サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

縁/茂山千作(狂言師)/93歳

2013年05月26日 | 毎日がメメント・モリ

人間国宝の狂言師、茂山千作さん死去 狂言界で初の文化勲章受章者

産経新聞 5月23日(木)11時48分配信

 
 狂言界の第一人者として活躍した大蔵流狂言師で文化勲章受章者、人間国宝の茂山千作(しげやま・せんさく、本名・七五三=しめ)さんが23日午前0時15分、肺がんのため京都市内の自宅で死去した。93歳。通夜は26日午後7時、葬儀・告別式は27日午後1時、京都市左京区黒谷町121、金戒光明寺で。喪主は長男、千五郎(せんごろう、本名・正義=まさよし)氏。


 大正8(1919)年、三世茂山千作さんの長男として京都に生まれ、13年に「以呂波(いろは)」のシテで初舞台。昭和41年に当主名である十二世茂山千五郎を襲名し、天衣無縫の芸と圧倒的な芸格で親しまれた。

 戦後、狂言界が低迷するなか、父や弟の千之丞(せんのじょう)さん(平成22年死去)とともに学校巡演を積極的に行った。昭和29年には武智鉄二さん演出の「東は東」で女優と共演。その後も千之丞さんとともに異流派とも共演するなど、当時の能楽界のタブーを破りながらも狂言の普及に努めた。

 平成元年に人間国宝となり、3年に日本芸術院会員。6年には長男に千五郎の名前を譲り、自身は隠居名の四世千作を襲名。その後も精力的に舞台に立ち、19年に狂言界初の文化勲章を受章した。

自分の人生を振り返ってみて、まあ欠けているものというのはたくさんあるのだけれど、もっとも駄目だなあと思うのは、古典芸能の世界にほとんどといっていいほど、どっぷりとつかったことがないということだ。
もちろん、NHKのたまの芸能の番組や、古典芸能の一人者たちについてふれてこられた評論や、芸人そのものが著した本や、その周辺の展示会などは結構触ってはいるのだが、そんなものはなんの意味もない。
やはり、舞台をちゃんと見るなり、あるいは芸事を身銭を切ってお習いするぐらいのことが、最低限必要なのだろう。

そのなかでも、いつかいつかと思いながら、結局一度もその舞台を見ることがなかった茂山千作さんの狂言が、その最右翼である。
狂言の最低のルールや伝統は、解説書を読めば一通りはわかる。
けれども、戦後の狂言界で大衆化を体を張って推進するために学校巡業を膨大にこなし、武智鉄二とともに、能楽界・狂言の世界を「革命」しながら、素人からメキキのプロまで圧倒し続けたこの人の真髄を、少しでもいいから体で感じたかったと思う。

そういう話を知人にすると、「いいじゃない 、あんたはさんざんサブカルチャーにお金や時間をつぎ込んだんだから、残り人生古典芸能に初歩から入り込めばいいじゃないの」などと言われるのだ。
だけどそういうことではないのだ。
別に、茂山千作が狂言界初の文化勲章を受賞したとかいうことはどうでもいいのだ。
なんというか、彼の学校巡演の場を一生徒として触れたとしても、あるいは本当はたくさん誘われたこともある舞台にちゃんと臆せず行けばよかったのに、ということなのだ。
そしてそれは、本当は、もっともっと若い時代に触れておきたかったということなのだ。
つまるところ、「縁」がなかった「縁」を引き寄せられなかった、寂しさのようなものである・・・合掌! 


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