どんな幸福な生活にも数多く起る試煉や心労を、耐えがたい重荷だと頑張るか、
それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神から授けられた機会だと見るかは、
ものごとの感じ方として大きな相違である。そして結局、この感じ方次第ですべてが決まるのである。
この後の方の見方は、もちろん信仰があって初めてできることであり、
またそれが信仰の最も明らかな利益の一つでもある。
希望
十字架は重いが、ふしぎなことに、
おまえがそれを担うやいなや、それがおまえを担ってくれる。
初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ。
この道を進むものは「勇者」と呼ばれる。
おまえの力は小さくても
おまえが帰依した主の力は偉大だ。
おまえの星はくらい夜空に輝きわたり、
今日は死に――明日はいのちによみがえる。
眠られぬ夜のために ヒルティ著より