
ロッキー青木さん死去 日本レストラン「ベニハナ」を創業
7月12日9時53分配信 産経新聞
【ニューヨーク=長戸雅子】米国での日本食レストランのさきがけとなった鉄板焼きチェーン「ベニハナ」の創業者で冒険家の知られるロッキー青木(本名・青木広彰)さんが10日夜、ニューヨーク市内の病院で肺炎のため死去したことが分かった。関係者が11日、明らかにした。69歳、東京都出身。 1959年、慶応大在学中に日本選抜チームのレスリング選手として米国遠征に参加、60年に米国に留学し、ニューヨーク市マンハッタンのハーレムで移動式アイスクリーム店を開いた。番傘を添えるアイデアが話題を呼び、米国での最初の成功を収めた。 64年に「ベニハナ・オブ・トーキョー」を開店。ショースタイルの料理法が受け、日本食がまだ珍しかった時代に店舗を次々に増やしていった。 82年には気球で太平洋横断を行うなど冒険家としても知られた。 青木さんが会長を務めていた非営利団体「ニューヨーク倫理友の会」のリンゼイ芥川笑子理事長は「青木さんが現れるとその場が明るく、和やかになった。(複数回の結婚など)私生活のことがいろいろ取りざたされたが、本質は純粋な人。偶然の幸運でなく、自分の才覚でビジネスを成功させた『ゴールデン・ボーイ』だった」と故人をしのんだ。 10日夜には家族や近親者が病床に集まり、最後を看取った。青木さんが最後に書き残した言葉は「もっと挑戦」だったという。 スーパーモデルで女優のデヴォン青木さんは実娘。 パーティーで一度、お会いしたことがある。 華というか、やはりオーラがある人だった。 絵に描いたようなサクセスストーリーの主人公であったが、さまざまな差別・偏見・中傷を乗り越えてきたのだろう。 「億万長者になる法」など多くのサクセス指南本や、ネットワークビジネスの広告塔になっておられたことなどは、僕にはほとんど興味がなかった。 半年ほど前、彼の知人ルートから、日本の若者たちは萎縮しているんで、どんどん海外に飛び出るルートをつくって、後身を育てたいんだ、といった相談を持ちかけられたこともあった。 娘さんのデヴォン青木さんの活躍も含めて、もっともっと、「道楽」をして欲しい人だった・・・合掌! |
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