
高校生のみすずは、小さい頃から孤独だ。みすずの母親は小さい頃、兄を連れていなくなったきりだった。ある放課後、みすずはとある場所に足を運んでいた。目の前にはBというネオン看板。みすずの手に握られたマッチの名と同じだ。数日... 続き
ある時代の「共犯幻想」がもつ哀切さが、記憶をめぐる。
1968年12月10日。ほぼ劇中のみすずと同じ年齢の、地方都市の高校生であった僕にとって、「3億円事件」は大騒ぎして、友人たちと推理しあった思い出がある。たった数分の犯行。誰も怪我人が出ていない。遺留品は120点ほどと大量。しかし、日を追うにつれ、それらは大量生産品であり、犯人の絞込みにはたいして役立ちそうにない、ということがわかる。
しばらくして、あの白バイ警官のモンタージュ写真が新聞を飾る。なんとも優しそうな顔。デヴュー仕立ての五木ひろしに似ているなあという感想も・・・。容疑者11万人、動員警官延べ17万人。あとで、知った話だが、当時都立府中高校に通っていた高田純次もそのひとりであったとか。結局、1975年に刑事事件として、1988年には民事事件として、時効が成立した。

犯行そのものは、当時人気の絶頂にあったハードボイルド小説の大藪春彦の「血まみれの野獣」をヒントにしたのでは、ともいわれた。また、強奪額が2億9430万7500円であったことから「憎しみのない強奪」などともじられたりもした。
多くの作家がそれぞれの推理を作品にした。松本清張、佐野洋、小林久三など。またビートたけし主演でドラマにもなったし、ノンフィクション作家一橋文哉も、鳴り物入りで真相と銘打って発表した。
アメリカ在住の実業家であったり、白バイ警官の息子であったり、多くの犯人説があった。僕なんかは、やはり当時の学生運動の活動家が多かった三多摩地区のアパートローラー作戦のための権力のマッチポンプ説を、そうかもなあ、と思っていた。1970年の安保闘争デモが一区切りついたまさにその日に、捜査体制の大幅縮小が発表された。

「初恋」は著者中原みすずが、「三億円事件の犯人は私かもしれない」という、センセーショナルな告白の書物をもとに製作された。もちろん、中原みすずのプロフィールは不明としている。ただ、この原作も、過去に2回、異なるペンネーム・出版社で刊行されているものを加筆・修正したものらしい。最初の元本は、100部であったという。
みすずは、自分を捨てて逃げた母の妹夫婦に預けられており、学校でも家庭でも、孤独な本だけが好きな少女として育っている。久しぶりに見かけた兄から渡されたマッチの店を探し当てる。新宿裏筋の「JAZZ B」。戸惑いながらも意を決して店の地下に続く階段を降りる。場所にそぐわぬセーラー服姿で。そこには、兄をはじめ、仲間たちが、たむろしていた。「子供がなんの用だ!」と詰問される。みすずは思わず睨み付け「大人になんかなりたくない」と言葉を返す。そのやりとりで、みすずの居場所ができた。荒々しい時代の中で、過剰な自意識を持て余して傷ついていく仲間たち。そのなかで、いつもクールにランボーを読んでいる青年に好意を抱いていくみすず。ある日、青年は「お前が必要だ」とみすずに向かって言う。今までの人生で人に必要とされることなどなかった。好きな人に必要とされる。みすずは、「権力を頭を使って混乱させる」という青年の「三億円強奪構想」を二人の秘密として聞くことになる・・・・。

この映画の魅力は、「三億円事件の真相」などにはない。バイクに乗り、警官に偽装した女子高校生と強奪の絵を描いた岸という青年(岸首相の係累らしいことが後に暗示されるが)が、とてもプラトニックな初恋を予兆し、その表現として事件を決行するという心情の純粋さに負っている。この少し年の離れたふたりは、そういうことでしか、青春物語を仮構できなかった。暗く、孤独で、虚無的で、けれど出口のない日々。学生運動も、麻薬も、喧嘩も、SEXも、アングラ演劇も、それぞれの祝祭空間を探し出そうとしては、そんなものはないよ、というように、跳ね返される。男女の恋愛にも、まだハウツー本など存在しなかったし、必要としない時代であった。
みすずと岸は、一昔前の「陽のあたる坂道」のような青春物語を紡ぐことなどできない。お互いに、自閉して生きてきた。けれど、胸のうちには、青白い炎が燃えている。
監督の塙幸成は、1965年生まれであり、この事件の時は、まだ三歳の幼児である。時代背景など知る由もない。けれど、フリーの助監督としてにっかつロマンポルノ末期の助監督を通じて、錚々たる癖のある監督たちにいい意味で、鍛えられたのだと思う。たぶん、ゴールデン街の酒場で、先輩の映画関係者たちに、さんざん、当時の思い出話や武闘物語を聞かされたり、絡まれたりしたのだろう。そこから、当時のJAZZ BARや飲み屋街を再現しようとしたのだろう(実際は、九州でのロケ地で代替もしたらしいが)。僕などは、新宿のそうした場末の飲食街に入り浸るのは、70年代後半でしかないのだが。それでも、懐かしい胸が切なくなるような饐えた空気をよく捕らえていると思う。「JAZZ B」の壁に飾ってあった写真は、流しの写真家として「新宿1995~97」などの一連の写真集を刊行した渡辺克己ではなかったか。

宮崎あおいは10代最後の出演作として、この作品を切望したという。彼女の中では、みすずは実在したのであろう。「NANA」の快活な純粋乙女と対極にあるような、自閉的で束の間の夢を追った哀切な少女をよく演じている。どちらにも共通するのは「ひたむき」であるということだ。決して、はぐらかそうとしない。自分だけは、自分が愛する人に対して。
役者陣では、実兄でありお話でも兄を演じた宮崎将と、いつもの飄々とした演技で見せるオートバイ屋の親父で共犯者の藤村俊二が出色であった。
真崎守の不朽の名作「共犯幻想」(1974年)がこの映画を見ながら、頭の中を駆け巡っていた。中身ではない。「共犯幻想」という言葉(タイトル)が、だ。
今にして思えば、10代から20代にかけて、僕もまた、そうした関係を激しく夢想して、いたのかもしれない。
ある時代の「共犯幻想」がもつ哀切さが、記憶をめぐる。
1968年12月10日。ほぼ劇中のみすずと同じ年齢の、地方都市の高校生であった僕にとって、「3億円事件」は大騒ぎして、友人たちと推理しあった思い出がある。たった数分の犯行。誰も怪我人が出ていない。遺留品は120点ほどと大量。しかし、日を追うにつれ、それらは大量生産品であり、犯人の絞込みにはたいして役立ちそうにない、ということがわかる。
しばらくして、あの白バイ警官のモンタージュ写真が新聞を飾る。なんとも優しそうな顔。デヴュー仕立ての五木ひろしに似ているなあという感想も・・・。容疑者11万人、動員警官延べ17万人。あとで、知った話だが、当時都立府中高校に通っていた高田純次もそのひとりであったとか。結局、1975年に刑事事件として、1988年には民事事件として、時効が成立した。

犯行そのものは、当時人気の絶頂にあったハードボイルド小説の大藪春彦の「血まみれの野獣」をヒントにしたのでは、ともいわれた。また、強奪額が2億9430万7500円であったことから「憎しみのない強奪」などともじられたりもした。
多くの作家がそれぞれの推理を作品にした。松本清張、佐野洋、小林久三など。またビートたけし主演でドラマにもなったし、ノンフィクション作家一橋文哉も、鳴り物入りで真相と銘打って発表した。
アメリカ在住の実業家であったり、白バイ警官の息子であったり、多くの犯人説があった。僕なんかは、やはり当時の学生運動の活動家が多かった三多摩地区のアパートローラー作戦のための権力のマッチポンプ説を、そうかもなあ、と思っていた。1970年の安保闘争デモが一区切りついたまさにその日に、捜査体制の大幅縮小が発表された。

「初恋」は著者中原みすずが、「三億円事件の犯人は私かもしれない」という、センセーショナルな告白の書物をもとに製作された。もちろん、中原みすずのプロフィールは不明としている。ただ、この原作も、過去に2回、異なるペンネーム・出版社で刊行されているものを加筆・修正したものらしい。最初の元本は、100部であったという。
みすずは、自分を捨てて逃げた母の妹夫婦に預けられており、学校でも家庭でも、孤独な本だけが好きな少女として育っている。久しぶりに見かけた兄から渡されたマッチの店を探し当てる。新宿裏筋の「JAZZ B」。戸惑いながらも意を決して店の地下に続く階段を降りる。場所にそぐわぬセーラー服姿で。そこには、兄をはじめ、仲間たちが、たむろしていた。「子供がなんの用だ!」と詰問される。みすずは思わず睨み付け「大人になんかなりたくない」と言葉を返す。そのやりとりで、みすずの居場所ができた。荒々しい時代の中で、過剰な自意識を持て余して傷ついていく仲間たち。そのなかで、いつもクールにランボーを読んでいる青年に好意を抱いていくみすず。ある日、青年は「お前が必要だ」とみすずに向かって言う。今までの人生で人に必要とされることなどなかった。好きな人に必要とされる。みすずは、「権力を頭を使って混乱させる」という青年の「三億円強奪構想」を二人の秘密として聞くことになる・・・・。

この映画の魅力は、「三億円事件の真相」などにはない。バイクに乗り、警官に偽装した女子高校生と強奪の絵を描いた岸という青年(岸首相の係累らしいことが後に暗示されるが)が、とてもプラトニックな初恋を予兆し、その表現として事件を決行するという心情の純粋さに負っている。この少し年の離れたふたりは、そういうことでしか、青春物語を仮構できなかった。暗く、孤独で、虚無的で、けれど出口のない日々。学生運動も、麻薬も、喧嘩も、SEXも、アングラ演劇も、それぞれの祝祭空間を探し出そうとしては、そんなものはないよ、というように、跳ね返される。男女の恋愛にも、まだハウツー本など存在しなかったし、必要としない時代であった。
みすずと岸は、一昔前の「陽のあたる坂道」のような青春物語を紡ぐことなどできない。お互いに、自閉して生きてきた。けれど、胸のうちには、青白い炎が燃えている。
監督の塙幸成は、1965年生まれであり、この事件の時は、まだ三歳の幼児である。時代背景など知る由もない。けれど、フリーの助監督としてにっかつロマンポルノ末期の助監督を通じて、錚々たる癖のある監督たちにいい意味で、鍛えられたのだと思う。たぶん、ゴールデン街の酒場で、先輩の映画関係者たちに、さんざん、当時の思い出話や武闘物語を聞かされたり、絡まれたりしたのだろう。そこから、当時のJAZZ BARや飲み屋街を再現しようとしたのだろう(実際は、九州でのロケ地で代替もしたらしいが)。僕などは、新宿のそうした場末の飲食街に入り浸るのは、70年代後半でしかないのだが。それでも、懐かしい胸が切なくなるような饐えた空気をよく捕らえていると思う。「JAZZ B」の壁に飾ってあった写真は、流しの写真家として「新宿1995~97」などの一連の写真集を刊行した渡辺克己ではなかったか。

宮崎あおいは10代最後の出演作として、この作品を切望したという。彼女の中では、みすずは実在したのであろう。「NANA」の快活な純粋乙女と対極にあるような、自閉的で束の間の夢を追った哀切な少女をよく演じている。どちらにも共通するのは「ひたむき」であるということだ。決して、はぐらかそうとしない。自分だけは、自分が愛する人に対して。
役者陣では、実兄でありお話でも兄を演じた宮崎将と、いつもの飄々とした演技で見せるオートバイ屋の親父で共犯者の藤村俊二が出色であった。
真崎守の不朽の名作「共犯幻想」(1974年)がこの映画を見ながら、頭の中を駆け巡っていた。中身ではない。「共犯幻想」という言葉(タイトル)が、だ。
今にして思えば、10代から20代にかけて、僕もまた、そうした関係を激しく夢想して、いたのかもしれない。
大久保清事件は、私の旧姓が大久保だったもので、思いっきりいじめられましたね。本当にこの犯人を憎みましたが、3億円事件のほうは、なんとなく義賊みたいな、ロマンみたいなものを感じさせたことを思い出しました。
映画としては、ちょっとどっちつかずだったかなあ・・の印象でした。
モンタージュの顔は今でも覚えています。9歳にとって3億円といわれてもピンとこず
あとから 誰も殺さず大金を奪った
見事な?犯罪だと思いつつ
100万円の束300個分・・かなり 重いなぁ~
と
本当にそんな金額が取られたのかしらん?とも
思いました。
映画は 好きでした。
最後のシーンで 涙がこぼれそうになりました。
私の感想も読んでいただけると幸いです。
こちらからもTBさせていただきます。
宜しくお願いします。m(__)m
大久保事件ねぇ。ベレー帽の。あれで、本当に困ったのは、帽子屋さんと全国の大久保さんだったんでしょうね(笑)子供は、悪気なく残酷だから・・・。僕も、大久保さんに、からかいをした覚えがあります(反省!)
>猫さん
いまの、貨幣価値にすると、10億ぐらいですかね。
まだ、1ドル=360円の時代でした。
いまでも、億の単位を聞くと、どこかで、この事件がらみで、ジュラルミンの個数を思ってしまいます。
ありがとうございます。
実際この事件のことは知らなくて、3億円も強盗したのだから
もの凄~い陰湿な内容なんだろうと思って友達と見たわけですが
「何これ?」これが3億円事件なの?みたいな感想でした。
でも3億円事件を描いたというよりも、kimion20002000さんの
おっしゃるように、彼女のひたむきさを軸に描いたとすれば
成功かもしれませんね。
その当時独特の、退廃的な雰囲気が(知らないですが)
よく出ていたと思います。ありがとうございました。
昔をどうしても回顧してしまうようなblogになり気味ですが(笑)
事件当時、社会が受けた印象も、陰湿さはなかったですね。
保険はかかっているし、社員にも、当然、ボーナスは遅滞なく払われましたからね。
決して若くな中年のおっさんの自分ですが(笑)、3億円事件は流石に幼過ぎて記憶が在りません。唯、幼い頃より親からこの事件に付いて色々聞いて来ましたし、関連書籍等を読んで参りました。犯罪に対してこういう言い方をしてはいけないのですが、実に天晴れな遣り口ですよね。
自分もこの作品を観る迄は、3億円事件の真相に鋭く迫る・・といった内容だと思っていました。ですのでかなり拍子抜けはしたのですが、あの時代を生きた若者達の群像劇といった感じで、それはそれで良かった様に思います。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
グリコ事件も、三億円事件も、とんでもない容疑者数でしたからね。いずれも、「俺、容疑者だったぜ」という話を、くさるほど聞きました。まあ、半分は、嘘だろうけど(笑)
「初恋」って、せつないものですね。
ああ、いいシーンでしたね。
デリカシーがあった時代ですかね。
>1ドル=360円の時代でした。
小学生の頃、図工の時間に『このニードルは720円するからな。1ドルは360円だから、ニードル…二ドル…2ドル。2ドルで720円』とかいう話をしていたのを思い出しました。
ノスタルジックないい時代でしたよね、昭和って。