天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

オリンピックという神輿

2016-08-13 06:12:32 | スポーツ


オリンピックは日本人選手諸君が活躍している。
なかでも前半の目玉は内村航平選手の団体、個人の金メダルであった。いくつかの金メダルのなかで彼の個人総合優勝にひかれ久々にスポーツ紙を買った。
スポーツ関係のニュースは映像報道に優るものはないと思うものの、新聞の上に事態が静かにありそれを読んで映像を頭の中で再現するのも乙なのだ。
栄光が動かぬものとして紙面にあるのは心強いのである。

新聞を買いに行く道すがら「マツリダゴッホ」という馬の名が浮んだ。
馬名は冠名のマツリダ+画家のゴッホである。GI勝ち馬(有馬記念)であるが成績よりこの名前のにぎやかさ、めでたさにひかれていて、<祭だ内村>もあってもいい、「マツリダウッチー」よくやったねとまた興奮するのであった。
1点近いビハインドを予選で落ちた鉄棒において生涯最高演技で決めるなど神業逆転勝利であった。
神業といえばむかしよく読んだ東京スポーツのプロレス記事に頻出しそれは吉村道明の「回転エビ固め」であり「神業回転」などと記され興奮したことまで思い出す。

テレビを見る一般の人、取材して記事を書く人、写真を撮る人……あらゆる関係者がオリンピックを支えている。
ぼくははじめこの大会にそう興味が湧かなかったが同胞がメダルを取るなど目立つにつれて観戦する時間が増えてきた。
祭で山車を引いたり、神輿を担いで練り歩くのとほぼ同じ心理である。
祭の共同体意識はオリンピックではナショナリズムである。ニッポンがんばれ、である。
「内村落ちるな、着地決めろ!」と叫びつつ彼と一体になっている。これほど彼我が日本人であることを感じる時間はないであろう。
ウッチー神輿を担いでいるのである。
神輿や山車は多いほど、また豪華なほどよく、金藤神輿や萩野山車もきらびやかである。

祭は金がかかる。共同体の散財である。オリンピックの経費はわれわれの税金でまかなっている。
そんなものを使って巨大な祭を東京でやる意味はあるのかと思っていたが、やはり祭はやったほうがいいといま思い直している。
祭に金を使うから日本という共同体が健全に機能するのだろう。
民主主義というのは胡乱な概念であり仔細を細かく見る必要があるが、富の再分配という側面がしかとある。しかし金をたくさん稼いだ人がそうでない人に富の再分配するには同じ国民であるという強固なナショナリズムがなければ成しえないことだろう。
民主主義を支えるのは世界市民意識などという耳障りのいいものではなく熱狂的なナショナリズムである。

熱狂して神輿を担ぐことが困っている人を助けようという心理に結びつくであろうことをオリンピックに熱狂しつつ静かに感じている。




大國魂神社例大祭(くらやみ祭)
コメント
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