サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10467「海角七号/君想う、国境の南」★★★★★★★☆☆☆

2010年07月07日 | 座布団シネマ:か行

1940年代と現代の台湾を舞台に、約60年間届かなかったラブレターが2つの時代の恋物語をつなぐ切ないラブストーリー。名匠エドワード・ヤンのもとでキャリアを重ねたウェイ・ダーション監督が、約60年前の小さな恋物語や現代の若者の姿を通して、夢かなわなかった者たちの思いを映し出す。主演は人気歌手で映画初出演のファン・イーチュン。現代のヒロインに日本人女優の田中千絵。日本の原風景のようなロケーション映像が郷愁を誘う。[もっと詳しく]

懐かしくて新しい・・・日本と台湾の親和性のようなもの

もう20数年前のことになるが、台湾に2週間ほど、旅をしたことがあった。
仕事にかこつけて行ったのか、純粋な休養だったのか、あまり覚えていない。
その旅の途中で、僕の田舎での高校時代の同級生夫妻のところにお邪魔した。
当時は、電子機器部品よりはスニーカーなどの衣料関係で台湾は世界の工場になっていたようなところもあり、また台湾からさらに労働コストが安いところに、手配されているような時代であった。
友人は、商社的な仕事で、そうした産業の手配師のような仕事をしていた。
台北から台中そして高雄まで、サツマイモのような形をした島の西側を海外線に沿って、僕は縦貫鉄道に乗った。
また観光地としても有名な阿里山森林鉄路も楽しんだ。
まだ台湾一周鉄路は出来ていなかったので、東海岸の方は、猛烈な速度でぶっ飛ばす高速バスを利用した。
鉄道路線の基本は、日本が台湾統治していた時代の、鉄道インフラを利用している。
現在では、台湾新幹線ということでまた日本との関係が、脚光を浴びてもいる。



この映画の舞台となっている「恒春」地域の南端の方にも行った記憶はある。
38年間という世界でも最長とされる第二次世界大戦後の国民党政府による戒厳令が解除されたのは、1987年のことであり、僕が行ったのはまだ「戒厳令」が継続していた頃だ。
夕刻に海岸地帯の方にフラフラと出掛けた僕は、「戒厳令」地帯に遭遇して、ある線以上は近づくことを止められてしまった。平和ボケしていた日本では、考えられない状況。
あとは観光地とい
うことではなく、どこの町でも出会ったお年寄りの人たちの、日本語がとても美しかったことを記憶している。
「台湾」の旅行ブームが起こったのはまだまだ先の話ではあるが、たった2週間程度のほんわかとした旅行者にとって見れば、台湾にはどこか懐かしい、そして居心地のよさのようなものを感じたりした。
日本統治時代のさまざまな施策の功罪や、白色テロや赤色テロが横行したりした台湾の複雑な近・現代史を一通り学ぶようになるのは、その後のことである。
しかもそれは、僕と同じくらいの世代の、台湾のニューウェーブの映画監督たちの仕事に惹かれて、といっても過言ではない。



『海角七号』の監督であるヴェイ・ダージョンは1968年生まれであるが、彼が師事したのがカンヌ映画祭で監督賞をとった『ヤンヤンの夏の思い出』(00年)などで僕たちにも親しいエドワード・ヤンである。
エドワード・ヤンは1947年生まれだが、侯孝賢などとともに、台湾ニューシネマの旗手であった。
どちらにせよ、戦後世代であり、日本の統治下のことなど知りようもない。
彼らにとって見れば、まずは1947年に勃発した二・二八事件以降の蒋介石国民政府による言論統制、知識人弾圧の歴史があり、外生人、内生人、原住少数民族間の複雑な対立・抗争の歴史が直面した問題であった。
しかし、この世代にとって見れば、両親や祖父母を通じて、明治以来の日本の統治政策による、社会制度や産業インフラや教育経験や農・漁業の経験やといった「近代文化」の残影はあちらこちらに見ることが出来るのだ。
もちろん、どんどん風化し、建築物や寺社等は取り壊されたり、もう無用の長物として意味合いさえも忘れ去られているものが大半だとしても・・・。



『海角七号』という作品でも、60年前の戦争終結で日本の関係者が追放・引き揚げした際の、駆け落ちまで考えた日本の若い教師と小島友子という日本語名の少女との別離のエピソードや、民族古典楽器である月琴を弾きながら日本語の童謡を口ずさむポー爺さんや、なにより日本統治下でしか使われず今ではその住所がどこにあるか調べることも難しい「海角七号」という地名表記や、そしておそらく台湾の風景のなかに残存しているであろう日本の統治下の建造物や社会インフラといったものに、日本と台湾のある時期の共生とも思える調べがゆったりと流れている。



もちろん、「ふたつの中国」論や政治・経済的な日台間のタテマエとホンネを使い分ける現代史の奇妙な友好関係をさておいたとしても、戒厳令解除以来の、日本のアイドル文化、サブカルチャーの若い世代への熱狂的な浸透や、逆に過去を知らない日本の若い世代たちにも、観光地としても台湾が根強い人気があることは今さら言うまでもない。
『海角七号』で日本から招聘される中孝介が実際に台湾の音楽シーンで「地上でもっとも優しい歌声」として日本以上に熱烈な歓迎で迎えられていることや、日本人のマネージャー役としてこの作品でヒロインをつとめる友子役の田中千絵も、その中国圏での活躍が評価されてニューズウィーク誌で「世界が尊敬する日本人100人」に選出されたことも、現在の日台間の文化的親密さのひとつの顕れでもある。



『海角七号』は、台湾でクチコミで拡がり、台湾映画興行史上『タイタニック』に次いで二位、台湾映画としては史上一位の5億3000万台湾ドルを記録した。
2300万人とされる台湾の人口からすればもちろん大ヒットだ。
製作費の1億5000万円の調達には苦労したらしいが、素直に拍手を贈りたい。
もちろん、中華圏でこの作品が幅広く見られれば、市場はその何十倍にもなるのだが、ある意味親日的ともいえるこの作品は、中国本土の上映では、日本の統治時代を思わせるシーンが大幅にカットされたという。
台湾の地方都市のイベントをめぐって、郷土愛をめぐるドタバタがコミカル調に描かれている。
そこに60年前の出されなかった恋文や、郷土愛をめぐる地元選出のバンドのぎくしゃくや、日本人マネージャーの不満たらたらなどが織り交ざって、大丈夫かな、という前半部ではある。
しかし、それほど脚本や演出やカメラに冴えがあるとは思えないのに、話が進展するにしたがって、物語りに入り込むことになり、ラストのコンサートシーンでは結構、こちらも感動してしまうことになる。
なるほど、台湾歴代NO1の興行かということが、わからなくもない。



台湾のシンガーで人気のあるアガ役のファン・イーチェンの人気もあるのだろう。
ドラマーのカエル、特殊部隊出身の交通警官でルカイ族のローマ、小学生キーボードのダーダー、客家人で先住民族の地酒を売るマラサン、など六人の急ごしらえのバンドの妙もあるのだろう。
けれども、世界経済に大きな影響力を持つ中国との関係の中で、アイデンティティの在り処が流動化する台湾の人たちにとって、現在では牧歌的な色彩を持って懐かしまれることもあるだろう日本との共生時代を、もう一度間合いを図りたいと言ったような無意識に似た思いが、呼び起こされたためかもしれないという気にもなってしまう。
もしかしたら、もう現在の日本では、この映画でも垣間見られる牧歌的な「日本」そのものが解体されており、それは歴史の中での周辺地域としての台湾のなかに、より象徴化された形でのある時代の「日本」が、残像しているのかもしれない。



「自分は故郷へ向かおうとしているのか、それとも故郷を後にしようとしているのか」と、台湾を去る日本の教師は呟く。
日本の同盟国ドイツのシューベルトの作曲ということで、台湾の中でも生き延びた日本語の唱歌である「野ばら」は、もしかしたら日本でより、台湾で人々の記憶に残る方がふさわしいのかもしれない。
日本語の唱歌としての歌詞は、近藤朔風である。
ちなみに「♪眠れ眠れ・・・」で有名な「シューベルト子守唄(美し夢)」も近藤朔風の翻訳である。

「野ばら」







 

 

童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ
紅(くれない)におう 野なかの薔薇

 

手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野なかの薔薇

 

童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあわれ 清らの色香(いろか)
永久(とわ)にあせぬ
紅におう 野なかの薔薇

 



 

 

 

 

 


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6 コメント

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Unknown (cochi)
2010-07-11 22:31:00
ボクは台湾へは観光で二度行きましたが、びっくりしたのは、美しい日本語に出会えたことです。そしてまさしく牧歌的とも思える日本文化の幻影をみたことです。現代日本ではほとんど忘れたであろうと思われる事柄のいくつかを話題にしました。タイムスリップしたような感覚をちょっぴり感じたくらいです。ひょっとしてここに日本の原型のかけらみたいなものがあるかもしれないと錯覚したくらいです。旅人のわがままです。

映画の中では、かなりの親日ぶり様子が描かれていました。この内容では大陸は相当神経質になるでしょうね。しかし、政治の厳しい現実はありますが、人の交流においては東アジアは一つの文化圏を作っているなと思わせました。
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cochiさん (kimion20002000)
2010-07-12 02:12:44
こんにちは。
そうですね。美しい日本語もそうですし、お茶を入れてくださる所作なども、丁寧なものでした。
中国・韓国は儒教の影響も強く、どちらかというと日本は東アジアでは、台湾と肌合いはいいと思うんですけどね。
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TBありがとうございました (sakurai)
2010-07-12 07:58:36
日本人は、アジア諸国に対して、とんでもなことはしてきましたが、必要以上にすべての国から嫌われてるんだ・・・という強迫観念みたいなものを抱いているのではないかなと思うときがあります。
実際そうなのかもしれませんが・・。そんな中で台湾の方の接し方を目が点になって受けるというのも聞きます。
やっぱ歴史って、大事ですよね。

やはり映画の前半は、「あちゃー、失敗か・・」と感じましたが、徐々に素敵な盛り上がりがホッとさせてくれました。
なんといっても爺さんが秀逸でしたが、台湾映画はご老人がつぼですね。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2010-07-12 15:46:44
こんにちは。

あの老人もいい加減なオッサンかと思っていたら、本当に国宝級の奏者だったんですね。
コンサートではいい味を出していました。
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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2011-08-23 17:10:04
「冬冬の夏休み」という作品で、卒業式で未だに「仰げば尊し」が歌われているのにびっくり。
台湾が比較的親日的なのを肌で感じた瞬間でしたね。
「仰げば尊し」自体は日本の曲ではないらしいですが、間違いなく統治時代の名残りですね。

作品としてはトーンが上手く統一できていないなどぎこちないところもありますが、叙情性は上手く醸成出来ていたような気がします。
ヒロインの日本女性がもう少し平均的日本人としてきちんと描写されていると、幕切れの叙情がもっと生きたような気がします。
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オカピーさん (kimion20002000)
2011-08-24 02:30:23
こんいちは。でもなあ、考えてみると台湾を離れた若い教師って、オヤジの年に近いんだよなあ。そう思うと、複雑です。
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