天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句とドイツ語

2016-08-03 16:36:49 | 言葉

Eテレ「100分de名著」より


先日、岸孝信さんから句集『ジタン・カポラル』をいただいた。集中して読みブログに感想を書くとともに礼状を出した。
この手紙に対して岸さんからていねいな手紙をいただいた。恐縮した。
この中で岸さんは、
物が先か言葉が先かはカント哲学の最大の課題の一つだった
というような指摘をしていた。
ヤバい! 岸さんはドイツ語ないしドイツ哲学か何かを大学で教えている方と仄聞する。
岸さんにぼくが近寄りにくかったのはドイツ語がぼくよりはるかにできることが遠因であったかもしれない。
ぼくも大学では独文を専攻しゲーテのミニヨンの詩など研究していたが、ドイツ語はまるでものにならなかったのである。ましてや難解なカントは数ページ読むと睡魔に引きずり込まれていた。

今朝Eテレの「100分de名著」でカントを見たのだが、テーマは戦争防止論であり物と言葉をめぐる観念論をてっとりばやくつかむに至らなかった、嗚呼。

上智大学でぼくがいちばん感銘を受けたのは木村直司教授であった。
彼はトーマス・マンの短編を教科書にしてその一字一句を、ええそこまで読むか、というくらい徹底して読み説くことをして見せた。
それは動詞の名詞化であるとか、その言葉の出所であるラテン語ではすこしニュアンスが異なるだとか、定冠詞がDemだから倒置型文型であり冒頭にあっても主語には成り得ないだとか…。
すなわちテキストはまず正しく読まれるためにあるという認識を植え付けられた。
その過程でドイツ語は言語構造の精緻さとあいまってまぎれなく意味を伝えられるものであることを知った。
日本語が得体の知れぬ「言霊」の影響を受け、読みもムードに流れることの多い風土においてドイツ語はロゴスであるということを知った時間であった。
木村先生の授業は1時間でわずか数行を読むだけであったが、ここで知ったドイツ語のエッセンスは大きかったように思う。

先日、俳句甲子園神奈川地区予選を終えて審査員をつとめた田中亜美さん等と慰労会(飲み会)をした。
そこで彼女が突如「ザッハリッヒ、ザッハリッヒ」と言い始めた。ああ、ザッハリッヒはsachlich、ドイツ語であったか。
彼女もいくつかの大学でドイツ語を教えていると知り、岸さんに対するのと同様にヤバい!と身構えた。
Sacheは英語のthing、物のことである。よってsachlichは「事実に関する」「物に即して」いった意味でありこの語感とあいまって物が意識を押してくる印象がある。

このとき俳句で典型的にザッハリッヒな句として
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣
がひらめいた。
俳句でいう「嘱目」は、現実の物に言葉を添わせるようして成すことをいう。写生という技法である。先行する物を言葉が追いかけて追いつめて隙間をなくすようにする営為である。
まさにザッハリッヒである。

わだつみに物の命のくらげかな 高浜虚子
この句は「物の命の」と言葉に物があるものゆるいハンドルのように言葉が遊んでいる。簡単にいうと海に生きてくらげがいますというだけのこと。ドイツ語に翻訳するのが至難な領域である。
かたつむりの交合を可視化した耕衣のザッハリッヒとは対極にあるだろう。
虚子は海月を写生しているのではなくそれが置かれている雰囲気を書いている。この句は物が先というより作者の思いが先、つまり言葉が先といっていいだろう。むろん虚子に海月を見てきたという蓄積があったとしても。
言霊、物の怪、生命といった言葉以前の要素が入り組んだカオスを「物の命の」という日本語独自の修辞で大づかみしている。
日本風アニミズムといっていいだろう。生命のおおらかさ、不思議さ、そしてはかなさも言葉の調べに乗せて象徴化させている。

耕衣も虚子も同じ生命をテーマにしながら手法の違いにより見え方がずいぶん違う。
岸さんがカントを引いて提示した「物が先か、言葉が先か」という問題をぼくなりに考えてみた。
いずれにせよ言葉は観念である。
ぼくは句会でよく「その句は観念的だからよくない」などと評するが、そう言いながら言葉は所詮観念なんだ、観念という言葉を皮相的に使っているなあといつも思う。
写生ということを強調するように句を仕立ててみても言葉が観念であることは間違いないのである。
物が先でも言葉が先でもどちらでもかまわない。
俳句は飯島晴子が言ったように、景が見えるが言葉が立っているか、なのである。この二つの要素は秀句において同時に果たされることが多い。
このとき晴子さんの中に「物が先か、言葉が先か」という意識がありそれを端的に述べたものであろう。

岸さんに9月奈良でお会いするだろう。そのとき岸さんがドイツ観念論をぼくに手ほどきしてもいいと思うくらい認識できていればいいのであるが。
コメント
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