天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

われは山の子白文帳育ち

2015-07-22 05:50:04 | 身辺雑記
最近テレビのバラエティ番組で「白文帳」をやっていた。
見るとえらくなつかしい漢字練習帳のことであった。


ウィキペディアによると、白文帳(はくぶんちょう)は、
長野県で考案され主に長野県だけで使われてきた漢字練習用のノートブックである。大きさは主としてA5サイズで、縦書きで使用する。なお、「白文」は漢字で書かれた文を意味する。1930年代後半に長野県の教師が考案し松本市の中学校で使われ始めた。文運堂が長野県向けに製造・販売を行っている。2008年現在、年間13万冊の販売されているがほぼすべてが長野県で消費されている。
という。
また、長野市立三陽中学校の奥野としみ先生は、
長野県の公立小中学校には、長年受け継がれた「白文帳」の伝統があります。「白文帳」は全ての児童生徒に与えられ、毎日1ページ(150字)以上ずつの漢字練習を行うことが習慣になっています。「白文帳」自体は単純にマス目が並んだだけの、どこにでもある平凡なノートであり、誰でもすぐに作れるようなものです。ですが、「毎日1ページ以上練習するのが当たり前」という目に見えない受け継がれた伝統文化こそが、誰にも真似することのできない本当の意味での価値なのだと思っています。と、語っている。

長野県伊那市生まれのぼくもこの手帳にほぼ毎日漢字を書いていた。
小学校4年生のころだったか、毎日5ページくらい書く宿題が出されていたと記憶する。
きつくて嫌だった。
山をよじ登っていく感じであった。
急いで終わらせ外へ遊びに行こうとしても1時間はかかってしまった。
乱雑に書くと先生に注意をされるのでとにかく升目にきちんときれいに書いていた。
いま思うと、ぼくが書くということを体感として習得したのは、この嫌な練習のたまものであった。嫌々仕上げた自分の漢字をながめて美しいと思った。字は美しく書かねばいけないとあのころ素直に思っていた。
小学校時代を思うとまっ先にこの漢字練習を思い出す。
嫌であったがいちばんなつかしいのである。

いままた書く仕事をしている。
俳句の添削である。
1年に400字詰め原稿用紙に換算して約800枚書いている。これが嫌にならずにつづけられている根っこに白文帳による漢字練習があったような気がしてならない。
東京の先生を取材したとき、白文帳はただ機械的に字をなぞるだけでたいして意味がない、というようなことを聞いた。
この合理的な見解も理解できるのであるが、しかし、意味のないような反復繰り返しが根気を養ってくれたような気がしてならない。
わけもなく叱られた子がその死んだ親をなつかしがるようなものである。合理的精神では説明できぬ世界であろう。


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