サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

キャバレー(昭和の色濃い大型社交場の絶滅貴種度80点)

2013年03月02日 | それでも世界は回る

昭和の遺産…ススキノの大型キャバレー閉店

 札幌・ススキノの大型キャバレー「札幌クラブハイツ」(中央区)が28日、営業を終了した。

 開店したのは1971年で、“昭和の遺産”とも言える店内には、生バンドが演奏する舞台とダンスフロアを囲むように約450席の客席が扇形に並ぶ。最盛期には約300人の女性たちが所属し、企業戦士らが集った盛り場がまた一つ姿を消した。

 午後11時半に閉店となる直前、美空ひばりさんの「川の流れのように」の演奏が流れた。店を運営する札幌開発社長の末永礼造さん(64)がステージで「皆様の惜しまれる声を聞きながら営業を終えた札幌クラブハイツは幸せでした」と声を震わせると、満員の客席から拍手が起きた。

(2013年3月1日08時05分  読売新聞)

若い時に全国をネットワークして歩いた事が有り、札幌にもパートナーが出来た。
その関係で、すすきのも何度か行き、この「札幌クラブハイツ」にも連れて行ってもらった。

今では、大型キャバレーなど絶滅貴種であるかもしれない。
僕たちは、憧れとしてのフランスのキャバレー像がある。
ロートレックなどが描いた「ムーランリュージュ」などだ。
そこでは世界中から集まった、芸術家や文学者や実業家や放蕩息子やらが毎晩のように歓声をあげたのだ。もちろん、フレンチカンカンが披露された。
ドイツではカバレットと呼ばれ、こちらは寸劇主体であったようだ。

日本では、キャバレーというと、僕らの世代では福富太郎をすぐに思い出す。
戦後のドサクサのなかを奇跡的に生き抜いたのだろうが、キャバレー太郎の異名をとった。
そこではいわばとんでもない数の「女給」が職を得ていたわけだが、ある意味で彼女たちにとっては「神様」のような存在の一面もあったろう。

福富太郎は、浮世絵などのコレクターとしてもとても有名だ。
もうひとつ日本ではナイトクラブというものがある。
これは女給がいたり同伴するキャバレーではなく、女性と連れ合っていく社交場のようなものだ。
こちらは「赤坂ナイトクラブ」など石坂裕次郎の歌でもお馴染みだが、僕なども連れて行ってもらったことはあるが、もうひと世代上の遊び人たちが、通っていたある種の「文化」の拠点であった。

今では、街中を見渡しても、デフレ対応の居酒屋チェーンや灰皿も置いていないようなカフェスペースばかりで、絶滅貴種の名残りは、ますます少なくなっていく。
 

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