かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕の心細道(158:ネパールⅢ編-第十四章)

2013-01-18 14:27:35 | 旅行
-9日目(1993年1月3日)-
6時半起床。
前夜ここチトワン公園に到着したのは暗くなっていたのでわからなかったが、ロッジは川沿いにあった。
7時過ぎにティーを飲んでから、象4頭に分乗して周辺を散策する。

1頭に調教師(?)を含めて4~5人が乗っかっての散策であり、なんだか虐待しているかのような絵である。

サイ、シカ、サル、キジなどの動物、鳥を見ながらジャングルを散策する。



見渡す限り平坦地なので、しばらくすると方角がわからなくなる。
どんより霧に覆われていて見通しはよくない。
それにちと肌寒く、風邪ぎみの背中が少々つらい。

9時過ぎに元の乗り場に帰ってきて朝食となる。
オートミール、パン、茶・・
なぜだか、みんなあまりしゃべらない。
私は、ルクラに取り残されたザックが気になる。

一休みして、10時前今度はカヌー(といっても木製の原始的なもの)2艘に分かれて川下りとなった。




川の流れはゆっくりだ。
そうだろう、ここでおそらく標高200m程度だろうから、ここからはるかインドを通ってインド洋に注ぐのだから。

水辺にはいろんな鳥が遊んでいる(いや餌を探しているんだろう)。

バードウォッチャーにはたまらん光景かもしれない・・。
この川ではワニが見られるということだったが、
一度もワニには遭遇しなかった。

40分ほど川下りを楽しんだ後、上陸して公園(?)へ行く。
ここにワニがいた。

繁殖用に飼っているのだろうか?
しかし、このワニというやつ、身動きひとつしないどころか、呼吸しているのかどうかさえわからんくらいじっとしていた。

ここを後にして今度はジャングルウォーク。といっても当然道沿いである。
トラが住んでいるということで、みんな一団になって前進しろとのこと。
木につけられたトラの爪痕は見られたが、本体は見えず。
ここの小さな川べりの所々でワニを見かけた。しかし、みんな単独だ。


のんびり歩いてロッジ対岸まで来た。


カヌーで川を横切ってロッジへ戻る。
正午過ぎバイキング形式の昼食。
みんな疲れたのか、食欲がないのか、なかなか食べ始めない。

食事を終えてから、ジープでホテルへ向かう。
天気が良くなったので、幌を外して走るのだが、ほこりだらけになる。
途中、菜の花がとてもきれいだった。
1時間ほどでホテルに到着して、ここでバスに乗り換えてカトマンドゥへ向かう。

途中で日が暮れかけ、カトマンドゥに近づくにつれ道路が混んできた。
6時20分頃、ナラヤニ・ホテルに到着する。
フロント周辺で私のザックは戻ってきていないか、と見渡したのだが・・見えなかった。
今宵の部屋割りとなったが、私は「いびきがうるさい」ということらしく1人部屋が当てられた。
喜んでいいのやら、悲し恥ずかしいやら・・・

8時前に食堂へ下り、ゆっくり食事を始める。
他の皆さんもぼちぼち集まってきた。
ビールを飲みながら食事をしている途中、旅行社のビノダさんが私のザックを持ってきてくれた。
2日間気をもんで、ホッとした瞬間である。
 で、ビールが旨い! 食事が旨い!
食事を終え、グループの一部の方々は町に出たようだが、私はこれにて1人部屋へ帰り眠る。
     ≪つづく≫


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お江戸へ上る〈参〉

2013-01-16 15:33:18 | 旅行

浅草駅に着いたのだが、まだ時間に少し余裕があったので、浅草寺へ行ってみることにした。

駅前の横断歩道を渡ると、
懐かしい店が眼に入った。

浅草1丁目1番1号
デンキブランで有名な“神谷バー”。
出張の帰りに1度か2度この店で呑んだことがある。

雷門に着いた。


仲見世商店街を進む。

ここもすごい人!




宝蔵門に着いた。


左手方向には五重塔。


右手方向にはスカイツリーが見える。




本殿に入り、私も賽銭を入れて健康・家内安全をお願いする。
とっ・・横の方で「パン パン」と。
エッ?と思い、眼をやると、若いオネエさん。
お寺で柏手はおかしいだろう。
と思ったものの、そもそもお寺で初詣というのもおかしなものだと思う。
近年は、お寺が初詣に来るよう宣伝しているが・・・


私もミステイク・・順番が逆になってしまったが、
授香所で煙を身体にかける。他人が買って立てた線香で。
ご勘弁を。


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お江戸へ上る〈弐〉

2013-01-14 12:26:50 | 旅行
吾妻橋を渡り終え、左に折れて隅田川沿いを歩くと、


見えてきた。
勝海舟の銅像。


ここは、墨田区役所前の広場。
この像は、勝海舟生誕180年を記念して「勝海舟の銅像を建てる会」が、平成15年に建て、墨田区に寄贈したものだそうだ。
勝海舟がいなければ、“坂本龍馬”も江戸城無血開城もなかっただろうに・・。
そんな偉人の銅像がそれまでなかったというのが不思議なくらいだ。


勝海舟像を過ぎて、さらに進む。
そして、枕橋を渡る。


グーグルマップで見ると、橋の北詰に「枕橋茶や」とあったが、
この店のことだろう。


でも、もう店はやっていないような風情である。

そして、この角を右に折れて東方向に進む。
もうちょっと近くでスカイツリーを見てみよう。

とうとうソラマチまで来てしまった。


当初は、そんなつもりはなかったのだが。
ソラマチも人だらけ。


見上げれば・・・

でかい、高い!
首が痛くなる高さである。


とりあえず満足して、ソラマチから浅草へ引き返す。


【源森橋より】


【アサヒビール本社ビルに映るスカイツリー】

≪つづく≫

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お江戸へ上る〈壱〉

2013-01-13 14:45:59 | 旅行
7年ぶりに急きょ東京へ行く機会ができた。
松山空港まで車で行き、いざ搭乗。
往路便は、何かとお騒がせのボーイング787。
天気に恵まれ、期待した富士山を久しぶりに眺めることができた。

かなり遠くからではあったけれど。

冬の東行きは偏西風(ジェット気流)に乗って速い。
1時間のフライトで羽田空港に着いた。

さてここから、7年前に使ったきりの手持ちSuicaカードとメトロカードの久々の出番だ。

メトロカードは残1500円とわかるのだが、Suicaの残額は・・・?
で、モノレール駅の券売機にカードを入れると・・・
「あれっ?!」360円しか残っていない。
あはは・・偉そうに思っていたが、たったそれだけであったか。
では、3,000円チャージすることにしよう。

浜松町駅手前
かつて内田有紀ちゃんの広告があったのは、確かあのビルの広告塔だったと思う。


出張の行き帰り、「行ってらっしゃい」、「お疲れさま~」と眼パッチリに微笑んでくれていたのだが・・(勝手な思い込み)。
ある日、優香に代わった時は寂しかったし、
今や、味気ないCM映像が流れている。

浜松町でJR京浜東北線に乗り換える。
目的地は大宮駅で、今回は遊び・観光で上京したわけではないのだが、
時間が少しあるし、久しぶりに来たのだからと、
上野で途中下車して、お上りさん的ミーハーになって地下鉄銀座線で浅草を目指す。
メトロカードを緊張しながら自動改札に通したところ、
アウト」。
「駅係員にお尋ねください」と改札機がしゃべった。
で、近くの係員にカードを見せると、
「あ~、このカードは改札にはもう使えません。券売機で切符を買うか、払い戻しはできます」とのことだった。
時代は通り過ぎてしまっていた。
とりあえず券売機で切符を買い、改札を通った。

東武線の浅草駅もずいぶんきれいになっている。
聞けば、スカイツリーができて改装したのだと。



駅を出て、吾妻橋へ。

橋のたもとでいきなり見えてきた。
オオ~ッ!


皆さんどちらからおいでかわからないが、平日だけれど大勢の観光客が歩いている。

あの金のウンコも輝いている。
出張で浅草駅から鬼怒川方面へ行く時、車窓から何度も眺めたことがある。


こうして、近くで眺めるのは初めてである。
たしか、外国の有名なデザイナーの作だと聞いたことがある。
本当は『炎のオブジェ』だとか。
     ≪つづく≫


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「かんじゃまのつぶやき partⅡ」

「家紋」その10:悩ましき紋

2013-01-11 12:15:23 | その他
ネットで検索して、当地区の家紋の名前はほとんどわかったのだが、
3つばかりどうしても答えがわからず残ったものがあった。




どちらも花だろうとは思うのだが、何とも断定しかねる。
(ご存じの方 お教えいただければありがたいです)
でも、2番目のは花菱(隅切り角に花菱)ではなかろうかと思われる。

そして、私を悩ませたのがこの家紋。


文字を幾何学模様にしたような・・・
何度かネットで調べたがわからなかった。
この家紋は、江戸時代後期 当地区の組頭だった家のものである。
ならば、なにか特別な意味があるのではなかろうか? などと思ったりもした。

そこで、この半島でこの苗字が多いと聞いていた地区の墓地へ行ってみることにした。
すると、予想は当たり、同じ苗字の家はすべてこの家紋であることがわかった。
その数20余り。
しかし、全体の有り様は似ているのだが、細部で少しずつ異なっている。
例えばこんな風に・・




家紋を写し間違えたのか、あるいは意図的に少しずつアレンジしたのかはわからない。
おそらく、意図的に原形を少しずつ変化させたのではなかろうかと思う。

さて、この悩ましい家紋だが、奥さんの協力を得て検索することができた。
どうやらこれは「角字」というもののようだ。
そして、その中で似た文字を探していると、
どうやらこの家紋は「恵(惠)」であろうとの結論に至った。
では、なぜこの紋にしたのか謂れを知りたいところである。


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僕の心細道(157:ネパールⅢ編-第十三章)

2013-01-09 10:30:00 | 旅行
-8日目のつづき-
正午にルクラを離陸した。
しかし、この日は天気があまり良くなく、ヒマラヤの山々はほとんど見えなかった。

12:45頃、無事カトマンドゥ空港に着陸。
ルクラに比べるとぽかぽかと暖かい。
空港で出迎えてくれた現地旅行社のスタッフは、なんと前年のトレッキングでお世話になった男性だった。
名前は忘れたけれど・・・。
そして、彼から「ルクラ-カトマンドゥ便は、本日は霧が多くなり、これ以後の便は欠航になった」との悲報を聞かされた。
ルクラに取り残された私のザックは、明日の便で届けられるとのことであった。
主人と離れ離れのかわいそうなザックである。

空港からバスでナラヤニ・ホテルへ。
ホテルに着いてまず昼食となった。
フライドライス、焼きそば、肉2種にスープという、ボリュームのある食事だった。
それに何よりビールが旨い!

食事の後、各自シャワーを浴びる。
久々のシャワーで気持ち良~し。
が、ここで問題だ。
私の衣類すべてが、ルクラに置いてきぼりにされたザックの中にある。
当然 パンツも。
そんな私を哀れんだツアーリーダーのKさんがパンツを貸して、いやいや“下さった”。
新品ではなく、ゴムが緩めだったが、
私は救われた。

このあと、急遽チトワン国立公園へ行くことになった。
予定のスケジュールにはなかったのだが、日本人観光客誘致のPRのため今回は割安で行けますよ、ということで、全員賛成で行くことになった。
午後3時出発の予定でロビーに下りる。
ここで、先ほど空港へ迎えに来た旅行社の男性が「Yさんを知っていますか?」と聞く。
彼は今日日本へ帰ったという。
なつかしい名前を聞かされた。
彼らしく、男性に名刺を渡している。
彼とは、前年二人でアンナプルナ・トレッキングに行ったのだ。

3時半頃、チトワンへ向け出発する。
カトマンドゥ市内を抜けるのに、車が混んでいてちと時間がかかった。
カトマンドゥ盆地から下って行き、しばらくはでこぼこ道を走る。
この途中ヒマラヤが見えるはずだが、今回は余り天気が良くなく、全く見えなかった。
しだいに窓の風景が違ってくる。
陽が落ちて薄暗くなった頃、ドライブインで休憩する。

再び夜道を走る。
午後7時半頃Safari Narayaniに着く。
ここで夕食となった。
食事は豪華なのだが、残念ながらやや風邪気味になりあまり食べられなかった。
1時間後、今度はジープ2台に分乗してロッジへ向かう。
9時半過ぎにやっと着いた。
     ≪つづく≫

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ミノムシ

2013-01-07 15:10:17 | その他


このまんまの格好で、
この場所で、
年を越した。

春がくるまで こうして壁にへばりついているつもりだろうか・・


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大般若H25

2013-01-05 13:10:59 | 田舎の生活
今日は、夜明け前の午前7時から地区の大般若行事があった。
当地区では「おはんにゃ」と呼んでいる毎年恒例のもの。



三崎の伝宗寺から運んできた経典箱に大根をくくりつけ、その下をくぐる。


くぐった後には、“十六善神様”の掛け軸の入った箱で背中をたたいてもらう。
経典箱の中には大般若経の経典がたくさん入っており、その下をくぐるということは、
大般若経の威光をいただくのであろう。
そして、背中をたたいてもらうのは、厄除け、痛い箇所が治りますように、ということだろう。
ともかく、正月の行事だから、家内繁栄・健康などを祈願するのだろう。

この後、和尚さんをお迎えして、法要(大般若転読祈祷会)が行われた。


中央には、先ほど背中をたたいてもらった十六善神様の掛け軸が祀られ、
和尚の「般若心経」が始まる。
そして、地区住民代表数人が手分けをして「大般若経」を1巻ずつ手に取り、声を出して「大般若波羅密多経第○巻・・・」と唱えながら、蛇腹折りの経典をパラパラめくる。
その所作の後、「降伏一切大魔最勝成就(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」と唱えて、地区の悪魔祓いをする。


こうして、パラパラめくりの終わった経典をポーンと叩いて下に置く。
これを10分間ほど続ける。
これは、経典の転読という意味合いがあるが、
本来は、パラパラめくって経典の傷んだ箇所のチェックをし、
そして虫がついていたら、それを叩いてつぶす、
という実務的な作業であったらしい。

読経、転読が終わったあと、和尚が分厚い経典の1巻を手にし、参加者一人一人の背中を数回たたいてくれる。


このたたきは少々痛いが、なかなか気持ちよく、シャキッとする。

法要の後は、和尚が持ってきてくれたお札を竹に挿して辻辻に飾る。


これは、災いや疫病など悪いことが地区に入らないように とのおまじないである。
今年も地区が安泰で、無病息災でありますように!


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「かんじゃまのつぶやき partⅡ」

雑煮、おせち、そしてポン酒

2013-01-03 14:49:35 | 田舎の生活
元日は朝からだらだらと食べ、
朝・昼・夜の境がぐじゃぐじゃになり、
お屠蘇ならぬアルコールも流し込むため体調がおかしくなります。
毎年のことですが・・



30年ぶり総合優勝 おめでとう!日体大
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謹賀新年H25

2013-01-01 14:24:39 | 田舎の生活
謹んで
    新春のお慶びを 申し上げます