サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 08271「天国は待ってくれる」★★★★★☆☆☆☆☆

2008年01月09日 | 座布団シネマ:た行

人気脚本家の岡田惠和が初めて書き下ろした同名の小説を映画化した切ないラブストーリー。友情と愛情の間で揺れ動く幼なじみの男女3人の関係を丁寧につづる。新聞社勤務の柔和な青年をV6の井ノ原快彦、築地で働く威勢のいい青年役を本作が映画初出演となる歌手の清木場俊介、彼らのマドンナ役を『地下鉄(メトロ)に乗って』の岡本綾が演じる。劇中のみで流れる井ノ原と清木場による主題歌は聴き逃せない。[もっと詳しく]

 

「涙の脚本家」が掬い取ろうとしたものとは。

 

岡田惠和は「ちゅらさん」「ビーチボーイズ」「いま、会いにゆきます」などの脚本で知られている当代きっての「涙の脚本家」である。
この作品は、岡田惠和原作の出版前にすでに映画化が決定している。
それほど、買われている脚本家だといってもいい。

「天国は待ってくれる」は、岡田惠和のはじめての書き下ろし小説ではあるが、たしかに泣かせどころのツボをよく押さえている。
この作品は「男女の友情」を主題にしているといわれているが、通常の友情ごっこあるいは、愛情(恋愛)と友情の境界線をめぐる通俗的な物語とは、少し異なっている。



宏樹(井ノ原快彦)と武志(清水場俊介)と薫(岡本綾)の3人は、小学校の時に、転校生である宏樹に武志と薫がすぐに心を寄り添えるというところが、関係のスタートとなっている。そこから3人の「黄金時代」が始まることになる。舞台は、下町の築地。
この仲良し3人組は、お互いに手を繋ぎあって三角形を形成し、「聖なる(永遠なる)三角形」であることを確認しあう。「あの頃、僕らは永遠だと思っていた」というように。
どうして、この3人は、急速に惹かれあったのか?

ここで、この3人の築地を舞台にする親の世代の関係が、まるで相似形のように現れることになる。
薫の親は、地元で「春」という喫茶店を営んでおり、地元民の溜まり場のようになっている。転校生宏樹の父は、父子家庭となるが地元の幼馴染であった。また、武志は両親が亡くなっており、預けられている叔父も、幼馴染である。
原作を読んでいないのでわからないが、親の世代にはまた、築地を舞台にしたさまざまな物語や複雑な関係線があったことが暗示されている。



つまり、「築地」という庶民的な町における親子2代の親和性が、この物語の背景となっている。そして、徹底して、その共同体的な「場」から離れることがないのが、この作品の特徴となっている。
ここでは、「聖なる三角形」を約束した3人は、友情というよりは、ほんとうは、擬似兄弟のような関係を形成している。宏樹が預けられた叔父の娘(戸田恵梨香)まで、含めれば、4人の擬似兄弟ともいえる。
宏樹、武志、薫の3人は、それぞれ一人っ子であり、喫茶「春」に集合し、一緒に「オムライス」を幸せそうに食べ、親同士もくつろいだ言葉を掛け合っているこの光景は、家族ないし親族の親和性に包まれている。
「友情」というよりは、兄弟ないし近しいいとこ同士のような親和性が、関係の基盤となっている。

宏樹は築地の新聞社に勤め忙しく記者の修行をしている。
武志は叔父の店を継ぐように、早朝から築地で活発に働く兄ちゃんになっている。
薫は銀座の文具店に勤め、その腕を買われている。
3人が働く拠点は、幼い頃約束したように、地形的にも三角形の位置にある。
けれども、朝から晩まで兄弟のように仲良く過ごした少年期はもう戻らない。
とくに朝の早い武志は昼過ぎから暇になり、宏樹や薫と時間が合わない。



ここで、武志は三角形の均衡を壊すことを決意する。薫にプロポーズし、宏樹に同意を求める。
薫も宏樹も、武志の勢いを、あえて拒否することが出来ない。
親子の世代が結集した武志と薫の結婚パーティーの当日、車で帰りをいそぐ武志は交通事故に遭遇し、植物人間状態となる。
それから3年、武志が覚醒することを信じながら、薫は介護を続け、宏樹も記者の夢を捨て、ローテーションで時間の自由が利く整理部への転属を希望し、病院に通い詰めることになる。
周囲の勧めもあり、薫と宏樹は婚約する。その祝いの日に、武志は目覚めることになる。

もちろん、交通事故と覚醒が、二度の結婚パーティーの当日に起こるなんてことは、物語だからのご都合主義な設定である。
けれども、この兄弟のような「聖なる三角形」の均衡が崩れるということは、対なる男女の性愛を前提とする幻想と、3人という共同性の対立ということになる。
もっといえば、三角関係の本質的な心理の葛藤が露出してくるともいえるし、擬似兄弟だとみなせば、近親相姦のタブーにふれるような緊張感が、滲出してくるとみなすことも出来る。
ここに、運命的な悲劇性が、招きよせられることになる。



覚醒しリハビリに励む武志だが、ある日、自分が薫にプロポーズしたという喪われた記憶を、認識することになる。同時に、病気が再発し、余命1ヶ月と判明する。
医者から余命を宣告された叔父は、武志と薫をのぞく周囲に事実を話す。
武志は宏樹に余命を問いただしその事実を薫には伏せるように懇願する。
しかし病室のドアの外で、そのやりとりを、薫は聞いてしまうことになる。
武志は、薫と宏樹に結婚してくれと、懇願する。
そして、今度は、喫茶「春」に家族が集まり、三度目の結婚祝いの日に、微笑みに包まれて武志は息を引き取る。

子どもが出来た薫と宏樹は、子どもを乳母車に載せながら、築地の桜舞う川辺を散歩する。
「あの覚醒は、天国から戻ってきた武志からのプレゼントだったのかなあ」
もし、覚醒しなかったら、婚約した薫と宏樹は、だけども、どこかで後ろめたさのようなものを保存したままであったはずである。それは、「聖なる三角形」の均衡を破ってしまった武志が、内心、そういう気持を持っていたと同じように。
車椅子の武志と、ハレの場の薫と宏樹は、三角形を形成する。
あるいは乳母車を頂点として、薫と宏樹は、三角形を形成する。赤ちゃんがまるで武志の生まれ変わりでもあるかのように。
ようやく、ここに戻ってきたのだ・・・。



この親の世代も子の世代も、築地という狭い生活圏から離れようとしない。
世界にどのような事件がおころうと、個人にどのようなチャンスが与えられたとしても、そのことよりも、大切なことがある。
いってみれば、この小さな世界の、壊れやすい現実のなかに、彼らの意識は収縮している。
関係者にしかわからないであろう、気遣いと諦念とささやかな喜びの世界に、没入している。

けれども、その価値のありよう、意識の向かわせようは、羨ましくもある。
ほんとうは、そのことのなかで、呼吸していくことが、どれほど貴重なことか・・・。

長い長い時間、眠り続ける武志の傍で、薫と宏樹は時間を過ごす。
長い長い沈黙が、3人だけの病室を支配する。
このせわしない、痙攣的な情報が飛び交い、どうでもよいような言説に振り回される世界にあって、ここには親和的な時間だけが、ある哀しみを伴って流れている。
不可能性の「聖なる(永遠なる)三角形」・・・。
このことを掬い取ろうとしたところに、岡田惠和の「涙の脚本家」の面目がある。

 

 

 






 

 




 



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは♪ (miyukichi)
2008-01-14 21:54:20
 TBどうもありがとうございました。

 三角形は、バランスが崩れると難しいですね。。
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miyukichoさん (kimion20002000)
2008-01-14 22:49:52
こんにちは。
三角形というシンプルな図形を、うまく象徴的に使っていましたね。
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こんばんわ! (猫姫少佐現品限り)
2008-01-16 02:48:29
いつもありがとうございます!
はぁ~、、、なるほどねぇ、、、
お兄さんの解説は、深いわ、、、
いぁ、よくわかりました。
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猫姫さん (kimion20002000)
2008-01-16 02:52:11
こんにちは。
あら、いつからお兄さんと呼んでもらえるようになったの?(笑)
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TBありがとうございます。 (michi)
2008-01-21 20:51:08
こんばんわ、TBありがとうございます。
今年も相変わらずのTB不調により、コメントにて失礼いたします。

私はただただ、男女3人って難しいなぁ。。。と観ておりました。
が、本レビューを読ませていただき
>もし、覚醒しなかったら、婚約した薫と宏樹は・・・
>ここには親和的な時間だけが、ある哀しみを伴って・・・
この辺り、思っていた以上に深かかったんだなぁと
思っております。
勉強になりました!
また遊びにきます。 よろしくお願いいたします。
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michiさん (kimion20002000)
2008-01-21 21:00:09
こんにちは。
幼馴染の三角関係って、成長するにしたがって、関係構造が変移しますよね。
そこの困難さみたいなものをものを描いた映画かな、と僕は思いました。
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