人は誰でも 寂しくて
愛を形に残そうと
心の旅にでるだろう
心の旅で乗る船に
羅針盤など付いてない
広い海原で迷うだけ
いつかはきっと辿り着く
理想の港はどこにある
愛する人の傍らか
※
人はなぜ旅人になる
そんな夢を見るのだろ
風に吹かれて立つ丘の上
ひとりぽっちだと
涙すれば
落ちる雫が
私の海
孤独の海をゆく我に
愛する人は手も振らず
だけれどきっと
家に灯りをともし
向かえてくれる港になってくれるのかもしれない
人はなぜ旅人になる
そんな夢をみるのだろ
いつかは帰る
そんな場所があるからか
すでに数分過ぎてしまい昨日から12月。いろいろ頑張ろうと思います。
ちゃんと12月の1日からアップしたいと思っていたのに、タイトルを考えていたら時間が経ってしまいました〈(^_^;)
まったく~。
上記はある目的のために書いたもの。
だけどちょっと書き足りなくて、その2を書いたのです。テーマは同じ。
目的は勘ぐっちゃあおらんです。
ただの言葉から思う事也。
重盛の病床へやってきた後白河を非道と思いはしましたが、旋律しもした。一瞬で目が覚める様なそれは、たぶん、腫れ物に触るような態度でなく、武門平家に真っ向挑む後白河の魂が顕になっていたからで、また、迷い無く勝負に臨む重盛の、武士としての性のようなものに更に旋律し心が震えたもんです。
武士であれただろう重盛の死は、武門平家の終焉をも加速させたんでしょうかねえ。
一蓮托生って、概略、死後、極楽浄土の仏菩薩と同一の蓮華台上に往生すること、だそうで。
>いつかは帰るそんな場所
平氏にとっては冥土の蓮華台の上がそんな場所なんだろうかと、拉致もなく想う師走哉。
いつかは帰る場所・・・ウムウム
深すぎる・・・(笑)
でもそれは事実だなあってしみじみしました。
ある目的って、私に「秘密」は難しい。いつか時期が来たらお話聞いて頂くかと思いますよ、きっと。
平清盛・・・・。心がざわざわ言って来ましたよ。知ってるけれど、どうなるのって思ってしまう。
その終わらせ方が凄く気になりますね。
はい。気になりますねえ・・。
詩と相性がよいのも好い。
脚本家さんは歌に造詣のある方の様ですし、歌のシーン考えるのはさぞかし楽しかったでしょなあ。
ところで、藤原君の舞台レヴュ拝見。
ひゅ~どろで明るい、というのが素敵。
物語のご感想がノッテいて、観てもおらんのにすぅーと沁み入ります。
と、最後、「責める者は強気」。ここだけがすこーんとわからない。ここだけなんてやん、自分も心にのこしたーい。。いや観てまへんが。
他は勝手解釈でいけてたんすが、、石投げる者達、いじめる人を指してのことなん?
場違いで失敬ながら、お暇なときにでもよろしゅうです。
「責める者は強気」という言葉の補足ですが(笑)
←ここでなんで笑いかというと、まあ、照れ笑いです。
妻と子供を連れて歩く破戒僧でもある説教聖は、最後になぜ自分は「日の浦姫物語」を語るのか、種明かしをするのです。それはいわば彼の懺悔だったのです。その妻は実は妹。
許してくれるというのなら今夜の宿賃の足しになるほどのお金をと請う二人に、人々は石を投げるのです。
奇跡の物語に人々は礼賛しても、目の前の懺悔するものには厳しい辛い現実がそこにはありました。
その時そのセリフが出てくるのです。
私、なぜだか、このとき国会中継を思い浮かべました。
「あなたじゃーダメなんですよ。さっさと止めていただきたいんですよー。」って言ってた人もいたかなって。
なんか上手く言えないけれど、心に喰い込んだ言葉だったのです。
それから、近親婚についての考察。いろいろ考え中です。またお話する機会があると思います。