映画ブログ「近未来二番館」が現在諸々ありまして頓挫してますので、しばらくこちらで書こうと思います。
9月17日が観てきました。
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ある日、ツイッターで満員御礼の舞台挨拶の模様が流れてきました。その中の佐藤君と監督のインタビューの様子。
佐藤さん「藤原さんがずっと気にしててるくれて、僕は藤原さんが叫びながら消えていくのがいいと思いますと言ったり。藤原さんの芝居に頼るしかなかったんです。」 監督「藤原君もあの時すごかったですね。どう言うのか、笑うのかと。きっと志々雄も負けたくなかったと思います。」#るろうに剣心
監督「藤原劇場になってよかったです 。起用した理由でもありますからね。」 最後に佐藤さん「これからもっと広まってるろうに剣心が伝説になるといいなと思います。」 監督「作った人間にとっては1人でも多くの方に見ていただければ嬉しので僕たちが作った子供を育ててください」#るろうに剣心
藤原劇場・・・
起用した理由・・・
やっぱりそうだよね、と私は思いました。
さて感想を書こうと思うと、やはりそのシーンが最初に脳裏に浮かびます。クライマックスでありながらそこから書かねば私的には先には進めません。
タイトルの「伝説の・・」の伝説は、幕末に存在していた人斬り抜刀斎と言う人間の伝説なのだと言うことを、うっかり忘れて最強伝説の最後かと勘違いしてしまうような戦いがそこにはあったのです。
一人対四人。
なんだか釈然としなくても、その先の日本の民の未来の為に勝たねばならぬ戦いであったと言うわけですね。
「まあ、武士道とかを問うような物語ではないわけで・・」と私が言うと
ルート君が
「そこまでやらなきゃ、叶わない相手だったんだよね。」と言いました。
しかも志々雄は負けなかったわけですよ。
15分以上戦ったら、志々雄は自滅するなんて事を剣心たちは知らなかったわけですから、作戦勝ちだったわけでもなかったわけです。
言うなれば、悪は自滅し結局は正義は勝つことになっているのだと言うことなのかもしれません。
左之助が志々雄に「お前じゃ話にならん。」と言われようが
蒼紫が「誰だ、お前。」と言われようが、そこに4人が集うことは運命の必定ー。
だけれど志々雄が炎に包まれて高笑いの中消えていく時に、上の瞼としたの瞼が濡れました。
この映画でハラハラと瞳の雫を落とす人もいないのではと思うと、うっかり瞬き出来ないなと変な所で見栄を張る私です。
だけれど、それは志々雄が藤原竜也だからのみではないのですね。
なぜなら志々雄はあの時仲間に裏切られ、全身を焼かれた時からずっとずっと地獄の業火に焼かれ続けていたように思えて仕方がなかったからです。たとえ仲間を集めて志々雄なりの楽しい国盗りの遊びをしていたとしてもです。遊びと言うのも変ですが、どう見てもどこまで本気だったかよく分からないような気もするし、命さえちっとも惜しんではいなかったようにも見えたのです。
戦いに出向く前に高荷恵が言った、命を粗末にしないで持って帰れ的なセリフは何気に、この志々雄たちの比較に生きたように思いました。
もしも命をもっと惜しんでいたら、戦いになる場所には体を冷やす何らかの手立てを用意していたのではないのかと思っても仕方のない事を思ってしまうのでした。たとえ自分の強さに傲慢であってもやるべき仕事に執着があれば、やはりその命にも執着するはずだたのでは。
―終わるんだ、やっと。
そう私は思いました。
人斬り抜刀斎と言う男が居て、志々雄真実と言う男がいた 。
二人は修羅の道を、正義のためと思って歩んでいた。
それぞれの人との出会いがあって様々な出来事があって、一人は伝説と言われ剣心となり、一人は亡霊と言われ、地獄の業火に焼かれ続けた・・・・
なぜ!?
このような事を考える人もいないと思うのですが、いったい人はどの地点まで笑っていられるんだろうなどと恐ろしい事をふと思ってしまったものですから、その最後はすこぶる怖くてインパクトの大きいものになってしまいました。
だけれど剣心が
「さよなら、志々雄」と言った時、なぜだか救われたような気がしました。
ところで映画に行く前に、少々ネット上の映画の反響を、時々リサーチしたりもする私です。
ただ前篇の「京都大火編」までは漫画やアニメで、その物語は知っていたのです。だから剣心が逆刃刀真打を手に入れるエピソードなども知っていて、その実写とアニメなどを脳内で比較していたかもしれません。前篇の感想になるわけですが、あそこはかなり刀狩の沢下条張が漫画チックながら剣心がシリアスで、剣が逆刃刀であったがゆえに殺さずの誓いを守れたわけで、実は・・・・と言う重いシーンであったわけですよね。
だけれど後編になる部分の物語は最後を知りたくなかったので、出来るだけネタバレをしていないなと言う感想を選んで読んでいました。
とは言っても、物語の流れ的には志々雄たちに何らかの最後が来る事は見えているわけなのですが。
その感想の中で、原作での志々雄たちの死んだ後の物語を知ったのです。どうせならそこまで見せてほしかったと言う言葉と共に。
それは志々雄を心から敬愛する方治が自害してその命を終わらせると、地獄で由美と志々雄が待っていて地獄の閻魔を相手に国盗りに向かう志々雄についていくと言うもの。
私はその後日談のような物語に、作者の志々雄に対しての愛を感じずにはいられませんでした。
と、ここまでほとんど一つのシーンの感想を書いてきたわけですが、そういう人もあまりいないかなとは思うのですが、みんなが同じスタイルじゃなくても良いよなと言うことで、自分らしくを貫いているわけです。
他のシーンで感想がないわけではありませんが、例えば、お庭番の翁は〈田中泯〉はガンダレフみたいだなとか思ってみたり、剣心が処刑になりかけて、その罪状を方治が読み上げるところとかなかなかキツイシーンだなと思いました。
良いシーンは結構いっぱいあって書ききれないわけですが、だから短い映画ではなかったのにまったく飽きなかったのですね。
冒頭、剣心の少年だった時代が描かれます。
京都大火編の終わりで出てきた謎の男は、剣心の師匠である比古清十郎でした。
志々雄が火のイメージならば、剣心は水のもしくは静かな風のイメージ。
京都大火の始まりと伝説の最後の始まり方は、動と静と言うようなそんな対比を感じたのでした。
佐藤君は剣心と完全に=になっていたように思いました。
だけど途中で書いた「伝説は最強伝説と勘違いしそう」ですが、もしもその勘違いの色眼鏡で映画を見てみると、志々雄が一番で次が比古清十郎・・・・?
いやいや、二人は戦ったことなんかないのですから分かりませんね。とにかく彼らが最強と言うことで終わりです。
ウィキ様、あらすじも詳しくって忘れちゃったときはそこを見るといいなと思いました。→ここです。