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かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕の心細道(155:ネパールⅢ編-第十一章)

2012-12-18 15:25:38 | 旅行
-7日目(1993年1月1日)-
6時半頃目が覚めたが、起きずにベッドに横になったまま。
7時頃起きて、梱包をすまして食堂へ。
朝食前にティーをいただく。
この後、おかゆができるまでの間、朝の散策に出かける。


元旦のナムチェ・バザール


8時過ぎに食事となり、いつものようにおかゆとゆで卵をいただく。
9時前出発。
砂埃の道を下っていく。
9時半頃 エベレスト・ビュー・ショップ到着。


さようなら エベレスト!


10時前ドゥード・コシの橋に到着し、休憩となる。

見上げればゾッキョ

この後はしばらく河原の道を進む。
10時半 ジョーサレに着き、ティータイム。





この後、小さなアップダウンを繰り返しながら楽なルートがつづく。
午後1時半 パグディンに到着。
ヌードルとビスケットの昼食。
すでにナヤンさんが先回りしてくれていて皿やビスケット、ティーがテーブルに並べられていた。
シンプルな昼食だけど、旨かった!



2時に出発。
ここからは徐々に上って行く。
村を通過するごとに、往路で通った時の記憶が少しずつよみがえる。
楽しみにしていた目的地まで行っての帰りのせいか、みなさんも無口で歩を進める。
この後も2~3度休憩してゆっくりゆっくり進む。
タンボチェでいっしょだった外人さんと抜きつ抜かれつ。
そして、午後5時過ぎルクラのロッジに到着する。
ロッジに到着する前に、少年が出迎えてくれた。

6時過ぎから夕食となり、カレー(野菜、ヤギ肉入りの2種)、ライスをいただく。
みんなリラックスしてにぎやかに食事が進む。
ある人は日本から持ってきたぜんざいを食べるなど。
ネパール地酒“チャン”(米で作ったもの)をいただく。
このお酒は珍しいので、正月にしか飲まないそうだ
7時過ぎに食事を終え、私は2階のベッドルームへ引き上げる。
けれど、少々物足りなさを感じたのでベッドメイキングの後、再び1階の食堂へ。
ロキシー(ネパールの焼酎)を注文する。
最初冷たいのがでて、1口、2口飲んだのだが、いまいちだなあと思い、温めてもらう。
久しぶりに飲むロキシー。
やがて、持ち込みのスルメもなくなり、寝ることにする。
ルクラの夜空は雲に覆われていて星が見えない。
これで5日間のトレッキングも終わったなあ・・と眠りにつく。
     ≪つづく≫


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僕の心細道(154:ネパールⅢ編-第十章)

2012-12-08 12:57:57 | 旅行
-6日目のつづき-
午前10時40分、後ろ髪をひかれる思いでタンボチェを後にして、帰路に着く。
最初は緩やかな下り坂。
とはいえ、乾燥しているため砂埃がひどく、目、鼻、のどに負担がかかりそう。
下り坂が終わりになる頃、
ドゥード・コシ(川)手前にあるロッジで昼食かと思ったが、休憩だけだった。
橋を渡り、今度はゆっくりと上りはじめる。
昼飯かと思ったら違っていたので拍子抜けして元気がでない。
他の皆さんも口数が少ない。

上り坂途中で休憩。
  
村人たちが重そうな荷物を背負って上ってくる。
アマ・ダブラムがだいぶん遠ざかってきた。


     【タウチェ(6,542m)】

結局、昼食は昨日休憩した土産物店のある場所となった。


着いたのは午後1時過ぎ。
腹減ったぁ~。
カレーを注文する。
すると、ロッジのおばさんが畑へじゃがいもを取りに行くという。
「こりゃあ~ 時間がかかるぞ~」
ならば、胃袋をなだめにゃ・・と ビールを注文。


正面にはタムセルクがそびえる。



お客さんだよ~。


待つこと1時間半、午後3時前にやっとこさ出来上がり、食事となる。
ほとんどじゃがいもだけのスープ状カレー。
でも、まあまあ旨かった。

食事を終え、3時15分頃出発。
ほぼ横方向の道なのでずいぶんと楽になる。

あこがれのアマ・ダブラムに別れを告げ、ナムチェ・バザールを目指す。


やがてしだいに霧が出てきて、アマ・ダブラムもタムセルクも見えなくなった。
4時半頃ナムチェ・バザールの上方の丘に到着。
ここの見晴らしのいい場所にVisitor Centerがあり、そこに立ち寄ったのだが、
あいにくの霧で展望なし。
ナムチェ・バザールへと下りる。





今日はガイドのナヤンさんが気遣ってくれて、ヨーロッパ人の来ないロッジに泊まるとのこと。
5時半頃ロッジ到着。
ここも食堂もベッドルームもなかなか広い。

一休みしたら、夕食まで手持無沙汰となる。
ロキシー(ネパールの焼酎)が置いてあるかと期待したが、ないとのことで、懐かしのラム酒を注文する。
一人でチビリチビリ。
やがて、8時頃から夕食第一陣のヌードルスープが出される。
スープにあまり味がなく、辛味だけはある。
この後ライス、ボイルした野菜、
そして極め付けがモモ(本来チベット料理でギョーザのようなもの)。
ミンチ肉がおいしいとみんなに好評。
私も7~8個は食べたような気がする。
(写真がないのが残念。ネットで検索してみてください)
1992年の大晦日の満腹であった。
     ≪つづく≫

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僕の心細道(153:ネパールⅢ編-第九章)

2012-11-29 13:05:01 | 旅行
※最後に引越しのお知らせがあります

-6日目(1992年12月31日)-
6時過ぎ起床。
乾燥しているせいか、昨夜は鼻が詰まり口で息をしたため少々つらかった。
午前6時半頃からしだいに明らみ始めたので、ロッジの外に出て三脚をセットしてスタンバイ。
手が冷たいが、風があまりないのでかなり楽ではある。
谷のかなた、エベレスト方面に狙いを定める。




エベレストの東壁が朝陽に照らされる。

ここタンボチェの標高は3,867m。
ヒマラヤにあっては、この標高は“丘”程度であろうし、
ここからエベレストまでの水平距離は18キロで、まだまだ遠い。
それでも、こうして世界最高峰のエベレストや8,000m級の雄大な山々を眺めていると、
「ヒマラヤにいるんだ」という実感に浸れる。



カメラのシャッターを気のすむまでバシバシ押し、
天気も安定し、ほぼ満足したので、ロッジに戻り温まる。



それでも外が気になり、ちょくちょく見ていると、
ローツェの上におちゃめな雲がかかった。


8時頃から朝食となった。
今日もおかゆと卵。
食後、ゆっくりとした感じで休憩し、雄大な景色に囲まれたタンボチェを散策する。


【クワンデ】



みんなで記念写真を撮ったりして、のんびり過ごす。


エベレストとローツェの頂上から雪煙がたなびいてきた。


【アマ・ダブラム】


【ローツェ】


【エベレスト クリックで拡大】




【クリックで拡大】


【クリックで拡大】

名残り惜しいが、10時40分にタンボチェを後にして帰路に着く。
もっと時間と体力のあるトレッカーは、タンボチェからさらに7~10日間ほどかけて、標高5,500mのカラ・パタールへ行き、エベレストをもっとまじかに見られるのだが、
我々のトレッキングは、ここで引き返す。
     ≪つづく≫


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下記サイトへ引越し準備中ですので、そちらも覗いてみてください。
(しばらくは、同じ記事をUPし、併設の予定です)
よろしくお願いいたします。
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僕の心細道(152:ネパールⅢ編-第八章)

2012-11-19 12:08:14 | 旅行
-5日目のつづき-
プンキで昼食をとり、ゆっくり休んでから午後1時半に出発。
ここからは尾根沿いのルート標高差約600mをゆっくりゆっくり上る。
ナムチェ・バザールへの上りよりはゆったりして、それほどきつくないけれど、
標高が高いので、ゆっくり ゆっくり。

上っていくにつれ、タムセルクの左側にカンテガKangtega(6,685m)が新たに見えてきた。


午後2時過ぎ、尾根の途中で休憩となった。
カンテガをバックに・・がんばるぞ~! 


タムセルクは逆光になったので、ずっとカンテガを眺めながら高度を上げてゆく。

しだいに、“招き猫”に似てると思うようになってきた。 

【クリックで拡大】

もうタンボチェは近いと思う頃、下から霧が上がり始め ぐっと寒さを感じる。
しかし、風がないので厳しくはない。
ビスターリ ビスターリ

最後にやや急登のジグザグ道を上り終え、カンニ(仏塔門)をくぐるとそこはタンボチェ。




改築中のゴンパ、古いストゥーパ   ウーン。


ここは標高3,867m。富士山より100mほど高い。
しかし、霧が深く、周りは何も見えず。
3時40分到着。

ガイドのナヤンさんの指示で尾根の西方のロッジへ向かう。
今日のロッジは食堂と同室にベッドがあり、2段式。
1段に3~4人ほど横になれるようになっている。
荷物を下ろし、少し休んでから先ほどのゴンパへ散策する。
このゴンパ(寺院)は、1989年(この旅行の3年前)漏電により焼け落ちたそうだ。
それで、まだ建造中とのことで、内装はないとのこと。
昨日はちと胸が苦しいと感じたが、今日は快調。
ティーを飲んだりしながら休憩する。

やがて、霧が上がりかけたのでロッジへ引き返しカメラを抱えて再び外へ出る。
ふむふむ、アマ・ダブラムが霧の中からしだいに姿をあらわしてくる。
ローツェ、エベレスト方面はまだ霧が深い。
霧が晴れてくっきり見えてきた。


しばらく経ったところで太陽が射さなくなったが、まだ明るいし日没には時間が早い気がしたので希望を持って待機する。

よしよし、アマ・ダブラムの中腹あたりが明るんできた。


それそれ。
ぐーん 夕陽が照る。
きた きた!

【クリックで拡大】



しだいにピークへと残照が移動する。


【クリックで拡大】






       【カンテガ】


すっかり陽が落ち、寒さも増してきたので、そろそろロッジへ戻ることにした。

夕食は6時チョイ前から。
スープ、ヤクのおかゆ、野菜炒め。
毎日チビリチビリ飲んでいた成田空港の免税店で買ったウィスキーが、今日で空になった。
我々の食事の後、外人さん3人が食事。
さらにそのあと、我々をサポートしてくれているポーターさんも含め4~5人が食事。
ライスとタルカリスープのシンプルなものだが、彼らはよく食べる。食欲旺盛だ。
食後、寝る者は寝る、話す者は話す。
外人3人とポーターのうち一人の会話が弾んでいるようだった。
私は8時過ぎベッドに入る。


   ≪つづく≫


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僕の心細道(151:ネパールⅢ編-第七章)

2012-11-09 14:49:04 | 旅行
-5日目(1992年12月30日)-
6:30起床
カメラの準備をして、ロッジから東へ少し歩いたところでスタンバイ。
夜明け前の空気は冷たく、カメラを持つ手が冷える。

村を見下ろすように立ちはだかるクワンデKwangde(6,011m)の稜線に朝日が当たり始めた。





【クリックで拡大】


     【ナムチェ・バザールのメインストリート】

8時前から朝食が始まる。
プレーンのおかゆ、目玉焼きあるいはゆで卵、そしてパン。
ネパール・トレッキングの朝食はおかゆのことが多く、ほとんど味がない。
そこで、私は日本からウメボシ、ふりかけ、フキの漬物を持ってきていた。
これが同行の皆さんに好評であった。

食事を終え、8時半頃に出発する。
いきなりナムチェ・バザールの村をどんどん上る。




100mほどの高さを上ってからは、今度はほぼフラットな道になり、一気にエベレスト方向の展望が開けてきた。

そして、山腹を巻くようにほとんどフラットな道をトラバースすることになる。



やがて、初めてアマ・ダブラム(6,812m)が頭をのぞかせる。

      【写真右端】

かなたにはエベレストも見えている。



【クリックで拡大。右のピークがローツェ(8,516m)、左がエベレスト】

どんどん上流へ進み、ぐんぐんアマ・ダブラムが近づいてきて、やがて両肩が見えてくる。

【クリックで拡大】

見ることをとても楽しみにしていた山である。
アマ・ダブラム”とは、“母の首飾り”という意味だそうだが、
想像力の乏しい私には、どういう風にみればそう見えるのかよくわからないままであった。
とはいえ、カッコいい立ち姿である。

見とれながら、立ち止まっては写真を撮るので、みんなからどんどん遅れていく。
でもこのペースが自分にはグー であった。


11時頃ロッジに着いたのだが、昼食かと思ったら、ここは休憩のみだった。
道沿いの赤色の低木は、シェルパ語で“チェムディン”といい、赤色の実は食べられるとガイドが教えてくれた。
枝には所々に棘があり、細長い1センチほどの実を食べてみると、少し酸っぱみがあり、子供の頃よく食べた“しゃしゃぶ”といった感じであった。


休憩場にはトレッカー目当ての露店が出ている。

しばし休憩した後、徐々にドゥードゥ・コシに下りていく。
緩やかな道が続いていたが、ここで下りる道にかわった。
アマ・ダブラムは見えなくなってくる。
ネパールのトレッキングでは、こういう風に、何度も谷まで下ってはまた上るというパターンが多いので、何だか損をした気分になる。

下りきったところで、ドゥードゥ・コシを渡ると、


正午過ぎプンキPhunki(3,250m)のロッジに着き、ここでランチとなった。





今日のランチはライスとスープ。


       ≪つづく≫

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僕の心細道(150:ネパールⅢ編-第六章)

2012-11-01 14:14:12 | 旅行
-4日目のつづき-
12時出発  
モンジョで休憩・昼食を済ませたあと、サガルマータ国立公園管理事務所で入園手続きをする。
ガイドが入園料を払う等の手続きをしてくれたのだろう。
その間、にぎやかなイタリア・トレッカーの集団が我々を追い抜いていった。





しばらくドゥード・コシの左岸側の道を進むと、やがて木製の吊り橋が見えてきた。
けっこう揺れるのでおっかなびっくりで渡る。
私はどうも吊り橋が苦手だ。


渡り終えて少し進むと、道は河原へ下りてしまった。



この時期ネパールは乾季だから、こういうルートもありなのだろうが、
雨季で、洪水が来たら一瞬で行き来できなくなる。




たくさんのゾッキョを連れた村人とすれ違う。
こういう場合は、当然ながらゾッキョに道を譲る。
ゾッキョの背中には大きな荷物。

ゾッキョは、雌のヤクと雄の牛のハーフだということは前回書いたが、
逆に雌の牛と雄のヤクのこどもでは、水牛の性質を多く受け継いで余り性能が良くないらしい。
標高の高い場所でしか生きられないヤクがより低い場所も活躍できるように生み出されたのだそうだ。
昔から交易を盛んに行っているシェルパ族の生きる知恵である。
そんなゾッキョを眺めながら、前方を見やると、高さ30mはあろうかと思う吊り橋が眼に入った。


うーん・・・これを越すのか!

橋にとりつく。


けれどもこの橋は心配したほどの揺れはなかった。なんでもスイスと合同で作ったらしい。
橋を渡りきると、いよいよナムチェ・バザールへ向けての急登が始まる(高度差約500m)。
上り始めて少しすると、谷の間、かなたにタウチェ(6,542m)が見えてきた。




【クリックで拡大】

階段状の急登かと思ったら、ジグザグの坂道が続く急坂だ。
高度も3000mを超したので、ゆっくりゆっくり。

途中初めてヌプチェ、エベレストが見えてくる。


生まれて初めて肉眼で見る世界最高峰に・・感動! 


【クリックで拡大:左:ヌプチェ(7,896m)、右:エベレスト】

2時頃エベレストビュー・ティーショップに到着。
先発の日本人グループは既に着いていた。
ここで一休みとなり、チャーイ(ミルクティー)をいただく。

2:20出発。しんどいので坂道をゆっくりゆっくり上る。


ナムチェ・バザールNamche Bazarの集落が見えてきた。


あと一息だ。

3時半、本日のロッジ到着(Kuhnbu Lodge)。
標高は3,440m。
疲れたぁ~。



ナムチェ・バザールで一番立派なロッジだとのこと。
3階食堂、2階が我々グループのベッドルーム。



太陽が傾き、霧が出ていたのだが、夕方になり霧が次第に晴れてきた。
夕陽に照らされナムチェ・バザールの集落を見下ろすタムセルク(6,608m)を鑑賞する。


【クリックで拡大】

しばしば霧で隠れたりするが、これも「いとおかし」。


午後5時になると、すぐ近くで時を知らせる鐘の音が響いてきた。

6時過ぎから夕食は、
焼き飯、大きな春巻き、スープ   お腹いっぱい。
皆さんは余力ありか、デザートにスイーツをいただいている。
8時半就寝


       ≪つづく≫


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僕の心細道(149:ネパールⅢ編-第五章)

2012-10-24 11:32:39 | 旅行
-4日目(1992年12月29日)-
6時前に起きて、カメラをさげて夜明け前の屋外に出る。
やがて、西方の山が白んできた。


【Kongde】

しばらくするとその山のピークに太陽が射しはじめる。


朝食の支度だろう、ロッジの煙突から煙が上がってきた。


7:40から朝食。
ミルク粥とゆで卵というシンプルな食事。

テントを張っていたグループは、既にテントをたたみ、出発の準備が整ったようだ。


ゾッキョ(雌のヤクと雄の牛のハーフ)の背中にもたくさんの荷物がある。

我々のグループは8:15出発。
ドゥードゥ・コシの右岸(川の上流から見て右側)沿いの道をゆっくり上っていく。



徐々に高度を上げていく。




やがて、雪で白く輝くタムセルク(6,608m)が初めて見えてきた。

【タムセルク】


【クリックで拡大】

雪をいただいた大きな山容を見ると、ヒマラヤに入ってきたぁ~ と実感できる。



しばらくはタムセルクを仰ぎながら山腹の道を進む。
そしていったん、ドゥードゥ・コシ(川)の河原のルートを歩き、今度は左岸側の道を進む。



川(ドゥードゥ・コシ)の奥、前方にそびえるのはシェルパ族の聖山クームビラ(5,761m)で、この山の麓にナムチェ・バザールがある。
三角に鋭くとがった山容が印象的である。

しばらく樹林帯の道を緩く上って行くとチュモアに到着する。



ここから緩い上り下りを繰り返し、沢を越して、ひと上りすると、


モンジョMonjoに到着する(午前10時過ぎ)。




ここで、休憩&昼食となった。
タムセルクを仰ぎ見ながら・・・


食事メニューはツアーリーダーKさんに選んでもらい、
ヌードルスープ、じゃがいも、チャパティ(ナンと似たパン)をいただく。





     ≪つづく≫


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僕の心細道(148:ネパールⅢ編-第四章)

2012-10-16 11:19:34 | 旅行
-3日目のつづき-
昼食をすませ午後1時半、ルクラを出発してトレッキング開始。
緩い下り坂をゆっくりゆっくり進む。


ビスターリ、ビスターリ
2時半、Choplungに到着し、トイレ休憩となった。

タルチョー(経文を印刷した祈祷幟)がはためく。

ポーターの1人が陽気で、笛を吹いたり、歌ったりとなかなか元気で、みんなを和ませてくれる。


両側を石積みに囲まれた道を進む。


これは家畜が道からそれて畑に入らないためのものだそうだ。

3時過ぎ、Kusum Khola に到着。




・・・・


このような里の光景は、この田舎と同じだ。
この田舎にはマニ石(経文を彫りつけた石)はないが。


やがて、パクディンPhakdingに到着。




さらに進むと、川沿いにロッジが見えてきた。


この川はドゥードゥ・コシという。ずうっと上っていけばエベレストに至る。
すでに、カトマンドゥ空港にいた別ツアーの日本人グループがテントを10張以上たてている。

4時40分ロッジ到着。


食堂で一休みしてティータイム。



そして、ロッジの2階でベッドメイクをすませ、皆さん1階食堂に集まり、
各自持参した酒とつまみで食事ができるのを待つ。
夕食は、ヌードル、ライス、モモ(餃子)などだった。
食事を終えて、ツアー参加者の自己紹介となった。
こうして、なかなか賑やかに夜は更けていった。


     【この日のルート】

     ≪つづく≫


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僕の心細道(147:ネパールⅢ編-第三章)

2012-10-09 12:31:39 | 旅行
-3日目(1992年12月28日)-
6時モーニングコール
6時半朝食
アンナプルナ方面、ダウラギリ方面へのトレッキング2グループは、既にホテルを出発していた。
聞けば4時頃出発したと。
残っていたのは、エベレスト方面トレッキングの私たち13名(うち1人はツアーリーダーのKさん)だけだった。
簡単に全員を紹介しながら談笑、そして食事をすませる。
7時半にホテルを出発して空港へ向かう。
シェルパ族のガイド、ナヤンさんも同行した。
空港では8時20分頃チェックインを済ませたのだが、これ以降が長かった。
待合室に入った頃は、客は少なかったのだが、カトマンドゥ盆地全体に霞がかかり、飛行待機中にどんどん人が増える。
10時頃からマウンテン・フライト(ヒマラヤ山脈近くを遊覧飛行するという人気のツアー)が出発し始める。
それにしても日本人が多い。7~8割くらいは日本人観光客と思える。

待つこと3時間。ルクラから飛んできたNepal Airwaysの乗客が降りてから、いよいよ我々グループが乗り込む。
11時半頃離陸。
16人乗りの小型機である。



やはり雲が多く視界が悪い。

しかし、飛び立ってしばらくすると、雲の上にヒマラヤの山々がくっきりと見えてきた。
私の座席はヒマラヤの反対側だったので、思ったほどは見えないが、それでもズラーッと連なったヒマラヤの峰々は圧巻だ。








もしやあれはエヴェレストでは・・・

約40分の飛行で12時10分頃、無事ルクラ空港に到着する(標高2,834m)。




北方に眼をやるが、残念ながら雲が多く、期待していたヒマラヤの山々は見えない。


やがて、カトマンドゥへ向けて飛行機が、土煙を上げて飛び立った。

先日NHKで見た時は、この飛行場の滑走路はきれいに舗装されていたが、この当時は未舗装だった。

昼食は、飛行場から数分歩いたところにあるHoliday Lodgeで。


ガイドのナヤンさんの兄さんが経営するロッジとのことだ。
ヌードルとライスでの昼食。
ゆっくり休み、1時半頃出発。
いよいよ、トレッキングのスタートだ。
     ≪つづく≫


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僕の心細道(146:ネパールⅢ編-第二章)

2012-09-28 14:43:24 | 旅行
-2日目(1992年12月27日)-
8時前目覚める。
前日は徹夜明けだったが、1晩の睡眠でずいぶん調子が良くなった。
バイキングスタイルの朝食もおいしくいただけた。

午前10時にバス2台に分乗して、カトマンドゥ市内の観光に出発。
現地案内はMr.サキヤ。
まずは、小高い丘の上にあるスワヤンブナート寺院へ。

市内を見下ろす大きな眼が特徴的なストゥーパ。
(ちなみに、ストゥーパとは仏塔のことで、“卒塔婆(そとうば)”の語源である)


何を相談しているのだろう?



再びバスに乗り市内のバザール、そして旧王宮前広場へ向かう。
案内されたのは、“クマリの館”。
この辺の広場は、前回訪れた際も散策したのだが、この館は外壁しか見なかった。
やはり、ガイドがいない個人旅行では見落とすことが多い。
観光客が来てお賽銭が集まると、中庭に面した2階の窓からクマリが顔を出してくれることがあるそうだ。
ガイドのサキヤさんがその辺の手配をしてくれたのだろう。
クマリが顔を出してくれるという。
ただし、カメラなどでの撮影はNG。
顔を出したのは、化粧した4~5才?くらいの女の子(クマリ)と付き人2名だった。
クマリは選ばれた国の守り神である。
初潮を迎えるとお役御免となる。
大きなお祭りの期間にわずかに外出する以外は、平均7年間、“クマリの館”で暮らすのだという。
完全無欠の神様なので、その間教育を受けることもないという。
かわいそうにも思える。


     【「NHK出版」より】

その後、旧王宮広場を散策する。




2階の窓から誰か身を乗り出している。


【シヴァ神とパールヴァティー】


【カーラ・バイラーヴ】

右手に剣を振りかざし、左手には生首を持ち、怖いのだが・・、どことなく愛嬌がある。

バスでホテルへ引き返し昼食。
午後は自由時間となり、私はホテルのガーデンでのんびり寝そべって、柔らかな陽射しを楽しむ。

風が吹けばちと寒いかな・・・というぐらいの陽気で、本当にリラックスできた。
カトマンドゥは冬でも昼間は暖かい(日本の春くらいの感覚)。
年末の仕事の疲れが取れたような気がした。

陽が陰ってきたところで、床屋を探すためにホテルを出て町をさまよう。
見つからないのであきらめてホテルへの帰り道、床屋を見つけた。
ホテルから数分の距離だった。
店の中は、うなぎの寝床のような細長いスペースで、裸電球がやや薄暗い。
それでも4人分の椅子があり、店員はなかなかキビキビ働いている。
すぐに散髪に取りかかってもらえた。
髪型は店員に任せた。
店員の冷たい手が肌に触り、何とも言えない・・・・。
特に髭を剃ってもらう時には、触られた首筋を思わずすくめてしまうくらいひんやりとしていた。
そして、あごの下を剃ってもらっている時、 突然 停電になった。
あたってもらっている場所が場所だけに、ドキドキの緊張感が走り、少々怖かった。
しかし、店員は慣れたもので、蝋燭に火をともして何事もなかったかのように髭剃りを続けた。

私が子供の頃には、この田舎でもしょっちゅう停電があった。
電圧が安定していないのだろう。

この床屋では、シャンプーはないのだけれど、散髪後のマッサージがやたら念入りだった。
頭をやたらクシャクシャする。揉むというより、こする感じだ。
頭の後は、肩、腕、背中・・・と、なかなかのサービスである。
事前にツアーリーダーのKさんから、散髪代は300円くらいだろうと聞いていたのだが、これだけサービスがあれば、もっと高いだろうなと思った。
しかし、65ルピーだった(この当時のレートは1ルピー=約3円)。
安い! 
思わず5ルピー チップを渡した。
ちなみに昨夜ホテルで飲んだビールは110ルピーだった。
すっかり気分良くして店を後にする。
で、頭の刈り上がり具合はというと・・・、何の心配もなかった(と記憶している)。
6時前にホテルに帰り、部屋でシャワー&シャンプー。
ウ~~   すっきり!
夕食は7時からで、ボリュームたっぷりで、少々食べ過ぎた。
   ≪つづく≫

※本日午前、ネパールでカトマンドゥ発ルクラ行きの航空機が墜落し、乗客乗員計19名全員死亡したと・・ご冥福をお祈りいたします。(カトマンドゥ~ルクラ便はこのネパール旅行でも搭乗)

ご訪問ありがとうございます。

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