明日、ひこばえ句会で前回につづき季語のことを話すつもり。話には題が要るので「季語は詩へ飛躍させる装置」とでもして以下のようなレジュメを作ろうと思う。
『シリーズ自句自解 ベスト100 小川軽舟』(ふらんす堂)を読み直していたらおもしろい記述に遭遇した。
夢見ざる眠りまつくら神の旅 軽舟
この句に対する自解は、
小澤實が「鷹」を離れる前、湘子は小澤作品の最後の言及となった<神の旅還流の魚色深む>の選評で、中七下五は新鮮だが、これを「神の旅」でまとめる感覚は自分たちの世代のものだと注文をつけた。それを突き破って、もっと新鮮な配合を見せろと言うのである。小澤は結局それを容れずに「神の旅」のまま句集に残した。
私の句の「神の旅」はどうだろうか。ときどき自問自答するのである。
(以下、青字は軽舟さんの自解)
神の旅還流の魚色深む 小澤實
ぼくはこの句の季語を動かす自信がない。決まっているのではないか。小澤さんがそのまま句集に入れたのは理解できる。湘子が自分たちの世代を超えた季語というのに注目した。季語というのは世代が変っても通用するものでありそれがいいのではないか。
季語は保守である、保守だからその句の命が続くのではと思っていたぼくを亡き師が揺さぶる。季語の革新とはどういうことか、亡き師に大きな課題を与えられた。
軽舟さんならどうするのだろうか。
この本で小川軽舟は随所で湘子に触れている。
雪女鉄瓶の湯の練れて来し 軽舟
千駄木の道灌山にある武者小路千家の東京道場の改築が終わり、千宗家若宗匠の「放下会」の稽古もそちらに移った。夜も更けたころ、「釜のがいい具合に練れてきましたね」と千さんが言った。その言葉に惹かれて中七下五がまず出来たのであった。
あとは上五の季語だ。冬籠と置いたら「もっと季語を離せ」という湘子の口癖が聞こえた気がした。この雪女は気配だけを感じてもらえればよい。
季語を離すということで成功し湘子に激賞されたこの句、
啓蟄や駅前旅館掃除中 中村昇平
型その1の決まった例として何回も人に紹介しているが、この場合の季語が「囀や」であっても湘子は採ったと思う。さきほどの軽舟句と同様で「囀や」であったらそこそこいい並の句であっただろう。「啓蟄」を持ってきたことでホップ・ステップ・ジャンプして詩空間へ飛翔したのではないか。
われら鷹衆は湘子によって季語感覚を鍛えられてきた。
湘子に師事した17年間の中で句を褒められたことは嬉しい思い出だがそれよりもなにより、加藤楸邨の有名なこの二句で見解が全く同じだったことは驚愕と感動の入り雑じった思い出である。
これも季語に関してのこと。
蟇誰かものいへ声かぎり 加藤楸邨
鰯雲人に告ぐべきことならず 同
ぼくはいつごろからかこの二句の季語は入れ替えたほうがわかりやすくなるし深みも出るのでは、と思っていた。すなわち、
鰯雲誰かものいへ声かぎり
蟇人に告ぐべきことならず
「声かぎり」という措辞は遠くのものに対して発したほうが効きそうだし、「告ぐべきことならず」というわだかまりはやはり生き物で言葉を解しない存在に対して発するほうが懊悩を形象化できるのでは、と考えた。楸邨は季語に対する歴史的認識が甘いのではと。
あるとき、中央例会あとの懇親会で藤田湘子が人間探求派の三俳人を話題にしたことがあった。
湘子は「人間探求派の中では楸邨がいちばん下手だな」というので聞き耳を立てた。
はたしてこの二句をとりあげて
「この二つなんて季語を入れ替えたほうがずっとすっきりするよ」とおっしゃったのでびっくりした。
これが鷹の季語への意識である。このことを今井聖が知ったかどうかは知らぬが、9月3日のNHK俳句で師匠の加藤楸邨のこの二句を取り上げたのでさすが聖さんと思った。
彼は<鰯雲人に告ぐべきことならず>より<蟇誰かものいへ声かぎり>のほうを上とした。季語に心象を併せる手法は新しいが鰯雲には告ぐべきことが「何か」を言っていない、それが弱い。蟇のほうは時代の鬱屈した表現できない空気を伝えている、というものであった。加えて季語は動くかもしれないがそれはいいではないかと言った。これは師匠の援護と感じた。
加藤楸邨―今井聖ラインより藤田湘子―小川軽舟ラインのほうが季語の極北を目指す志向が強い。
俳句はあくまでも季語にまつわる詩であるという意識である。句の中心に北極星を置きたいのである。
偶数は必ず割れて春かもめ 小川軽舟
論理で詰まった人の頭の中の結び目をふっと解いてみせるような句を作ってみたいと思う。偶数が必ず割れるのは論理だが、「春かもめ」への飛躍は論理ではない。その飛躍に詩としての必然を感じられれば結び目は解ける。その楽しさを読者と分ち合いたい。
軽舟さんはこんなことを言っていたのではないか。
地に足を置いて物を描写するのはいい。その姿勢はいいが足をべったり地につけていたままだと詩へ発展しない。少し爪先立ちしてみたらどうか。
それが季語の役目ということか、ぼくの要約ではあるが。
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