天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

多摩川の濁流を見る

2016-08-23 05:31:28 | 自然


台風といえば多摩川である。どのくらい水が流れているか。
きのう、松山帰りでまだ俳句甲子園の疲労が残っていたが見たくてたまらなくなった。そわそわしている夫に運転手の妻が車で連れて行ってあげる、という。
こういうとき妻はありがたい。
野球場に駐車して妻は車に待機するかと思いきや、日南のかつての台風娘は「私も見るわよ」と下駄ばきで付いてきた。

多摩川は堤防のきわまで濁流がきていて、言葉がない。
濁流は濁流色や太古より
ぼくは清流より濁流が好き。濁流の色はまぎれのない色で恐竜やマンモスの昔からほぼこんな色ではなかったか。膨大な水の量が理不尽に流れ人の世を虚しくする。この虚しさが好きで濁流を見たいのかもしれない。人を虚しくするエネルギーの塊。

濁流の前に突立つ秋の暮

秋出水女の尻の肉落ちて
女一人高階に老ゆ秋出水

いつか水害に遭った鷹の栃木の女を思った。病気をしたりして生きていくのがたいへんで俳句をやめてしまった。俳句はやめていいがまだしばらくは生きていてほしい。

濁流に拱手傍観する秋ぞ
拱手傍観のできない性格。カメラが濡れないか気づかいながら写真を撮った。

うしろより妻の奇声や秋出水
「動いちゃだめ!」などと後ろから妻がわめく。夫が流されるのを気づかっているのか。濁流の音とあいまってうるさいこと。運転だけして運んでくれればいいのだ。静かなところで妻が「フナらしい小魚が跳ねているので呼んだのに行ってしまって…」という。
しまった。ときには妻もいいいことを教えてくれるのか。すこし反省。


濁流にわれを葬れ稲光
妻が「流されたら死ぬわよ」と叫んだとき、「濁流葬」があってもいいなあと思った。河川敷に老人ホームがあったらなにもかも流れてさっぱりするね、と妻とよしなしごとを話して笑う。
屍の処理や埋葬まで公が規定されていて人は死んでも自由になれない気がする。
だから濁流の自由奔放さにひかれるのだろうか。

濁流を妻と見て夫婦がいくぶん仲良しになった秋の暮。


コメント (1)
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