木のつぶやき

主に手話やろう重複の仲間たちのこと、それと新聞記事や本から感じたことを書き込んでいきます。皆様よろしくお願いします。

手話を学ぼうという聴者が増えないのはなぜ?

2010年03月18日 00時59分26秒 | Weblog
1.先日大学のクラス会があり、高校の先生をやってる男から聞いた話。
「生徒は全然学ぶ気がない。ただ板書を自分のノートに書き写しているだけ。自分で考えさせようと思って板書をやめたら、ホントにぼーっと前を見ているだけになった。」

2.障害者自立支援法によって手話通訳派遣が市町村に降りて、どこの自治体でも「手話通訳派遣」を(中身は「県への丸投げ」だろうとなんだろうとともかく)やるようになった。しかし私の住む市では10年続いた手話奉仕員養成講座が予算削減のあおりを受けてとうとう閉講になった。「奉仕員養成」では一人の「手話通訳者」も生み出すことができなかったのだ。手話通訳者養成の難しさを知っている者なら、そりゃ当たり前だろう!(奉仕員と手話通訳者の間には大きなレベルの差がある)というだろうけど、市の財政担当者から見れば「10年やって全く成果のなかった(無駄な)事業」としか見えないのだろう。
 「派遣」を市町村に下ろすなら、それに見合った市町村レベルの「者養成」システムをセットで行政に提示しなければならなかったんだろうなぁ~、ろうあ運動は。行政から見たら同じように予算を付けてきた「奉仕員養成」でどうして「手話派遣」できる技術を持った「ボランティア」が育たないんだ!と思うのは仕方ない面があると思う。
 自立支援法がスタートする段階で、運動側から「派遣」制度を支えるために不可欠な「養成」について市町村へのアピールと予算獲得が足りなかった。そしてそれ以上に「手話通訳者」を市町村レベル(やり方は県への丸投げでも良かった。)で「養成」できるだけの力量がろうあ運動側になかったんだよな、と僕は今思う。
【追記】
 この話ってどっかで同じようなことを思ったなことがあるな?と振り返って見たら「士」制度ができあがったときだった。
 あの時も60年報告(中間報告)では、不十分ながらも養成・認定・設置・派遣というトータルな手話通訳制度の必要性を指摘していながら、結局最終的にできあがったのは「認定」制度だけだった。これじゃ手話通訳制度なんて呼べない!と当時怒りと脱力感を覚えたことを思い出した。
 国がこれから新たに始まる制度に必要な人材(手話通訳士)の「養成」の責任を放棄して「資格認定」だけやってやるから勝手に勉強して手話通訳士をめざせっていうのも無責任だと思うし、まして「設置」も「派遣」もないなんて・・・と当時(平成元年頃)思った。
 今回、自立支援法で「派遣」を言うなら、もう一度国や地方自治体の責任でその人材(=手話通訳者)の「養成」をやるべきだったと思うけれど、相手(国・地方自治体)から見たら「もう(士制度開始以来)20年もやってきたのに(奉仕員養成開始から見たら40年? 新厚生省カリキュラムから10年?)、一向に手話通訳士(者)が増えないのはどうしたことか?」と見えるのだろう。だっから市町村レベルの奉仕員養成は「者」を育ててないし!と思うのだ。
※上記「厚生省カリキュラム」のリンク先は「埼玉県手話サークル連絡協議会」さんのホームページの「例会ネタ」に掲載されているページです。

3.そんなこんなで今「手話を学ぼうとする聴者」は全然増えていないんじゃないだろうか?それはどうしてなんだろうか?ということを近頃いつも考えている。そんな時に内田樹の「下流志向」のことを思い出した。今時の若者は「学ばない」んだった。勉強嫌いだった。「手話の勉強してそれがいったい何の役に立つの」と思うんだった。

4.毎日もやもやと「どうしたら手話を学ぼうとする人が増えるだろうか?」と考えていたら、地元の通研の役員から「一緒にやりませんか」と声がかかった。「来年はまだほかの肩書きがあるから無理ですよ。役員会もぶつかってるじゃないっすか?」と断ったものの「ホームページの管理だけでいいから」と説得されて撃沈。引き受けることにしました。22年度は通研の活動を通して「手話を学ぼうとする人」「手話通訳者をめざす人」を一人でも増やしていけたらいいなと思っています。
【追記】
埼玉県手話サークル連絡協議会のホームページは充実した内容ですねぇ~驚きました。
 私は県通研の役員に参加するにあたって楽しみにしていることの一つが県下の手話サークルの組織化?(横の連携強化)です。手話サークルを基盤に育ってきた「聴者にとってのろうあ運動」は結局初心に返って手話サークルをどう面白くしていくか?にかかっているような気がしています。
コメント
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