幸せの雲と整体師  

呉市広の整体院 木村です。
(腰痛、肩こり、生理痛、不妊症など)
とびしま街道やランチなどの日記です

福岡の旅(大宰府天満宮)

2006-08-26 14:46:29 | 家族
23日、24日に家族で福岡旅行に行ってきました。
今回は、長男の希望で大宰府天満宮にいくことになりました。

朝、4時に出発して8時半頃には下関の関門海峡に到着しました。
この橋、安芸灘大橋と比べると長さは安芸灘の方が長いです。



9時半には大宰府に到着
この参道の雰囲気がいいです。石畳が歩きやすく、
おみやげもの店も既に空いています。



とおりには古い建物も多く、ここを歩いているだけで
穏やかな気持ちになれる場所です。
観光客の人はまばらです。一年のうちかなりの人が正月に
訪れます。次に多いのは受験の時期です。
暑い夏は、少ない時期になります。



ハイカラなコーヒー専門店です。
屋根に銅の緑色が強く出ていて、かなり古い建物のようです。



鳥居を過ぎたら右にある施設でボランティア観光ガイドの方と
お会いしました。
事前に予約が必要なので前の日にメールで依頼しておきました。
高知の時もですが、ボランティアガイドの人と歩くと
とてもよくわかります。
耳、目、両方から感じとると歴史の重ささらに増して感じられます。



この大きなクスノキは天然記念物でこちらの天満宮には別の場所にも
二本の大きなクスノキがあります。



裏側にまわってみると大きな空洞が・・・
この場所には柵がしてあるので他の人ははいりません。
ボランティアガイドの人の案内なのではいれました。

今回のボランティアの人は、前に呉のIHIに勤めていた人だそうです。
定年後、ボランティアとしてガイドを務めています。



心字池。心の字をかたどった池です。そこには
太鼓橋があり、三つの橋は、過去、現在、未来をあらわしています。
さだまさしの歌にもありました

心字池にかかる三つの赤い橋
ひとつめが過去で、二つ目が今、三つ目の橋で
転びそうになった時、初めて触れた君の指 (たぶんこんな詩でした)
 


本殿に入る前に手を洗いますが、この横に飲める水がでています。
これもガイドさんがいないとわかりません。
軟水で癖のない、冷たい水です。

この楼門は、最初のものは石田三成が作ったそうです。
祀られている菅原道真公は天皇に使え学問、武術ともにすぐれ
特別は速さで出世しましたが、あるとき大宰府に左遷されました。
優れた才能が妬まれた結果だといわれています。
しかし、その後も腐らずに勤めました。



幕末の佐幕派、勤王派に分かれた戦いの頃、
長州の高杉晋作や薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬などが
この地に集まって会合を開いたという話もあります。
上の写真は本殿の裏側です。
表は派手な色で塗られていますが、裏側は出雲大社と同じように
そのままです。これはこれで趣があっていいです。



903年2月25日、菅原道真公は生涯を終え、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、
間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
この地を菅原道真公のお心として墓とし、その場所に現在たっているのが本殿です。

学問の神様として、絵馬には「希望大学に合格しますように」と書いたものが多く見られました。



本殿の右に立っているのが「飛梅」です。
菅原道真公は梅を好んでたくさんの句を詠みました。

東風吹かば 
にほひおこせよ 梅の花 

あるじなしとて春な忘れそ 

梅の花が天神様を慕い、一夜にして都から飛んできたといわれています。
学問といっても学ぶべきは5歳の頃から歌を詠んだといわれる
この感受性なのでしょう。
受験ではないような気がします。

たくさんある梅の花の中で、この飛梅が一番に咲くそうです。
梅の香がする頃に、もう一度訪れてみたい場所です。
コメント (2)
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