天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

あっぱれ!福士加代子

2016-08-17 05:39:13 | スポーツ

ぼくが女子マラソンの日本最高が14位であることを知ったのは14日(日)の深夜であった。
夜「日本のいちばん長い日」とオリンピックのマラソン中継を交互に見ようと思っていたが寝てしまった。
深夜起きてテレビをつけたとき、福士加代子が満面の笑みでインタビューに答えていた。これはメダルを獲得したのだと疑わなかったが14位とわかった。
世間からみれば惨敗である。けれどこの人は心から満足してオリンピックを楽しんだように見えた。
世間の思惑と関係なく(彼女の内心はそうではなかったと思うが)これだけ明るく応対できるセンスにぼくは拍手したい気になった。
成績を残して花がある内村航平は立派のひとことであるが、負けたとしても堂々としている福士はアスリートのあり方を変えたのではなかろうか。
藤田湘子の「桐一葉面をあげて落ちにけり」を思ったりした。

おおかたの日本人がぼくと同様の感慨を福士に持ったかと思いきや、臼北信行氏の小文『女子マラソンで惨敗した福士加代子の発言は、本当に「KY」なのか』を見てびっくりした。
ここで臼北氏は、福士の発言にネットで嵐のごとく凄まじいバッシングを浴びせられ大炎上したことを伝えている。
すなわち、
「この結果でヘラヘラしながらメダル云々を口にするのは余りに品がない」「惨敗したのに『楽しい』なんて口が裂けても言えない」「日の丸を背負っている意識がまるで感じられず、最初から五輪出場を自分のためだけの記念レースだと思い込んでいたのろう」「聞いていて本当に腹が立った」など――。

オリンピックに出場する選手は誰もその人の限界まで身を削る修練をするだろう。毎日をただただ成績を上げることのみ意識して過酷なトレーニングに邁進するのだろう。われわれが想像できないような訓練を。
福士は前回世界陸上で銅メダルに輝いてマラソンランナーとしての自分を確立した。そのときからオリンピックは金メダルを狙っていた。
だから、
「金メダル取れなかったあ! ほんとしんどかったあ! 暑いけどなんか、しんどすぎて、いろいろなことがしんどすぎて。でも金メダル目指したから最後までがんばれました」
と語る福士の明るさの中には十分悲哀をふくんでいるのであり、そこを汲み取ってあげる惻隠の情がいま多くの日本人から消えてしまったのか。
福士の出場直前の足の不具合は限界までやったことのあかしであった。完走したこと満足が全身にみなぎっていたことだろう。
「金メダル目指したから最後までがんばれました」は特別に選ばれた人のみならずあちこちの人にとってとてもわかりやすい身にしみる言葉である。
「オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ。苦しいけど。もう泣きたい」にしても福士のユーモアと飾らない気性とないまぜになった味わいを感じる。

国家と個人と、集団と私という関係の中にオリンピックがある。
オリンピックはナショナリズム高揚の最高の舞台である。
ゆえに、負けてヘラヘラするな、とか、日の丸を背負っている意識がまるで感じられないだとか、自分のためだけの記念レースだと思い込んでいたのろうだとか、あさはかな中傷的な言葉が発せられるのだろう。

装っているかもしれない明るさや笑いの奥にある個人の懊悩に気づかないナショナリズムは怖い。
福士加代子が敗けてなお自分を奮い立たせて笑うセンスは今までの日本人になかった優れたものである。あったかもしれないが大衆の前でそれを表現したアスリートを見たことがない。
これからの日本スポーツ界にこういうユーモアも教養もある人材が次々出てくることを望む。福士はその草分けである。
胸を張って突き進んでほしい。
コメント (3)
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