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幸せの雲と整体師  

呉市広の整体院 木村です。
(腰痛、肩こり、生理痛、不妊症など)
とびしま街道やランチなどの日記です

宇津神社から御手洗

2009-01-12 23:40:52 | 蒲刈・とびしま海道
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とびしま街道の久比という町にこんなループ橋があります。
ここをずっと登っていくと一峰寺公園という展望の良いところにいけます。
今回は風も強いのでまた次回に。



立派な狛犬は宇津神社。











この日も遠くの空には幸せの雲が。
冬になってから、絵に描いたような雲を良く見かけます。



御手洗の満舟寺の石垣。その横にパブスナックがあります。
日本一安い定食、てんぷらなどいろいろ、500円とあります。



店はこんな感じ。お好み焼きの後ですから今回は入りませんけど、
ちょっと興味ありです。



整体院のHP → 

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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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狛犬 (ohisama)
2009-01-13 08:49:25
金星さん、おはようございます。
立派な狛犬ですが、比較的新しい物ではないでしょうか。
といいますと、我が隣町の神社にあった狛犬は、ちょうどこんなふうに鞠(?)を抱えていて、4~5年前に献上とのこと、狛犬の姿も時代に左右されるのかと思っていました。
あまりに新しくて風格は感じられなかったけど(笑)
この狛犬も、風雨にさらされ苔生して次第に貫禄ある狛犬になるのでしょうね。
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ohisama様 (孤島児)
2009-01-13 11:42:27
狛犬について早速、宇津神社へ行って参りました。
お説どうり、宇津神社の古暦からすると新しい物で
弘化3年(1846)奉献ですから、163年しか風雨に晒されてはいません。
然し、瀬戸内海で周囲20キロばかりの孤島ですから
そのわりには立派だと思っている訳です。
宮司さんと話しましたが、
江戸や京でもそうそう何処でもは無いようです。
狛犬が社殿の守りに置かれた歴史は浅く、近世になってのことだそうです。

台座194,5センチX143,5センチ、
高さ、272センチで、、鞠の直径50センチです。
僕は石造美術としても狛犬の姿が他所のよりイイっと思っています。

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孤島児さんへ (ohisama)
2009-01-13 15:50:09
はじめまして。
早速調べに行ってくださったのですね。
いつも金星さんのブログで、孤島児さんのコメント拝見していますが、研究熱心で感服していました。

宇津神社の狛犬が、163年前に奉献されているとは長い歴史がありますね、こちらはたかだか10年前のもので足元にも及びません、今から100年後には、今の宇津神社のような風格がでるのでしょうか。
鞠を抱く狛犬は、私のブログ2006年6月17日に記事にしました。
そのほか06年6月16日~18日、07年6月1日、10月26日、08年8月19日に記事にしています。
興味がありましたら覗いてみてください。
駒犬の写真を撮るようになったのは、あるブロガーさんの記事の影響ですが、どこの神社にもあるというものではありませんね。
神社の傍を通るとつい狛犬を探す目になってしまいます(笑)

金星さん コメント欄お借りしました。ありがとうございました。
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守りと使い (孤島児)
2009-01-13 19:51:57
通常の神社では社殿を守る意味で阿吽の狛犬が置いています。
向って右が口を開けていて左が口をつむいでいます。
お寺さんの仁王様も阿吽の仏像が山門の左右にいます。

お稲荷さんでは、お遣いの狐がいます。
天満神社では牛が使いにいますね。

このような神社には宮司様、禰宜さまがおられます
これらが揃って無いところは兼務社で、社格が低いか地域の繁栄が言うほどでもないようですね。
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金星様 (孤島児)
2009-01-13 19:59:22
紙面をお借りして雑談を書き込ませて頂くご無礼をお許しください、
ohisama様。目にとまり光栄です。瀬戸内海の孤島住まいに年を重ねる者です。やっと半島住まいになりました。
北の大地は2度しか行ったことが有りませんが
鈴木宗男代議士の細君が我が島の出身ですから身近に思いますよ。
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満州寺石垣 (孤島児)
2009-01-13 23:09:45
観光用ガイド言質では秀吉の四国攻めの折、前線基地に加藤清正が築いた石垣だとか言いますが、清正公の清良記にはそのような事実はありません。史実では、秀吉の命を受けた毛利、小早川軍3万は天正十三年七月14日三原より新居浜に直接出撃しており金子城が落城するまでの様子は金子家菩提寺である慈眼寺史に詳しく書き残されています。ここは江戸期になって芸州に編入され、伊予との接点の守りの砦に海の関立て跡を福島正則が砦として築き上げ、最近まで荒れ果てていた石垣と塀を観光用に修築したのがこの写真の姿です。
大長の宇津神社とは歴史のスパンが掛け離れて違います
返信する
人生の目次 (孤島児)
2009-01-14 17:21:08
宇津神社の狛犬前には島人の思い出と人生の目次が刻まれています。
生まれた時からお宮参り。小学校に行き帰りの遊び場、
祭り、正月、
小学校6年で、始めての受験に願掛け、お守りを懐に、
以後、受験の度に至らぬ自分を助けてもらったようです
帰郷後は祭り、櫓に威勢を、弓に武威を、
そして結婚式、いろんな思い出を神様は知っておられます。。島のワルンボはここに目次を刻んだのです、

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