森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

白秋を生きる人☆秋を探して《その1》

2018-09-21 10:44:22 | お散歩&写真日記

新しい自転車を買ったので、練習も兼ねて9月18日の日に公園まで行きお散歩をしてきました。自転車の練習と書いたのは、自転車乗らず歴2年以上になってしまったからなのです。

お散歩&写真日記に気ままなお喋りを聞いて下さね。

 

その日はまだ蒸し暑くて、名残りの夏と言う感じ。でもやっぱり秋は静かに近づいて来ていたのですね。

秋と言えば彼岸花。

今年は特にこの花の為にどこかに行こうとは思わないのですが、

この公園の彼岸花スポットを知っていたので、来てみたのです。

と言っても、それほどの所と言うわけではありませんが。

それでも木々の間と彼岸花は相性がいいですね。

 

今では珍しいわけでもない白い彼岸花。

今時はピンクもあるそうですね。

 

ところで、下の囲みは昨年の20日の日に投稿したものです。

「敬老の日」の事をさりげなく書いていました。

私はどうもこの日が苦手です。

だから今年はー。

 

 
やたら、いろいろとお喋りしたい気分です♪ 今年の敬老の日はスルー!
 猫草を買いに。雨が続く毎日。9月の長雨は、6月の梅雨よりもなんだか寂しさを伴うから嫌いよ。それに9月の長雨と言うと、シトシトと言う感じがして、それはそれで風情など......
 

 

はっきり言って、まったく意識無しでした。

だけどたまたま、みんなで「みなとみらい万葉の湯」に行き、敬老の地域イベントに参加した母は遅れて参加し、そしてワイノワイノと夕食を食べて、楽しい時間を持ちました。こう書くと、じゃあ、そのお母さんのお食事代はみんなで持ったのねとなると思いますが、敬老の日をすっかり忘れていた私たちは、いつもの通りお食事代は母の奢りです。

≪ああ、「まあ、なんて酷いの !?」と言う、世間様の声が聞こえてきそうです(^_^;)≫

 

母と出掛ける時、私たちはいつも母の子供に戻るのです。

母はいつも私たちの心配をしています。だから今でも時々小うるさい事を言う事があって、煩そうな顔をしていると

「いいの。あなたたちはずっと私の子供たちなんだから、私は言うのよ !!」などと言うのですが、本当の事を言うと、それはとても好きな言葉なんです。

母の子供でいられると言う安心感と言うより、同じ言葉を私も使いたいなと感じるからなんです。

もうおじさんになりつつあるラッタさん。

だけどあなたは私のずっと子供です。

もう大人なのでほとんど口も出さず、何かを助けてあげる事もほとんどない、だけどこの親子であると言う関係だけは変わらないと言うのは、私にとっては幸せ・・・・。

何でもないようなささやかな事を老いた人から学ぶことって、まだまだたくさんあると私は思っているのです。

 

母は楽しそうにしている私たちを見るのが大好きだけど、私たちも楽しそうにしている母を見るとホッとするのでした。そして私たちも急速に老いていく母の事を心配しています。

その日はイベント二つだったし(敬老会&万葉の湯)、シャトルバスに乗れなくて桜木町まで歩かねばならなかったわけですが、私が17日に横浜から帰るとき、また別の敬老の日イベントに、母は近くのさらに高齢の人の手を引いて参加していました。それでも疲れは後から出るものかもと思って、別の日に電話をしたところ、まったく大丈夫でした。

 

数か月前にちょっと転んでしまって、足をちょっと引きずっているなと思っていましたが、思わず「やるじゃん、お母さん。」と私はホッとしました。

母が急速に老いていってると感じるのは、たぶん歩き方のせいなのかも知れないなと思いました。まだまだ頑張って欲しいと思います。

 

長くなってしまったので、もう一人の颯爽といまだに歩いている、もう一人の母、義母の話はまた次回にしようと思います。

 

 


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