熟年夫婦が互いへの感謝の言葉をはがきにつづり、これまでに8万通を超える応募が寄せられた人気企画「60歳のラブレター」を映画化。監督は『真木栗ノ穴』の深川栄洋が務め、脚本を『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの古沢良太が手掛ける。出演は、中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、イッセー尾形、綾戸智恵と豪華キャストが集結。さまざまな人生経験を積み重ねてきた登場人物たちが、夫婦のあり方や、これからの人生をどう生きるのか模索する姿が共感を誘う。[もっと詳しく]
人生の「再設計」と、青春の「原点」回帰を、たぶん自分も迫られることになるだろう。
昭和28年生まれの僕は、現在56歳だ。
だから、『60歳のラブレター』という映画に則して言えば、もうその年齢的資格があるかもしれない。
この作品にも登場する3組の熟年カップルは、男が60歳あたり、そして女が数歳ぐらい下の設定のように見受けられた。
団塊の世代やその上の世代に対して、「フン、俺たちはああいう風にはなりたくないよな!」なんて、差異を強調して、強がっていたりもしていたが、下の世代から見れば、「同じよ、あんたたちは」ということになってしまうのだろう。
自分の中で一線を画する気持ちは持ち続けていてもいいのだろうが、「同じよ」というように見られてしまうことに対しては、潔く、じたばたせずに、認めたほうがいいのだろう。
そうだな、そうしてシルバーパスを受けられるようになって、好きな映画もシルバー割引で1000円で見れるようになって、そして友人たちの定年の知らせを受けて、たいしたこともない年金の額を赤提灯でさらけ出しあって、もしかしたら息子に赤いちゃんちゃんこを贈られるようになって、孫に恵まれたとしたら「じぃじぃ」などと呼ばれ、毎年知人の訃報を聞く回数が増え、そしてたぶん自分ももっともっと危なっかしげに周囲に気遣われ、あるいはそういう事態も自分で朧になって・・・。
そういうことも苦笑と共に、認めなければならない。
2000年からの「60歳からのラブレター」という企画に応募された86441通の投稿を基にして、この作品の脚本は練り上げられた。
監督の深川栄洋も脚本の古沢良太も、30代だ。ちょっと乱暴に決め付ければ、団塊Jr.の世代といえる。
投稿そのものは、僕たちと同世代と仮定しても、この世代をどう見ているのか(どう描くのか)という視線は、Jr.の世代にある。
そのことに対しても、「冗談じゃない、俺たちはこんなステロタイプ化されたかないぞ」という思いが半分、「なるほどな、こういうように見られているんだろうな」という納得が半分だ。
映画作品としてみれば、通俗的な世代論の決め付けの中で予定調和のように展開されるテレビドラマに毛が生えた出来映えにしか過ぎないが、ちょっと自分自身を標本のようにして、曝け出さざるを得ない、知らん振りしてやり過すことが出来ないという意味では、切実な作品であるといってもいいかもしれない。
孝平(中村雅俊)とちひろ(原田美枝子)。
静夫(井上順)と麗子(戸田恵子)。
正彦(イッセー尾形)と光江(綾戸智恵)。
この3組は、どこにでもありそうなペアであるが、(それぞれの男女にとっては嵐のような大事件に遭遇するのだが)、誰もが一度は接近しそうな人生の岐路に立たされている。
一組は男の退職を期に、別居によってそれぞれの道を歩み始める夫婦の躓きが描かれている。
もう一組は妻を亡くし難しい年頃の娘をかかえる男と、いつのまにか婚期を逃した有能だが孤独な女の不器用な結びつきをテーマとしている。
最後の一組は命にかかわる病によって、あらためて問い直される夫婦の関係がとりあげられている。
この作品では、まったく無関係な三組の男女のオムニバスにも仕立て上げられたのだろうが、作劇的には、魚屋を営む正彦・光江夫婦と孝平・ちひろ夫婦はご近所であり、正彦・光江の主治医が静夫であり、正彦・光江の娘アキ(星野真弓)の出産も静夫の病院であること、そして夫と別居し暇になったちひろがお手伝いに通うのが麗子のマンションであること、といった関係線が引かれている。
その関係線自体は、そんなに不自然ではなく組み立てられてはいる。
ここではもちろんもう若くはない「アラウンド60」の世代が持つ、人生のこれからの「再設計」というテーマがひとつの主題となっている。
孝平は数十年勤め上げた京亜建設を大きくし専務に登りつめたが、独立し愛人の真美(原沙知絵)の建築事務所を自信満々引っ張っていこうとしている。
黙って主婦業に専念してきたちひろだが、麗子の仕掛けもあり、ダンディな圭一郎(石黒賢)との交際をはじめ、美しく自立していく兆しを見せる。
孝平の「再設計」の自信はやがて崩れ始め、皮肉なことにそれまで自分を表現することがなかったちひろの方が輝き出す。
静夫は打ち込んでいた大腸菌の研究が世界に遅れをとってからは、あまり羽振りの良くない勤務医として淡々と仕事をこなし、5年前に妻を失くしてからも娘の理花(金澤美穂)と静かな生活を送っている。
ひょんなことで、翻訳小説で売れっ子になった麗子の創作のための医学レクチャーをするようになり、生活にはりが出てくる。
一方で麗子も、いつのまにか婚期を逃し、煙草をプカプカ吹かしながら、どこか空虚な生活に苦しさを感じていたので、静夫との会話を楽しみにもしている。
お互い言い出せないままふたりの人生の「再設計」パートナーとなることを予感しているが、娘の理花は麗子に剣呑となってしまう。
健康診断で赤信号が出た正彦は好きなお酒も禁じられ、光江に厳しく体調管理されている。
庶民的なふたりの「再設計」は、田舎に帰って親の介護をしながら畑仕事でもしようか、というものであった。
そんな矢先に、元気であった光江に脳腫瘍が発見され、光江は即刻入院させられ難しい手術を受けることになってしまう。
この3組の人生の「再設計」には、それぞれの障害が立ちはだかることになる。
この映画のもうひとつの主題は、それぞれの障害に行き迷っている登場人物たちが、青春の「原点」を思い返すことで、もう一度自分を曝け出すことにある。
そして、その曝け出すことつまり「原点」に還ることの契機となるのが「ラブレター」なのである。
孝平はもともと画家志望の学生であった。生活のために小さな建設会社に入り、そのボスの娘と見合い結婚をし、猛烈な働き蜂として家庭を顧みず、どこか傲慢で自信過剰の自分になってしまった。
30年前、新婚旅行先の四国の写真館でちひろが書いた30年後の自分たちへの手紙が写真と共に届けられる。
結局、妻の望みをなにも聞いてやることができなかった自分。
妻がおねだりしたのはたった1回、北海道のラベンダーを見に行きたいというものであった。
孝平は一心不乱に絵筆を取って、ラベンダーの花園を描き始める。
静夫はもともとテレビ番組で見たベン・ケーシーに憧れてこの道を志した。
麗子も日本にいづらくてアメリカに留学した。
そんな二人は、どうしてこうなってしまったのか、孤独と諦めの中にある。
ふたりの接近に反発していた理花から英語の手紙が麗子に届けられる。
それを静夫の前で声に出して和訳してほしい、と。
そこにはI LOVE YOUと綴られている。
正彦はビートルズに憧れてバンドをやりだしたロッカーだった。
そんな正彦の追っかけをしていたのが光江。
日課の健康管理のためのジョギングの途中でため息をついて眺め回していた楽器店の27万円のマーチン製アコースティックギター。
そのギターが売れたということで正彦は落胆したが、実は光江が誕生日プレゼントに買っていたのだ。
そこには、手紙が添えられていた。
正彦は手術後の意識の無い光江の前で、彼女の好きだった「ミッシェル」をそのマーチンで何度も何度も歌って聞かせる。
僕自身は、前の相方とは大学時代からおよそ15年、その後今の相方とはおよそ20年、たぶん何度も愛想をつかされながらも、ともあれ今日まで来ている。
これからどうなるか、後悔先に立たず、はなはだ心許ない。
別居してからはじめて、妻の干物のうまさに、思わず「旨いなあ」と感歎を洩らす孝平の情けなさや、待ち合わせの喫茶店のガラスの前で、見られているのも知らないで髪をなでつけたりする静夫の不器用さや、「俺より先に逝ったりしたら許さないぞ!」とおろおろする正彦の慌てぶりや、そういうものがたぶん僕の中にもあるはずだ。
そのことは本当はわかっているのに、相方の前では、なにも気づかないように、無神経なザマを晒してしまう。
僕にも「60歳のラブレター」があるものかどうか。
熟年世代へのアンケートによれば、夫の85%が「定年後が愉しみ」と浮かれており、妻の40%が旦那と向き合うことが憂鬱だと答えている。
なるほどな、と思えなくもない。
一般論に回収するつもりはないが、概して男というものは、駄目だな、と気弱になってしまったりもする。
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これは今年のワースト入り決定なんですが(笑)、まだまだこの世代には遠い私が観ても、明らかにこれは男性目線なんですよね。
孝平とちひろのエピがそうでした。
これがまるでダメで、他の2つのエピを台無しにしてました。
あまりにもこれじゃ男性に都合よすぎ。 というか女性たちはもっともっとドライです。 今まで大して奥さんのことなんて興味がなかったのに、歳を取って自分をあてにしてくるダンナとか、ウザいとしか言えないんですけど。 笑
でも、夫婦で2000円だと、あんまり儲からないか・・。
中村さんは、これで日本中のおばさんを敵に回したそんな役回りでしたが、ちょうど息子さんの事件もあって、バッドタイミングでしたね。
映画作品としては、まるで駄目です。
でも、自分の年齢から来る切実性だけは、個人的にあったというだけです。
男性目線に対するお怒りもあると思いますが(笑)、まあ、男たちは押しなべて駄目ですから(僕も含めて)、哀れみの視線でちょっと見てやってください。
ふーん、夫婦で2000円だったんですか。
中村雅俊、おばさんたちを敵に回したかもしれませんが、永遠の青年の無様さを、僕はよく演じていたなあ、と拍手を贈りたいですね。