天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

見えないものを書く力

2018-11-28 04:44:27 | 


京極夏彦に『狂骨の夢』(1995年5月/講談社ノベルス)という作品がある。百鬼夜行シリーズ第3作である。
中身はほとんど忘れたが度肝を抜くのが冒頭4ページの海に関する記述である。
それはこのように始まる。

海鳴りが嫌いだ。
遥か彼方、気も遠くなる程の遠くから、次々と押し寄せる閑寂として脅迫的な轟音。
いったいどこから聞こえて来るのか。何の音なのか。何が鳴っているのか。果てのない広がりや、無意味な奥行きばかり感じさせて、ひとつも安心できない。

そもそも、海が嫌いだ。
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小説のはずがエッセイでありそれが2700字ほど続くのである。本題へいつ入るのかと思ったとき、立川談志が枕をえんえんと20分もやるのに似ていると感じたものである。

京極夏彦の海の記述2700字はとにかく凄いのである。
俳句で吟行というのをやる。たとえば九十九里浜へ行ったとしてここで1時間ぶらぶらして俳句を10句書けと言われたらぼくはかなり苦しむと思う。見えるものは波と空と浜だけ。藻屑か木切れでもあればそれを核にすることを考えるがなければどうすればいいのか。波や空や浜ではあまりに抽象的ではないか。
海は海でも横浜港ならば船あり人ありで見える物の種類が多い。横浜港ならなんとかなるであろう。

京極さんは横浜港のような文化のない海について滔々と語るのである。海というものに対する洞察力のたまものが『狂骨の夢』の冒頭4ページに詰まっている。
洞察力は小説家、俳人を問わずあらゆる芸術にたずさわる者の必須の資質だと思う。
見えるものの背後に見えないものを見る。
それを京極さんは海に関して2700字もやっているのである。

12月8日のひこばえ句会の冒頭講義は『狂骨の夢』の冒頭2ページの朗読から入るつもり。4ページの朗読を句会前にすると疲れるので2ページで終える。興味ある人は自分で読んでほしい。
京極さんのものを見る執念に打たれることが勉強になるであろう。俳句の勉強は俳句というジャンルのみにあるのではないことも踏まえておきたい。
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