かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

牛鬼と四ツ太鼓

2008-10-11 10:47:17 | 田舎の生活
澄み渡った青空の下、三崎祭りのメインイベントの『牛鬼と四ツ太鼓』が行われました。
牛鬼は宇和島のものが全国的にも有名だろうと思いますが、それが四ツ太鼓と対決をするというのは、南予地方のいくつかの地域で行われているようですが、全国的には珍しいのではないかと思います。
これは三崎の住民が東地区と西地区に分かれて、東地区は住吉様が応援する牛鬼(平家)、西地区は義経の四ツ太鼓(源氏)ということで、三崎港前の広場を東と西に分かれてしばらく練り歩いた後、両者が対決するというものです。
対決といったって、どうやって対決するのか、見たことのない方は分からないと思います。
いわば『異種格闘技』のようなものですから。
私も子供の頃、この対決を見ていてもどういう意味・ルール・判定方法があるのかわかりませんでした。
このイベントの雄、牛鬼は、毎年青年達によって竹と縄で作られるのだそうです(首・頭は別ですが)。そして、首の上の頭は、鬼を表して一部赤く塗られており、片方の角にはお札(住吉様?)がくくりつけられています。この首は、取り外し自在で丸太を支柱にして左右・上下に動くようになっています。
尻尾は剣にかたちどられており、白幣がつけられています。

≪牛鬼の頭部≫

≪牛鬼の胴体・尻尾≫

いっぽう、四ツ太鼓は小学生の男の子4人が、枡形の太鼓台部分に座り、リズムよく太鼓を打ち鳴らします。

≪四ツ太鼓≫

太鼓台には何本もの笹に色とりどりの紙がくくりつけられ、さながら七夕満開状態です。

 では、写真を交えながら牛鬼と四ツ太鼓の対決を簡単に再現してみます。


≪牛鬼と四ツ太鼓の練り歩き≫

東と西に分かれて、牛鬼と四ツ太鼓が「オーラア ラッセイ」(と聞こえた)との掛け声とともに広場を練り歩きます。

その後、まず牛鬼の首が取り外されます。

≪写真左に外された首が運ばれている≫

こうして牛鬼は、広場に設置された丸太を格子状に組んだ大きな足場をたよりに、お尻を上にして高く立ち上げられます。


何本もの丸太棒で支えながら徐々に高く持ち上げられます。首なし牛鬼の倒立状態です。この作業はなかなか大変だなあと思いながら見ておりました。
なかなかの緊張感が走ります。
十分に持ち上げられ、まっ逆さまになったところで、四ツ太鼓の登場です。


四ツ太鼓は、前方の担ぎ棒が長く伸びており、バランスをとりながらこちら側を高く立ち上げて行きます。


そして、両者ががっぷり四つに組んだところで、牛鬼を支えていた丸太棒が外されていき、いよいよ決戦です。この状態でも、四ツ太鼓に乗った少年たちは、太鼓を打ち続けていますが、さすがに一番上に座っている子供は、身体を支えるのが精一杯のようです。



両者がしばし競り合って(バランスをとって)から、やがて一気に倒されます。
この時は、なかなかの迫力です。


そして、両者が地面に倒れた時、上に重なったほうが勝ちになるのだそうです。
この回は牛鬼が勝ったようです。これを何回か繰り返すのだそうです。


≪牛鬼の凱旋でしょうか?≫

その結果、勝ち星の数でその年の勝敗を決めるのだそうです。ご利益はというと、東地区(牛鬼)が勝てば大漁、西地区(四ツ太鼓)が勝てば五穀豊穣だそうです。平家(牛鬼)対源氏(四ツ太鼓)の合戦になぞらえているそうですが、なんだか、漁師対農民のせめぎあいみたいでもあります。
なお、今年の対決は4回行われたそうで、牛鬼が勝利をおさめたそうです。

この「牛鬼」、地元では昔から「オショニン(ウショニン)」と呼んで、親しまれております。


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