澄み渡った青空の下、三崎祭りのメインイベントの『牛鬼と四ツ太鼓』が行われました。
牛鬼は宇和島のものが全国的にも有名だろうと思いますが、それが四ツ太鼓と対決をするというのは、南予地方のいくつかの地域で行われているようですが、全国的には珍しいのではないかと思います。
これは三崎の住民が東地区と西地区に分かれて、東地区は住吉様が応援する牛鬼(平家)、西地区は義経の四ツ太鼓(源氏)ということで、三崎港前の広場を東と西に分かれてしばらく練り歩いた後、両者が対決するというものです。
対決といったって、どうやって対決するのか、見たことのない方は分からないと思います。
いわば『異種格闘技』のようなものですから。
私も子供の頃、この対決を見ていてもどういう意味・ルール・判定方法があるのかわかりませんでした。
このイベントの雄、牛鬼は、毎年青年達によって竹と縄で作られるのだそうです(首・頭は別ですが)。そして、首の上の頭は、鬼を表して一部赤く塗られており、片方の角にはお札(住吉様?)がくくりつけられています。この首は、取り外し自在で丸太を支柱にして左右・上下に動くようになっています。
尻尾は剣にかたちどられており、白幣がつけられています。
≪牛鬼の頭部≫
≪牛鬼の胴体・尻尾≫
いっぽう、四ツ太鼓は小学生の男の子4人が、枡形の太鼓台部分に座り、リズムよく太鼓を打ち鳴らします。
≪四ツ太鼓≫
太鼓台には何本もの笹に色とりどりの紙がくくりつけられ、さながら七夕満開状態です。
では、写真を交えながら牛鬼と四ツ太鼓の対決を簡単に再現してみます。
≪牛鬼と四ツ太鼓の練り歩き≫
東と西に分かれて、牛鬼と四ツ太鼓が「オーラア ラッセイ」(と聞こえた)との掛け声とともに広場を練り歩きます。
その後、まず牛鬼の首が取り外されます。
≪写真左に外された首が運ばれている≫
こうして牛鬼は、広場に設置された丸太を格子状に組んだ大きな足場をたよりに、お尻を上にして高く立ち上げられます。
何本もの丸太棒で支えながら徐々に高く持ち上げられます。首なし牛鬼の倒立状態です。この作業はなかなか大変だなあと思いながら見ておりました。
なかなかの緊張感が走ります。
十分に持ち上げられ、まっ逆さまになったところで、四ツ太鼓の登場です。
四ツ太鼓は、前方の担ぎ棒が長く伸びており、バランスをとりながらこちら側を高く立ち上げて行きます。
そして、両者ががっぷり四つに組んだところで、牛鬼を支えていた丸太棒が外されていき、いよいよ決戦です。この状態でも、四ツ太鼓に乗った少年たちは、太鼓を打ち続けていますが、さすがに一番上に座っている子供は、身体を支えるのが精一杯のようです。
両者がしばし競り合って(バランスをとって)から、やがて一気に倒されます。
この時は、なかなかの迫力です。
そして、両者が地面に倒れた時、上に重なったほうが勝ちになるのだそうです。
この回は牛鬼が勝ったようです。これを何回か繰り返すのだそうです。
≪牛鬼の凱旋でしょうか?≫
その結果、勝ち星の数でその年の勝敗を決めるのだそうです。ご利益はというと、東地区(牛鬼)が勝てば大漁、西地区(四ツ太鼓)が勝てば五穀豊穣だそうです。平家(牛鬼)対源氏(四ツ太鼓)の合戦になぞらえているそうですが、なんだか、漁師対農民のせめぎあいみたいでもあります。
なお、今年の対決は4回行われたそうで、牛鬼が勝利をおさめたそうです。
この「牛鬼」、地元では昔から「オショニン(ウショニン)」と呼んで、親しまれております。
牛鬼は宇和島のものが全国的にも有名だろうと思いますが、それが四ツ太鼓と対決をするというのは、南予地方のいくつかの地域で行われているようですが、全国的には珍しいのではないかと思います。
これは三崎の住民が東地区と西地区に分かれて、東地区は住吉様が応援する牛鬼(平家)、西地区は義経の四ツ太鼓(源氏)ということで、三崎港前の広場を東と西に分かれてしばらく練り歩いた後、両者が対決するというものです。
対決といったって、どうやって対決するのか、見たことのない方は分からないと思います。
いわば『異種格闘技』のようなものですから。
私も子供の頃、この対決を見ていてもどういう意味・ルール・判定方法があるのかわかりませんでした。
このイベントの雄、牛鬼は、毎年青年達によって竹と縄で作られるのだそうです(首・頭は別ですが)。そして、首の上の頭は、鬼を表して一部赤く塗られており、片方の角にはお札(住吉様?)がくくりつけられています。この首は、取り外し自在で丸太を支柱にして左右・上下に動くようになっています。
尻尾は剣にかたちどられており、白幣がつけられています。
≪牛鬼の頭部≫
≪牛鬼の胴体・尻尾≫
いっぽう、四ツ太鼓は小学生の男の子4人が、枡形の太鼓台部分に座り、リズムよく太鼓を打ち鳴らします。
≪四ツ太鼓≫
太鼓台には何本もの笹に色とりどりの紙がくくりつけられ、さながら七夕満開状態です。
では、写真を交えながら牛鬼と四ツ太鼓の対決を簡単に再現してみます。
≪牛鬼と四ツ太鼓の練り歩き≫
東と西に分かれて、牛鬼と四ツ太鼓が「オーラア ラッセイ」(と聞こえた)との掛け声とともに広場を練り歩きます。
その後、まず牛鬼の首が取り外されます。
≪写真左に外された首が運ばれている≫
こうして牛鬼は、広場に設置された丸太を格子状に組んだ大きな足場をたよりに、お尻を上にして高く立ち上げられます。
何本もの丸太棒で支えながら徐々に高く持ち上げられます。首なし牛鬼の倒立状態です。この作業はなかなか大変だなあと思いながら見ておりました。
なかなかの緊張感が走ります。
十分に持ち上げられ、まっ逆さまになったところで、四ツ太鼓の登場です。
四ツ太鼓は、前方の担ぎ棒が長く伸びており、バランスをとりながらこちら側を高く立ち上げて行きます。
そして、両者ががっぷり四つに組んだところで、牛鬼を支えていた丸太棒が外されていき、いよいよ決戦です。この状態でも、四ツ太鼓に乗った少年たちは、太鼓を打ち続けていますが、さすがに一番上に座っている子供は、身体を支えるのが精一杯のようです。
両者がしばし競り合って(バランスをとって)から、やがて一気に倒されます。
この時は、なかなかの迫力です。
そして、両者が地面に倒れた時、上に重なったほうが勝ちになるのだそうです。
この回は牛鬼が勝ったようです。これを何回か繰り返すのだそうです。
≪牛鬼の凱旋でしょうか?≫
その結果、勝ち星の数でその年の勝敗を決めるのだそうです。ご利益はというと、東地区(牛鬼)が勝てば大漁、西地区(四ツ太鼓)が勝てば五穀豊穣だそうです。平家(牛鬼)対源氏(四ツ太鼓)の合戦になぞらえているそうですが、なんだか、漁師対農民のせめぎあいみたいでもあります。
なお、今年の対決は4回行われたそうで、牛鬼が勝利をおさめたそうです。
この「牛鬼」、地元では昔から「オショニン(ウショニン)」と呼んで、親しまれております。