サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09361「ぜんぶ、フィデルのせい」★★★★★★★☆☆☆

2009年04月02日 | 座布団シネマ:さ行

9歳の少女アンナの目線から、激動の70年代を見つめた心温まるヒューマンドラマ。共産主義に目覚めた両親のせいで、上流階級の暮らしに別れを告げなくてはならなくなった少女の心の機微がユーモラスに描かれる。監督は『戒厳令』などで知られる、名匠コンスタンタン・コスタ=ガヴラスの娘ジュリー・ガヴラス。主人公アンナを約500人の候補者から選ばれた新星ニナ・ケルヴェルが演じる、仏頂面と大きな瞳がチャーミングなヒロインに注目。[もっと詳しく]

40年経っても、たぶんオレンジの「富の公平分配」の説明は有効だ。

この作品の監督であるジュリー・ガヴラスの父親は、コンスタンタン・コスタ=ガヴラス。
「Z」(69年)、「告白」(69年)、「戒厳令」(72年)、「ミッシング」(82年)など、独裁政権・軍事政権に対抗する抵抗主義者たちの挫折を描いた社会派監督の巨匠であり、僕の大学時代にもっとも影響を受けた監督のひとりである。
コスタ=ガヴラスは1933年、ギリシャ生まれ、ソルボンヌ大学を中退し、映画の世界に入り込み、ルネ・クレマン、ジャック・ドミネ、ルネ・クレールなどの助監督を務めている。
その妻であるミッシェル・レイ=ガヴラスは、ジャーナリストであり、映画プロデューサーである。

そんな両親を持つ娘のジュリー・ガヴラスは1970年生まれ。
両親とも左翼系の著名人であるが、その娘は世界中が同時震源となったパリ五月革命もベトナム戦争の狂気もフランコ独裁の圧制もギリシャ軍事政権の処刑もチリのアジェンデ政権の悲劇も、物心はついてはいないときの出来事だ。
だから、両親のような体験的な視座を持つことは出来ない。
両親から受けた影響はとても大きなものがあっただろうが、「ぜんぶ、フィデルのせい」という初の長編フィクション映画を撮るにあったって、いっさい両親にアドヴァイスを求めることはなかったという。
そのことは、いい意味でこの作品の「軽さ」として表現されている。
父親の作品の重厚であり、ある意味では陰鬱にならざるを得ない作品とは、まるで異なっている。けれどもある時代のある空気を、さりげなく挿入することに成功している。
逆に言えば、両親の過剰な影響力からの、脱し方に成功しているといえるかもしれない。



舞台は1970年代前半のパリに採られている。
9歳のアンナ(ニナ・ケルヴェル)は庭のある瀟洒な家に住み、キューバ人のお手伝いに世話を焼かれ、カトリック女子小学校で宗教学を得意とし、ボルドーにあるお城のような祖父母のお屋敷にも遊びに行けるし、パパのフェルナンド(ステファノ・アコルシ)は弁護士、ママのマリー(ジュリー・ドパルデュー)は流行の雑誌記者、いたずらざかりの弟のフランソワ(パンジャマン・フィア)とともに、得意絶頂のような暮らしをしている。
そんなアンナに、スペインでのキノ伯父さんの死の知らせとともに、了解しがたい出来事が次々とふりかかることになる。

チリに出向いた父は、「共産主義」思想に染まり、「団結心」を養うために子どもたちをデモに連れて行く。
瀟洒な家を出て、安っぽいアパートに引越しし、いつもアジェンデ政権の支援スタッフたちがたむろするようになる。
大好きであったキューバ人のお手伝いから、ギリシャ人のお手伝いやベトナム人のお手伝いに代わり、食事もがらっと変わってしまう。
母も、雑誌記者を止め、女性の中絶にまつわる取材に忙しい。
一応、カトリック女子小学校には通ってはいるが、両親の申し入れで、思想の異なる「宗教学」の授業ははずれるように申し入れられてしまう。
唯でさえ、仏頂面のアンナは、勝手な大人たちの言動に振り回されることに我慢がならない・・・。



500人のオーディションから選抜されたニナ・ケルヴェルがとても魅力的だ。
小生意気でわがままなお嬢さんという設定だが、大人の世界を鋭く観察しながら、物真似をしたり反発をしたりしながらも、自分の頭で、自分の感性で、理解しようという姿勢を崩さないし、頭の回転も速く、理解力も抜群である。
けれど、基本は仏頂面。こんなアイドルの設定は、なかなかユニークだ。
また弟役のパンジャアン・フィエは天然のはいった可愛らしさで、姉妹がいっしょうけんめい大人の難解な言葉に対して、ボケとつっこみを繰り返すのは、とても微笑ましい。

父親はスペインの貴族階級(フランコ派)の出自であり、おそらくフランコ独裁政権に抵抗し命を落としたであろうキノ伯父にコンプレックスを抱いている。
5月革命も主体的には参加していないように設定されている。
母親も「中絶の自由」問題を契機とした女性解放運動に入り込むようになるが、アンナをカトリック女子校に通わせているところから、コンサバな傾向も抜け切れてはいない。
ほんとうは、変わろうとして変わり切れない両親の微妙な内面も、アンナはだんだん理解していくようになる。
この両親とアンナの時代に動かされていく不可避性のようなもの、そこで生起する悲喜劇に、ジュリー・ガヴラス監督は、自分と偉大な両親との関係を、ちょっとコミカルに対象化しようとしたようにも見える。



70年から73年という、もう40年近い昔の時代設定なのだが、高校生から大学生になったばかりの自分の青春時代を思い出すことになる。
日本では、赤軍のハイジャックが70年、浅間山荘事件が72年ということになる。60年代後半からの全共闘運動が急速に収束していった季節である。
この作品で関係する国々でいえば、スペインでは70年にフランコ政権が確立し、抵抗勢力に対する徹底した弾圧政策が展開された頃だ。
チリでは70年に南米で初の民主的手法による社会主義政権が成立し、71年の地方選挙でも勝利をしたが、73年アメリカの支援を受けたピノチェ将軍がクーデターをおこし、9.11の有名なアジェンデの演説そして処刑へといたることになる。
ベトナムでは戦争が拡大・泥沼化し、キューバとアメリカの関係もますます緊張を孕んでいく。
67年に軍事政権となったギリシアでは、密告とリンチの恐怖政治が続いていた。
そして、フランス。フランスの父といわれたシャルル・ド・ゴールが没したのは1970年だ。



母親のマリーが「中絶問題」を取材していたエピソードも事実を基にしている。
マリーの妹のイザベルは人工中絶を行っていたが、当時フランスでは年間85万件の中絶があったが、中絶法(ヴェイユ法)が通過したのはようやく74年のことである。
この映画でも取り上げられていた『343人の証言』は実際に中絶経験のある女性たちのカミングアウトの書であり、女性自身の意思による中絶の自由を求める署名集でもあり、国内世論に大きな衝撃を与えた。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール、フランソワーズ・サガン、カトリーヌ・ドヌーブ、マルグリット・デュラス、ジャンヌ・モローなど錚々たる女史が署名に名を連ねている。



「ぜんぶ、フィデルのせい」というタイトルのフィデルとは、もちろん、キューバ革命を導いたフィデロ・カストロのことである。
フィデルのせいでキューバを脱出した「共産主義」アレルギーのお手伝いさんの恨みのこもった言葉である。
40年近くが経ち、そのフィデロもついに一線から退いた。
長い時間であったのか、あっという間であったのか。
むくれるアンナを前にして、アパートに集まった「共産主義」の純朴な髭面のお兄ちゃんたちは、アンナにオレンジを一個切って見せて、手に渡す。
そして「富の公平分配」ということをわかってもらおうとする。
オレンジは独り占めすることも出来るし、公平に少しずつ分配することも出来る。
「僕たちも、パパもママも、独り占めするより公平がいいと思っているのさ」
40年経って、一見すると世界はますます複雑になっているようにも見えるが、オレンジを使った「富の公平分配」のシンプルな説明は、もちろんいまでも有効だ。
仏頂面しながらも、アンナはちゃんと理解している。
ジュリー・ガヴラス監督は、そのことをよくわかっている。







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6 コメント

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TBありがとうございました。 (sakurai)
2009-04-08 08:40:34
あれから30年、いや40年近くたちましたが、世の中さっぱり進歩のしの字もないというか、相変わらずというか、ですねえ。
「Z」は見ました。
あとは「ミッシング」くらいかな。
そうか、監督自身の体験的なものも投影されていたのですね。
とにかく、主人公の女の子の魅力が満載でした。
服装が素晴らしい!との見方もあったり。
さまざまな角度から見ることのできる映画かもしれませんね。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-04-08 18:21:32
こんにちは。

>服装が素晴らしい!との見方もあったり。

40年ぐらい前のファッションがなんか、懐かしいなというのもあるでしょうね。

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いえいえ (sakurai)
2009-04-08 20:06:33
昔のファッションのことじゃなくて、アンナの着ている服の色づかいや、タイツとの取り合わせ、ドレスと普段着との違い、靴にまで主張がある!とのことでした。
私はそこまで目がいかなかったのですが、友人は、そこに思想が見えた!と語ってましたわ。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-04-08 20:11:29
はは、そうですか。
アンナの幼いながらの、自己主張、自立心みたいなものが、見えましたね。
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弊記事へのTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2009-04-16 02:57:14
二世監督ジュリー・ガヴラス、なかなか良い作品を作りましたね。
若干世代は違うようですが、ヒロイン像はきっと自身の少女時代も投影されているんでしょう。
あんなに一遍に色々なことが押し寄せたら、僕ならパニックになっただろうな。

もう一人のジュリー(・ドパルデュー)も二世ですね。

二人の子役が素晴らしかった。
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オカピーさん (kimion20002000)
2009-04-16 13:58:29
こんにちは。
愛すべき作品でしたね。
ジュリーのドパルデュー一家は、映画・演劇人の家計ですからね。
オヤジにあまり似ていなくて、よかったですな(笑)
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