芥川龍之介の同名短編小説をモチーフに、懐かしい風景の残る台湾に舞台を移して再構築した、幼い兄弟の冒険と成長を叙情的につづる青春ドラマ。メガホンを取るのは、本作で長編監督デビューを飾る川口浩史。ホウ・シャオシェン監督などの名監督と共にアジアをまたに掛けて活躍するカメラマン、リー・ピンビンが撮影を担当する。少年たちの母親を演じるのは、『殯(もがり)の森』『クライマーズ・ハイ』の尾野真千子。家族のきずなや国境を超えたつながりに心が温かくなる。[もっと詳しく]
少年の憧れる気持ちと不安な気持ちは、いつの時代もナイーブに存在する。
台湾を二週間ほど旅したのは、三十歳過ぎのことであったか、もう四半世紀前のことになる。
台北の町で食べ歩きをしたり、台南の高校時代の友人夫婦の家に寄ったりしたが、一番記憶に残っているのは、台北から三時間ほどの嘉義駅(海抜30m)を起点に阿里山駅(2213m)に至る「阿里山森林鉄道」に乗ったことである。
この登山鉄道は、インドの「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」、チリ・アルゼンチン間の「アンデス山鉄道」と並び、世界三大登山鉄道と言われている。
全長71.4kmを3時間半で駆け上るのだが、急勾配対策のスパイラルループやスイッチバックの軌道を組み合わせてあり、鉄道ファンならずともわくわくさせられる。
阿里山の主峰である玉山は「新高山」とも呼ばれていた。
例の日本海軍の有名な暗号「ニイタカヤマノボレ」の由来ともなっている。
その「阿里山鉄道」の旅で、たまたま同席で話しかけてこられたのが、台湾大学で教授をなさっておられた老人であった。日本語がとても流暢で、日本の統治時代の思い出をいろいろ話してくださった。
何の気なしに、「この森林を見ていると、日本の山に瓜二つですね」というと、静かに微笑して、「ヒノキですよ。日本の統治時代に森林輸送のために作られたのがこの鉄道です。日本の神社に使われているのですよ」と教えていただいた。
『トロッコ』という映画の舞台になっている西部の花連にはその旅では回らなかったが、日本語を使うおじいちゃんが、トロッコが走る森について、これは「台湾ヒノキ」で日本の明治神宮や靖国神社の鳥居にも使われたんだと話しているシーンで、突然、四半世紀前の教授との会話が甦ったのだった。
最近ではテレビで見るしかないが、台湾も都市部はすっかり近代都市の街並みを競っている。
そこで若者たちのファッションなどを見ていれば、東京や香港やソウルなどとさほど変わらない。
けれども、山深き村や、田園のある里山に行けば、ある意味日本の大正、昭和が色濃く残っているところがある。
少なくとも四半世紀前の僕の台湾の旅では、なんだか田舎に帰ってくつろぐような感じがしたものだ。
『トロッコ』という映画でも、おじいちゃんの住む家のつくりはまるで日本のある時代の典型のような間取りであり、たたずまいである。
台湾人の父親が亡くなって、その遺骨を持って父の生家に里帰りしてきた夕美子(尾野真千子)と8歳の敦と6歳の凱のふたりの息子。
父親が台湾生まれであったということや、夕美子はある程度は台湾語を話せるということとは関係なく、日本から来た三人はすぐにその風景の中に異和感なく溶け込むようになる。
それはたぶん、村のコンパクトな広さや、田園の広がり方や、背景の山々の重なりや、夕暮れ時の色合いの変化や、村人たちのそれほど騒がしくもなくゆったりしたたたずまいや・・・というものが折り重なって感じられるもののような気がする。
芥川龍之介の短編「トロッコ」は、僕も教科書で読んだクチのような気がするが、主人公の良介は8歳。まことに少年期の「秘密」の冒険に傾斜するこころの高揚と、家を離れてしまって不安が擡げてくる中を懸命にこらえる心性が、印象深く書かれたお話である。
たぶん誰にでも思い当たるであろう、あるいはこの時期にしかないような、「世界」(未知)への憧憬と恐怖が描かれており、それはまたファンタジーの原型のような構造も持っている。
川口浩史監督は、多くの実力派監督の助監督を経験してきたが、名刺代わりに自分の監督作品を短編としてつくってみたくて、好きだった芥川龍之介の「トロッコ」を選んだのだという。
それが日本にはもうそんな「トロッコ」の走る抒情的な風景がなく、台湾にまだそういう風景が残っているということを聞きつけ、ロケハンをしながら3年間をかけて舞台を台湾の物語に作り直し、日本にもなじみの深いホウ・シャオシェンのスタッフたちとの共同作業が決定し、あれやこれやのなかで、長編作品としての監督デヴュ-となったのだ。
撮影監督のリー・ピンピンは『珈琲時光』(03年)では小津安二郎の『東京物語』にオマージュを捧げ、東京の沿線町や路地裏や車窓風景を見事に切り取り、その後も是枝監督と『空気人形』(09年)を制作したり、村上春樹原作の『ノルウェーの森』(10年)にも参加したりしながら日本とのコラボレーションを大切にしている。
新人監督にとっては、思いもかけない企画の発展だろう。
『トロッコ』では、河瀬直美監督により奈良の地で15歳の高校生の時に見出され、同監督の『殯(もがり)の森』(07年)でカンヌ国際映画祭でグランプリを獲るなどの活躍が著しい尾野真千子の、不安にかられながら子供との距離がうまくとれない若い母親の演技もよかったが、なんといってもお兄ちゃん役を演じた少年がよかった。
風景が一気に拡がるところで、それまで押していたトロッコに乗り込んで、その頬を揺らすようなスピードに歓声を上げるシーンがある。
芥川の小説では、その感動が次のように描かれている。
「さあ、乗ろう!」
彼等は一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。トロッコは最初徐おもむろに、それから見る見る勢いきおいよく、一息に線路を下くだり出した。その途端につき当りの風景は、忽たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮はくぼの風、足の下に躍おどるトロッコの動揺、――良平は殆ほとんど有頂天うちょうてんになった。
映画では「有頂天」のあと、弟とふたりで来た道を戻ることに成り、弟は疲れたとむづがって歩こうとせず、それをお兄ちゃんは自分も不安だが、泣き続ける弟をなだめ、すかし、励まし、暗くなった森を抜け、ようよう家に辿り着くことになる。
そこでは母が心配して帰りを待っていたのだが、お兄ちゃんはようやく緊張の糸が解けたのか、ワンワンと大泣きすることになる。
少年期というのは、たった二歳の違いだが、まるで兄弟の立ち振る舞いが異なることになる。一年が何年にも相当する。
父親にもらったトロッコを押す少年の写真。それは父親ではなく、おじいちゃんの少年期のものだった。
トロッコに乗りながら、祖父は日本に憧れて日本語を覚え、父は日本に留学し日本人と結婚することに成り、少年はいままた台湾を知り、いつか台湾人であるか、日本人であるかを自分で決めることを宿命づけられている。
最近見た日台合作の『海角七号/君想う、国境の南』は、台湾最南部の町で、日本の教師と台湾の女生徒が敗戦で引き裂かれる運命を回想する物語であったが、『トロッコ』もまた在りし日の日本の記憶を、現在に不可避のように重ねあわせることで、僕たちの感情をとても深いところで揺さぶることになる。
kimion20002000の関連レヴュー
『空気人形』
『殯(もがり)の森』
『海角七号/君想う、国境の南』
不思議な魅力を持った作品でした。
たぶんこの監督の欲のなさのようなものが、その魅力を生んでいるのかもしれないな、と思ったりもします。
日本でトロッコが観られる風景は事実上もうないというとは寂しいことですね。
メーカーの営業時代に台湾のビジネスフレンドの父親を飛行場まで迎えに行ったことがありましたが、日本語で話しかけられてビックリしましたね。
確かに日本が統治していた時代があったことを肌で感じました。