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イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

誉れと栄光を求める心

2012年08月09日 | お気に入りの言葉

今日の詩篇明日の詩篇 羽鳥明著より
誉れと栄光を求める心

高く上げることは、東からでもなく、
西からでもなく、荒野からでもない。
それは、神が、さばく方であり、
これを低くし、かれを高く上げられるからだ。(七五・六、七)

私たちの心の中には、誉れを求め、栄光を追求する心がないでしょうか。
これは決して、卑しめたり、ないがしろにしたりすべきことではありません。
誉れや栄光を求める気持ちは、食欲や性欲と同様、神が与えてくださった心の願望だと思います。
ですから、子供を正しく育てるポイントの一つは、この心の欲求を梃子として、人間の尊厳としての誉れと
栄光を正しく求める人となるように育てることにあるではないでしょうか。
愛すること、きよく生きること、仕えることなどに誇りを持たせることです。
 ところが、この心の欲求がねじけたり、間違ったものになると、たいへんです。
高ぶりは人生を腐らせるばい菌です。学歴や権力や富わ誇るところに、
試験戦争、。権力闘争、経済戦争という、すべての戦争が起こってきます。
何を誉れとし、何を栄光として求めていくかが私たちにとって問題です。
本当の誉れは、人が与えるものでも、自分が認めるものでもありません。
神が与えてくださるものです。ですから私たちは、人前の誉れではなく、神の誉れ、神に喜んでいただくことを求めるべきです。
そのためには「神を知る」必要があります。神のきよさ、力、その愛と恵み、そのご計画を知ることこそ、
勝利の人生への鍵ではないでしょうか。
聖書にはこう書かれています。「主はこう仰せられる。『知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを』」
(エレミヤ九2324)

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