人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

自分が変わらないと相手は変わらない。

2015年12月16日 | お気に入りの言葉

  自分が正しくて、相手が変わってほしいと人は考えます。
片手では拍手できないように、自分が変わらないと相手は変わりません。
祈りに支えられて、わたしを変えていただく可能性を信じましょう。

バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より
 


感じる心。

2015年12月14日 | お気に入りの言葉

  日常の中で神さまはさまざまな慰め、喜びを与えてくださっています。神さまの愛はどこにでも満ちあふれています。それを受け入れる心があるかどうかなのです。道端に咲く一輪の野の花でさえ、感じる心があれば無限に何かを語りかけてくれます。神さまの慈しみに気づいていく心を培い、神さまに感謝することによって心はより豊かになっていきます。

バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より


傲慢のしるし。

2015年12月13日 | お気に入りの言葉

 あの人はこういう人だと決めつけて型にはめてしまっていると、相手がそこから外れたとき、驚きます。それは傲慢のしるしです。どんな人からもすばらしいもの、いただくものがあります。型をはずして相手を自由に見たときに、自分も相手も成長していくことができます。

バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より


祈り。

2015年12月12日 | お気に入りの言葉

 神さま、わたしたち一人ひとりはあなたに招かれた存在です。あなたからいただいたいのちが、今、人びとの中、家庭の中、職場の中、植えられたところに美しい人間として咲くことができますように、どうぞわたしたちの心を培ってください。

 あなたはわたしたち一人ひとりをご存じです。どうぞあなたの手のひらに刻んで、豊かに祝福してください。

主 、キリストによって。

バレンタイン・デ・スーザ著 「やさしさの愛につつまれて」より


関東学院③

2015年12月10日 | 日記

 関東学院在学中は、りっぱな校訓があったにもかからわず、残念ながら興味がなく遊んでばかりで過ごしてしまった。しかしこの大学に入ったことで、一生の仕事と出会うことになる。

 当時大学受験を控えていた私は、関東学院に行く気はなかった。募集も既に終わっていたと思っていた。ところが父がたまたま新聞を見ていたら、募集の広告がでていた。それで父に勧められ、受験した。

 受験したといっても内申書を送っただけのこと。

 私が入学する1970年は、前年には東大安田講堂事件などがあり、大学紛争真っ只中の時、関東学院も例外ではなく、そのために入学試験を実施することができなかった。その年は内申書だけの審査となっていた。、それでとりあえず内申書を送ったように思う。結果、合格し、決めてしまった。

 父は、叔父が横浜で金属熱処理の会社を経営していたので、そこで面倒を見て貰い大学に通えばと思い、以前からこの大学を考えていたようだ。結局これが契機となりその後、鳥取に帰ってからも金属熱処理の仕事をし、一生この仕事をすることになった。そういう意味でこの学校は、私の一生に、大きな影響を与えた学校と言える。

信仰の面では、特に大学で影響を受けたとは思ってないが、後年、クリスチャンとなり、好んで内村鑑三などの教えを学んでいることを思うと、この大学に縁があったことに、神の摂理のようなものを感じる。


関東学院②

2015年12月09日 | 日記

  関東学院の第一回の入学式(大正8年 1919年)の様子が記されている。
この時、建学の精神『人となれ』『奉仕せよ』が祈りにより定められたとされている。
以下、坂田祐著「恩寵の生涯」より

・・・従来ミッションスクールは入学式とか卒業式などには、日本の国旗を掲げないで米国の国旗を掲げるのが多かった。聖書の朗読、讃美歌の合唱はあったが、教育勅語の奉読、国歌君が代の斉唱はなかった。これは私の気に入らないことであった。関東学院はキリスト教主義の学校ではあるけれども、日本の学校で、日本人を教育するのであるから、この創立第一回の入学式に、日の丸の国旗をたて、君が代を斉唱し、教育勅語の奉読し、聖書朗読、祈祷をもって挙式した。私は式辞にキリスト教の精神を高調して建学の精神とし、これを具体的に表現するために『人となれ』と力説した。これは私が祈って上から示された言葉であった。『・・・諸子は将来学者になり、教育家になり、実業家になり、政治家になり、弁護士になり、医者になり、軍人になり・・・になるであろうが、何者にかなる前に、まず人にならねばならない・・・・』と強調した。

 次に述べたことは『奉仕せよ』であつた。人のために、社会のために、国のために、人類のために尽くすことであると力説した。爾来キリスト教の精神をもって本学院建学の精神とし、これを具体的に表現するために『人となれ』『奉仕せよ』の二つの言葉を校訓として、機会ある毎にこれを強調して今日に至ったのである。

 キリストの教訓をもって人たる人格をみがき、キリストの愛の精神をもって奉仕することである。入学式をもって、ここに学校は開始された。・・・・


関東学院①

2015年12月08日 | 日記

 最近、「恩寵の生涯」という本を読み感動する。
これは、わが母校(関東学院)の創設者とされる坂田祐の回顧録、自叙伝のようなものである。
 坂田祐は、内村鑑三の弟子で、学校の創立(大正8年・1919年)にあたり、まず最初に内村鑑三に報告し指導を仰いだとされている。
以下、坂田祐著「恩寵の生涯」より
・・・・横浜に新設される学校の創立、経営の責任を負うことになった。
まず第一に、恩師内村先生に報告して指導を仰いだ。
 先生は云われた。『大いにやれ、いくらミッションの補助で立つ学校であっても日本の学校であり、日本人を教育する学校であることを忘れるな。
日本には立派な武士道がある。この武士道の上に築き上げられたキリスト教が建学の精神でなければならない。
できるだけ早く独立すること、経済上の独立なくして思想の自由も、信仰の自由も得られない。相当の待遇を受けても、決して卑屈にならぬよう。宣教師の下に働いている牧師、伝道師の中には、聖職たる自尊心を失い、宣教師の雇人のごとく、あたかも奴僕のように駆使されているのを見て、憤慨を禁じえないことがあるが、君の学校では、かようなことが、決してないように・・・・』と、以上のような意味のことを話されて激励され、新しい働きへの門出を祝福して下さった。

 


イエス・キリストを友とするまでは、満足はない。

2015年12月05日 | お気に入りの言葉

  わたしは六十二年と五ヶ月、愛する妻と共に生活した。しかしわたしは今九十二才で、ひとり残されている。わたしは自分のへやを歩き廻りながら、いつも隣在したもうイエスに目を転じ「主イエスよ、わたしはひとりです。だがたった一人ではありません。あなたはわたしと共においでになる。あなたはわたしの友でおいでになる。主よ今わたしを慰めわたしを力づけ、わたしに必要と見たもうすべてのものを、この憐れむしもべにに与えたまえ」と言う。わたしたちは主イエス・キリストを経験的に知り、彼をたえず友とするようになるまでは、決して満足することはない。たえず友とするということは、いつも、あらゆる境遇の下に、わたしたちの友として経験することである。-ジョージ・ミュラー

カウマン夫人著 荒野の泉より