島を問題にするゆとりがなかった、とする見解もある。しかし、国際法上の抗議は、戦争の帰趨(きすう)とは無関係にいつでもできるものである。もし、尖閣諸島が台湾に属すると認識していたのなら、講和条約の交渉過程でも、またその後でも、抗議できたはずである。

 このように、日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。

戦後の25年間も異議をとなえず

 第2次世界大戦後、中国政府は、サンフランシスコ平和条約について、中華人民共和国が参加したものではなく無効という態度を表明した(1951年9月18日の周恩来外交部長の声明)が、尖閣諸島について、それが米国の施政権下に置かれ、日本への「返還区域」に含められたことは不法と主張するようになったのは、1970年代に入ってからである。戦後の25年間も、尖閣諸島については領有権を主張することはなかったのである。

 このように、1970年代にいたる75年間、第2次世界大戦が終了してからも25年間、中国側から日本の領有にたいする異議申し立ても抗議も一度もなされてこなかったことは、戦後も中国側が、尖閣諸島を中国の領土とは認識していなかったことを裏付けている。

 逆に、1953年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」は、「米国の占領に反対する琉球群島人民の闘争」と題して、米軍軍政下の沖縄での日本人民の闘争を報道し、そのなかで、「琉球群島は、わが国台湾の東北および日本九州島の西南の間の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島など七つの島嶼からなっている」と、「尖閣諸島」という日本の呼称を使って同諸島を日本領土に含めて紹介していた。

 また、北京市地図出版社から1958年や1966年に発行された中国全図などでは、尖閣諸島は中国領の外に記載されている。

 このように、尖閣諸島が台湾など中国の領土に属するものではなく、中国側も1970年代にいたるまではそのように認識していたことは明白である。

日本の領有は国際法上も明白

 日本は1895年1月14日の領有宣言によって、国際法上の先占の法理にもとづいて尖閣諸島を領有した。

 先占の法理は、特定の条約に明文化されているものではなくて、近代を通じての主権国家の慣行や国際裁判所(国際仲裁裁判や国際司法裁判所など)の判例の積み重ねによって国際慣習法として確立してきたものである。その核心として、領有が国際的に認められるには「主権の継続的で平和的な発現」が基本的な要件となる。「平和的な発現」とは、領有にたいして歴史的に異議がとなえられてこなかったことを指す。先占については通例、(1)占有の対象が無主の地であること、(2)国家による領有の意思表示、(3)国家による実効的な支配――この三つが国際法上の条件としてあげられる。また、関係国への領有の通告は、あらかじめ取り決めなどがある場合を除いて、国際法上、一般には義務とはされていない。尖閣諸島にたいする日本の領有は、このいずれの条件も満たしており、国際法上、まったく正当なものである。

 一方、領土紛争においては、相手国による占有の事実を知りながらこれに抗議などの反対の意思表示をしなかった場合には、相手国の領有を黙認したとみなされるという法理も、国際裁判所の判例などを通じて、確立してきている。この法理にもとづいて、1895年の日本の領有宣言以来、中国側が75年間にわたって一度も抗議をおこなっていないことは、日本の領有が国際法上、正当なものである決定的な論拠の一つとなる。

 このように、尖閣諸島にたいする日本の領有権は、歴史的にも国際法上も明確な根拠があり、中国側の主張には正当性がない。

三、領有に関わる紛争の解決のために

 尖閣諸島をめぐる紛争問題を解決するために、何よりも重要なことは、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府にたいして、理を尽くして主張することである。

 この点で、歴代の日本政府の態度には、1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を主張してこなかったという弱点がある。

 領土画定を明確にするよい機会であった1978年の日中平和友好条約締結の際に、中国の鄧小平副首相が尖閣諸島の領有問題の「一時棚上げ」を唱えたが、日本側は、日本の領有権を明確な形では主張しなかった。それは、尖閣諸島の領有権が日本にあることについて中国側に確認を申しでることは、「全く要らざることである」(福田首相の衆院外務委員会答弁、1978年10月16日)という立場からの態度だった。

 1992年に中国が「領海および接続水域法」を採択し、尖閣諸島を自国領と明記した際には、外務省が口頭で抗議しただけで、政府としての本腰を入れた政治的・外交的対応はなかった。

 今回の事件でも、民主党政権は「国内法、司法で対処する」というだけで、肝心の外交的主張を怠ってきた。

 このように長期にわたって積極的主張を回避してきたことについて、わが党の議員の質問に閣僚から「中国や国際社会に対して日本の立場を発信してきたかどうかについては、大いに反省するところがある」(9月30日衆院予算委員会)との答弁がなされている。

 わが党は、日本政府に、こうした態度をあらため、歴史的事実、国際法の道理にそくして、尖閣諸島の領有の正当性を、国際社会と中国政府に堂々と主張する外交努力を強めることを求める。

 同時に、中国政府に対しても、今回のような問題が起こった場合、事態をエスカレートさせたり、緊張を高める対応を避け、冷静な言動や対応をおこなうことを求める。日本と中国との間で、あれこれの問題で意見の違いや行き違いが起こっても、問題をすぐに政治問題にすることを戒め、実務的な解決のルールにのせる努力が大切であり、話し合いで平和的に解決することが何よりも重要である。

 日中両国政府は、2008年5月の共同声明の中で「ともに努力して東シナ海を平和・協力・友好の海とする」と合意している。今後さらに、その分野をはじめ日中の「戦略的互恵関係」を発展させ、東アジアの平和と安定に貢献するよう求めるものである。