サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 12549「死にゆく妻との旅路」★★★★★★★☆☆☆

2012年01月01日 | 座布団シネマ:さ行

末期がんの妻を9か月もワゴン車に乗せて日本各地をさまよい、保護責任者遺棄致死の罪状で逮捕された男性が事件の裏側をつづった手記を映画化。工場経営が傾き多額の借金を背負い、必死に職探しをする夫と末期がんの妻が、死を見つめながら続けた272日間、およそ6,000キロに及ぶ旅路を描き出す。監督は、『初恋』の塙幸成。絶望的な状況でありながら深く純粋な愛で結ばれた夫婦を、『転々』の三浦友和と『おとうと』の石田ゆり子が渾身(こんしん)の演技を見せている。[もっと詳しく]

娯楽のかけらもないような、こんな映画がとても貴重に思えることがある。

どこからどうみても、恋人同士で見に行く映画ではない。
たしかに、看取り、看取られという行為は、どんな家族でもどこかで避けては通れない宿命であるとしても、そんな人たちはほとんど映画館に通う暇もない。
三浦友和は、もう昔の青年像はどこにもなく、『転々』(07年)でみせたお惚け味や、『アウトレイジ』(10年)で見せたアンダーグラウンドの卑劣な人物像に惹かれる僕のような者でも、『死にゆく妻との旅路』の無精髭を生やしながらもうどこにも救いがないような世界に追い詰められる人物像を演じている姿を見るのは少々つらい。
石田ゆり子も最近では『誰も守ってくれない』(09年)などの、少し薄幸な感じがする女性を演じさせたら抜群なのだが、減量してのぞんだ末期の癌患者の今回のような迫真の演技を、あらためて見るのは息苦しい。



原作は中学卒で繊維工場を営みながらも、知人の保証人になったことから転落が始まり、不況で借金が数千万円に膨らんでいくなかで、癌になった妻と272日間6000kmのワゴン車での旅に出ながら、「保護責任者遺棄致死」といういかめしい罪状で、1年数ヶ月留置場で暮らした男の実話である。
この手記は、「新潮」に発表され、後に加筆され、新潮文庫になり、15万部が読まれている。
とはいえ、映画化するには、あまりに暗い題材である。
本当を言えば、見て見ぬふりをして、やりすごしたいようなお話である。



案の定、話の進展に滅入るばかりで、どこにも突っ込みの入れようがない。
ほとんどが、主人公の清水久典(三浦友和)と妻ひとみ(石田ゆり子)のワゴンに乗っての「道行」みたいなお話であり、そこには一発逆転も、希望の萌芽もなにもない。
衰弱し痛みに耐えているひとみ、病院を拒否し最後まで久典とふたりでいることを望むひとみ、もうガソリン代もいつまで続くかわからない。
袋小路に入った久典は、ロープを手に取り首を絞めて楽にさせようかと思ったりする。
ひとみは、カミソリナイフを取り出して、手首を傷つける。
そんな話が、延々と続くだけである。
この物語を、誰かに話そうとなどとも思わない。
50歳を過ぎれば、ハローワークをどれだけ回ろうが、職などはほとんどない時代だ。
病院でひとりになることの孤独に苛まれた者は、なにはともあれそんな空間に戻りたくはない。
借金に追われる地獄のような日々は、淡い楽観なども、もたらしてはくれない。

 

映画は娯楽作品である、という考え方に僕も異論はない。
けれども、『死にゆく妻との旅路』のような、気が滅入るばかりの、娯楽作品とは対極にあるような、半ばドキュメンタリー風の生真面目な作品を、あえてこの浮薄な世の中に送り出した、スタッフやキャストに心から拍手を贈りたいと思う。
三億円事件を題材にした『初恋』(06年)でも、新人離れした演出を見せた塙幸成監督は、今回の演出でも奇を衒わず、正攻法でふたりの「道行」を追いかけている。
ひとみは11歳年下の設定だが、久典と一緒になってすぐに娘が出来たから、デートもしたことがない。
久典は悪人ではないが、運の悪い男だし、どこかで逃げ腰の足元が定まらない人生を送ってきた。
借金取りに追われ、ひとみの病状を聞かされ、しかしどこかでなんとかなるのでは、とたかをくくっているところもある。



けれども、272日6000kmの夫婦ふたりだけのワゴン車でのほとんどホームレス状態は、ひとみにとってみればたぶんはじめて訪れた夫婦の「愛」の時間である。
夫のことを「オッサン」と呼んでいるが、自分が「おかあさん」と言われるのを拒否して、これからは「ひとみ」と呼んで欲しい、と甘えたりもする。
久典も、もうすべてを捨てても、ひとみといっしょにいようと心を決める。
もうそこからは、こんなに羨ましい夫婦はいないのではないか、と錯覚を覚えそうになってしまう。
この「看取り」のなかに純粋な関係を見ることがなければ、たぶん「夫婦愛」などという言葉も白々しく思えてきてしまう。



「保護責任者遺棄致死」、久典に手錠をかける刑事は、取り調べで、久典を人でなしのように罵倒する。
ひとみと久典の「聖なる時間」など、第三者の誰にもわからない。
たとえそれが、久典の姉や兄であろうとも、ふたりの血を分けた娘であろうとも・・・。
姫路城、鳥取砂丘、明石海峡大橋、亀岡、三保の松原・・・ワゴンはあてどもなく走り、ふたりは銭湯にたまの気休めをみつけ、コンロでつくる貧しい食事に満足を覚え、そんなふたりに自然だけは優しい夕暮れを用意したりする。
拾った釣り棹で夕飯の魚を釣ったりもする。
やるせないエネルギーは持て余すので、猿山の園をひたすら掃除したりする。
ひとつ布団で身を寄せ合って寝る。
車の窓には段ボールで目隠しをして、もうそのなかでは誰も立ち寄れない世界だ。
下の世話も、久典は苦にしない。



僕たちは時々、老夫婦がひっそりと餓死したり、相手に望まれて自殺幇助をしたりする記事を見かけたりする。
ニュースキャスターたちは、ちょっとそうした不幸に同情するふりをする。
ここではなにが不幸でなにが幸福なのか、いったいふたりになにが起こっているのか、他人からは窺い知れないものがある。
当事者たちだけがわかっていることがあればそれでいい。
社会は、自分たちがその物語を理解できる範囲でしか、想像を働かせようともしないからだ。
『死にゆく妻の旅路』は、そんなことを僕たちに、とても生真面目に考えさせてくれる映画だ。

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転々
アウトレイジ
初恋
誰も守ってくれない』 


 


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