森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

蜷川幸雄三回忌追悼公演「ムサシ」

2018-03-08 00:57:48 | 観劇・コンサート日記

3月4日、彩の国さいたま芸術劇場にて「ムサシ」を観てまいりました。

(敬称略で書かせていただきます。)

溝端淳平の小次郎は初めて観ました。

骨太な感じでまたそれも良くて、キャストが違うとまたこんな風に雰囲気が変わるのかと思いました。そして「ムサシ」は更にこなれ進化し続けてきたようにも感じました。

藤原竜也がこのお芝居の中の武蔵と同じ35歳になった時にもう一度やろうと言う、その約束の時が来た時に蜷川さんは居ない。でも虎が皮を残すように、彼は作品をこの世に残し続けて行ったのだとまたしみじみと思いました。

 

今回の公演のチケットは、お友達が取ってくれたのです。さい芸での公演日はとっても短く、そして彼女が行ける日は日曜日だけ。チケットを取るのに大苦戦だったようです。

「取れました~。」とメールが来た時には、私も本当に嬉しかったです。

チケットは当日受け取りました。なんと彼女からのプレゼントだったのです。

席は今までで一番良い席で、私は吃驚してしまいました。

こんな良い席は初めてですと言うと、頑張った甲斐があったと言われました。

「ムサシ」は今までは一番後ろか、二階の脇。今回は一階の真正面で、役者様が舞台の一部として行ったり来たりする通路側だったのです。

 

観た場所によって、また違う風景が見る事が出来たようにも感じました。

だけどそれはどちらが良かったと言うものではなく、あくまでも違う風景と言う事なのです。

 

幽玄な竹林の動きは真正面から見ると、まさに迫って来る迫力がありました。

通路を私の傍らを役者の方々が通るとき、じろじろ見るべきではないなと思いつつ、稀な事なのでじっと見てしまいました。ラストで藤原竜也が私の横を通る事は分かっていたので、心の中ではムフフと思っていました。

だけどその時が来た時、私は凄く不思議なものを見たような気がしたのです。

私の横に来た時には既に通路は暗転し、シーンは舞台に檀家衆が集いあっているシーンに代わる途中です。

徳川の指南役になるチャンスを捨てて、爽やかに風を切って旅立つ武蔵と小次郎。

だけどライトの消えた通路では、私の横を黒い塊が過ぎて行ったのです。そこには武蔵もいなければもちろん藤原竜也もいませんでした。

ふと横を見ると、お友達が「やったね。」と目をくりくりと丸くして合図を送ってきましたので、私も無言で微笑んで頷きました。

だけどいつもなら「ミーハーです。」と言う私ですが、私はまた違った驚きを感じていたのです。

舞台では、観客に見るべきものを見せると言うのは大切な事ですね。そのためには役者は時には黒い塊にもなるのですよ。

ああ、やっぱり私は藤原竜也が好きだなぁ。

 

一緒に行ったお友達は、ものすごく喜んでいました。

確かに「『ムサシ』は本当に良くて、一度は観るべきお芝居だと思いますよ~。」と言って、お勧めしお誘いしたのは私です。

「もう本当にありがとうございます。こんな素敵なお芝居を教えてくださって。」と彼女は言ってくださいました。

チケットをプレゼントしてくださって、更にお礼を言われてるワタクシ・・・・ホホホ (^_^;)

 

だけどアンコールは一回だけ。

ちょっとだけ寂しさを感じました。

 

細かいところでは、ここが凄くなったなとか、ここは前の方が好きだなとか実はちょっと思っていました。だけど「ムサシ」のお話の感想は、ほぼ今まで見た時と一緒です。

それらの感想は→ 「ムサシ」 WOWOWで「ムサシ」 「ムサシーロンドン・NYバージョン」

 

やっぱりこのお芝居は、本当に素敵です。

今日をまた毎日を、しっかりと生きようと思えるお芝居だと思います。

後、ちょっと思ったのは吉田鋼太郎の存在感。

2009年の時には、彼を知らず。そしてその次の時には舞台の人だと思っていた私。

それが今では、あっちにもこっちにも顔を見ない日はないんじゃないの ?

やっぱりそう言うのって、舞台のイメージを身近な感じに変えるような気がしたのは気のせいでしょうか。

 

あっ、そうだ !!

「WOWOW」と言う文字を見たので思い出しましたが、「アテネのタイモン」はWOWOWで4月29日午後1時からやりますね。

 

パンフ。

ファイル。

 

お花。

そして・・・・・

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする