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「ロスインディオス&シルヴィア」時代のシルヴィアさん。甘い歌声で人気を集めた(1979年頃)(写真:サンケイスポーツ) |
所属事務所によると、95年に離婚した前夫でフリープロデューサーの中山敏久さん(55)と、1人息子で大学生の中山貴大さん(19)に看取られ、静かに息を引き取ったという。
昨年5月、体調不良で精密検査を受けたところ肺がんが見つかった。すでに手術が不可能なほど進行していたが、「歌うことが生きる証」と周囲に打ち明け、入退院を繰り返しながらライブやレコーディングなどの歌手活動を続行。抗がん剤などの影響で頭髪が抜け落ちても、「逆に、いろんなカツラをつけることができて楽しい」と前向きに歌い続けた。
しかし、9月下旬から体調を崩し入院。危篤状態となった同27日から約2カ月間、意識が戻ることがなかった。当初は余命半年といわれたが約1年6カ月、強靱な精神力で病魔と闘い続けた。
所属事務所は通夜、葬儀について「2、3日中に近親者による密葬で行う」と説明。喪主は貴大さんが務める。後日、お別れの会を開く。
本名の松田理恵子を知る人は身近な人だけだろう。
ロス・インディオスの初代女性ボーカル。なんかこの頃、ロス・プリモスとかわけもわからずスペイン語系の芸名のバンドが出たのだが、「別れても好きな人」の大ヒットは1979年。
僕が東京に出てきてほどなくで、恥ずかしながらこの頃、よく知人にクラブに連れて行ってもらったり、あんまりお金も無いのに、スナックで歌いまくっていた頃である(笑)。
こちらは大阪の臭いブルースとかを歌うのだが、東京人はチーママとデュエットで「別れても好きな人」なんかをすかして歌ったりするのである。
コンチクショーなどと思いながら、絶対人と一緒の時にはこんなデュエットは恥ずかしくて歌うことが出来ないが、ひとりでスナックに行ったときなどは、酔ったフリをして歌ったものだ。
菅原洋一とのデュエットの「アマン」も懐かしい。
東大阪出身で、実業団バレー出身、たまたま佐川満男のスナックに来ていた時にスカウトされたらしい。
どこか素人っぽいお嬢様が背伸びして男女の鞘当を歌っているような感じがする人だった・・・合掌!