『300 <スリーハンドレッド>』を手掛けたザック・スナイダーが、映像化不可能といわれていた同名グラフィック・ノベルを映画化したミステリー超大作。数々の歴史的事件にかかわってきたヒーローが次々と殺されていく裏で、世界を揺るがす壮大な陰謀劇が展開する。出演は『リトル・チルドレン』のジャッキー・アール・へイリーら。前人未到のビジュアル・ワールドと、その衝撃性ゆえ映画化が断念されてきたストーリーに注目だ。[もっと詳しく]
アメコミの革命といわれた金字塔的作品が、20余年ぶりについに映像化された。
別に「賞」という権威に盲従するわけではないが、中学生の時からせっせとSFを愛読していた僕にとって、ひとつの水先案内になっていたのは、ヒューゴー賞あるいはネヴュラ賞の過去の受賞作品は、すべて読破するということだった。
ヒューゴー賞は1953年に制定されたアメリカSF界のもっとも権威ある賞であり、ネヴュラ賞はアメリカSFファンタジー作家協会(SFWA)が制定する賞である。
両賞を受賞した作品は、「ダブル・クラウン」と呼ばれている。
そこから導かれるように、古典SF,SFファンタジー、スペース・オペラ、ハードSF、サイバーSFなどの分野を渉猟し、創元文庫や早川文庫からサンリオ文庫のSF・ファンタジー作品に関しては、1990年ぐらいまではほぼ読破していたように記憶している。
そして、1988年のことだが、SF関連の雑誌を読んでいて、『ウォッチメン』というコミック作品が、ヒューゴ賞の特別部門に選ばれ、同賞を受賞した唯一のコミック作品となったことを知ったのである。
紹介記事を読みながら、なにやらすごいコミックが出たということは分かったのだが、日本語翻訳を手にすることが出来たのは、それから10年ほど後のことである。
当然のことのように、僕らがアメコミに対して抱いていたイメージが一変したのである。
小野耕正の『アメリカンコミックス大全』(晶文社)などは書棚にはあるが、アメコミに対しては、僕自身はそれほど造詣もないし、マニアの議論にはとてもついていけないド素人である。
そして、ヒーローもののアメコミを題材に、多くの映画が作られ続けており、ひととおりは観賞しているつもりではあるが、特撮技術であったり、役者を巡るゴシップであったり、監督の思いいれということを除いては、単なる娯楽作品の1ジャンルだという感想しかなかった。
『スーパーマンシリーズ』『スパイダーマンシリーズ』から最近の『ハルク』『アイアンマン』『Xメン』『ファンタスティック・フォー』などなど多くのハリウッドの大作シリーズも、まあ娯楽として楽しめましたかねぇ、というところがせいぜいであった。
そのなかで、別格なのが、『バットマン・ダークナイト・リターンズ』で熱狂的ファンを確保したフランク・ミラーものである。
原案・脚本に参加した『ロボコップ2・3』、原作の『デア・デビル』『エレクトラ』はそれなりの域を超えないが、ロバート・ロドリゲスと共同監督となった『シン・シティ』や、この『ウォッチメン』の監督であるザック・スナイダーと組んだ『300<スリー・ハンドレッド>』には、すっかり魅了されたのである。
あと、個人的な好みとして言えば、ギレルモ・デル・トロ監督の『ヘル・ボーイ1・2』は、大好きな作品である。
そして、アラン・ムーア原作、デイブ・ギボンズ作画の『ウォッチメン』の映画化が、ずっと囁かれ続けていながら、「映画化不可能」だろうということで、ファンをがっかりさせ、ある意味で喜ばせた(つまらないレベルの作品にしてほしくないから)のである。
過去にテリー・ギリアム監督など何人かのすぐれたクリエーターが映画化に着手したが、繰り返し断念されてきた。
だから、ザック・スナイダーによって『ウォッチメン』の映画化が進行しているというニュースを知った時には、僕も待ちきれない思いであったし、僕よりカルトなこの作品の世界中のファンたちは、もっとドキドキしながら封切を待ったはずなのだ。
ザック・スナイダーは163分という結構長尺のこの作品を、驚くほど原作に忠実でありながら、よくも特異な世界観であるこのアメコミを、特撮技術も縦横に駆使しながら映像化したものだと、まずは驚かされた。
「ウォッチメン」とは「見張る(監視する)人」の意。
そしてこの作品のテーマは、「誰が監視人を監視するのか?」ということである。
時代設定は1986年。そしてこの「ウォッチメン」のチームがつくられた前身である「ミニッツマン」と呼ばれた40年前のヒーローたちとの時代の幅で、世界情勢をコミカルにあるいはダークに風刺しながら、物語はある意味ミステリーの謎解き風に進展していくことになる。
「ミニッツマン」たちが、正義対悪の構図の中でヒーローとなりえた時代は終焉を迎え、その後継者たちもヒーローの超法規な活動を禁じるキーン条例によって、引退を余儀なくされるようになった。そればかりか、何人かのヒーローは、謎の死も遂げている。
しかしキーン条例以降も、いつもスマイルバッジをつけている「コメディアン」は、ベトナム戦争、ウォ-ターゲート事件、ケネディ暗殺、中南米の共産主義政権潰しなどでは、政府の意向を受けて「暴れん坊」として生き残っていた。
その「コメディアン」がなにものかに殺された。
スマイルバッジが血で汚れている。
そこから物語りは始まる。
物語を主要に構成するのは、「コメディアン」を含め6人の後継ヒーローだ。
この6人のヒーローともアメコミ時代の比較的単純なパワーヒーローではありえず、どこかでアンチヒーローの側面を持っている。
「コメディアン」・・・開拓時代の保安官あるいはナチスのように有無をいわせぬ暴力衝動を持っている半面、信仰心も厚く、自らの行いを悔いている面も見える。
「ロールシャハ」・・・娼婦の息子として生まれ、不幸な幼少時代を送っている。キーン条例以降も、特に少女を誘拐し犬に食わせた犯罪者に向かって以来、地下に潜ってモラルの欠落した世界の勝手な「仕置き人」として存在している。トレンチコートにソフト帽、白地にランダムに黒墨を流したようなマスクを被っている。
「オジマンディアス」・・・メンバーの中で唯一正体を明かし、卓越した頭脳を使って、新しいエネルギーを供給するためにヴェイト社を興し大財閥となり、南極に秘密研究基地を有している。
「ローリー」・・・初代シルクスペクターであるサリーの娘。酒に溺れるサリーの能力は受け継いでいるが、出生の秘密に悩んでいる。
「ナイトオウル2世」・・・銀行を経営していた父親の莫大な遺産を受け継いでいる。ステルス機能を持った飛行船や独自の暗視ゴーグルを製作したりする機械オタクであるが、引退後は静かに地下にこもっている。
「Dr.マンハッタン」・・・核実験の事故に遭った原子物理学者。全身分解したが、そこで原子を操作するという究極の能力を得た。アメリカにとっても、未来技術をもたらす宝庫であり、国防の要ともなっている。
一方で、笑ってしまえるニクソンやキッシンジャーをパロディのように登場させながら、米ソの冷戦下、核の脅威が一触即発の状態となり、地球の破滅までの「時計」は残り数分を指している。
そして、ソ連のアフガン侵攻がはじまり、アメリカはいまにも核のボタンを押すシミュレーションをしている、そんな80年代の緊張の状況が、記録映像なども合成しながら描かれている。
「コメディアン」の殺害から、その犯人探しをする「ロールシャハ」に、「ナイトオウル2世」や「ローリー」も巻き込まれていく。
一方で、「オジマンディアス」の財力・頭脳と、「Dr.マンハッタン」の桁外れの超能力・超科学が組み合わされる中で、なにやらとてつもないスケールの構想が進行しているようだ。
6人の中でも「Dr.マンハッタン」の能力は比類なく、原子をコントロールすることにより時間というものも超越する
彼は、量子力学的スーパーヒーローなどと呼ばれている。
造形もほとんど全裸に近く、ギリシャの彫刻やユル・ブリンナー演じる怪僧風でもありどこかで聳え立つ大日如来を想起するような存在とも見える。
「ローリー」を愛しているが、その能力が高まれば高まるほど、額の水素マークが輝き、人間世界の価値から遠く超越していくようになる。
この「Dr.マンハッタン」の力を利用した「オジマンディアス」の謀略により、サイキックショックウェーブがいくつかの都市地域を壊滅させ、数百万人に犠牲をもたらす。
しかし、その力を「Dr.マンハッタン」の行為だと曲解した冷戦大戦下の世界は、核廃絶を誓い握手をするようになり、ワンワールド的な世界平和がもたらされることになる。
ここで、「Dr.マンハッタン」は、国威あるいはイデオロギーの覇権を競うための<核爆弾>をも相対化する、絶対の力を象徴させられる存在となっている。
これを、「神」と置き換えてもいいし、反神の「ルシファー」と見做してもいいかもしれない。
その「絶対の力(超越者)」の恐怖による支配あるいは平和に対して、対極な位置に存在するのが「ロールシャハ」だ。
座標で言えば、理想世界の実現のためにその超越者を利用するのが「オジマンディアス」。
そして、そうしたやり方に抵抗を示すのが「「ナイトオウル2世」と「ローラ」。「偽悪」を引き受けながら、トリックスターのような振る舞いをせざるを得ないのが「コメディアン」という解釈も出来るかもしれない。
「監視者を監視するのは誰か?」
このモチーフはもちろん世界の警察を自認するアメリカという超大国をパロディ化しているということもできるし、宇宙的な視座からの超越的神の視線をアナロジーすることもできるし、人間がコントロールすることができなくなってしまった「科学」のオートマティズムに警鐘をはなっていると見て取ることも出来る。
『ウォッチメン』という作品の中に、重層的に散りばめられた暗喩やアイコンをときどきはマニア的視線で解読しながら、なにかしら『カラマーゾフの兄弟』の大審問官を巡る高等的な議論や、東洋的な悠久の時間、宇宙の神秘にまでいたるイメージを喚起されることになる。
僕はヒューゴ賞を受賞した『ウォッチメン』というコミックの革命といわれた1986年発表の幻の作品に、ようやく20年余りを経て、あらためて映像を通じて、発熱するような思いで、没頭するのであった。
kimion20002000の関連レヴュー
『シン・シティ』
『ヘル・ボーイ』
『300<スリーハンドレッド>』
ハインラインは、アシモフ、クラークと並んで、三大古典SF作家などとも言われています。
ヒューゴ賞も四回受賞していますね。
「異星の客」は風刺に満ちていますね。一番人気は「夏への扉」かな。なかなか詩情豊かですよ。
最近この手の阿呆臭いミステイクが多くて、くさっていますよ。
帯に<ヒューゴ賞受賞作>などと書かれて興味を覚えたものの、余りの厚さに恐れをなして未だに読んでいないんですけどね。^^;
kimionさんなら当然ご承知の小説でしょう。
で、確かにDr.マンハッタンの造形や思想には仏教的なものがありますね。
それから「カラマーゾフの兄弟」の指摘も納得。
特に僕の理解を超えている、ということで。(笑)
いろいろマニアには(僕はそこまでいきませんが)隠された暗喩や記号が散らばめられているようですね。
僕はずっと楽しみにしていたもんで。
続編はもうないかな?
この作品は1回見ただけでは分かりにく
難解なお話だったような気がします。
ただ、お気にいりの「ダークナイト」と
同じ匂いがした作品で、もう一度観賞しようと
思います。
今度、訪れた際には、
【評価ポイント】~と
ブログの記事の最後に、☆5つがあり
クリックすることで5段階評価ができます。
もし、見た映画があったらぽちっとお願いします!!
原作そのものは、冷戦終了前の1980年代ですからね。
とても、原作に忠実に創られています。
物理学者も、あんまり細かいことを言わず、愉しんでアドバイズしているようですね。
原作者の量子力学的世界観の設定は、80%ぐらいは、理論的にはありうる世界だとコメントしていますね。
何にも知らず、こんな話があったんだ!と言う感じで、見たのですが、なかなか勉強になりました。
でも、今見ると、やはりちょっと隔世の感がありました。
核による終末時計・・というと、かなり前の感じがしましたです。
これからもよろしく。
gooも、編集画面を変えたようだけど、いろいろユーザーからは、叩かれてますけど(笑)
ttp://mescalinedrive.net/2009/03/post-290.html
「塩の柱」の表題で本作について語りました。拙ブログには他にも映画について幾つか記事がありますので、気が向いたときにでもご笑覧くださいませ。
普通にURLを書き込みますと撥ねつけられるものですから、最初の“h”を削り取らせてもらいました。
gooには心底から嫌われたようです。
gooはいろんな人と相性が悪くて、仕方ないですね。
面倒でも、気が向いたら、コメント欄に、該当URLを
コピペしていただけると、助かります。
もう、とっても原画に忠実ですよ。
スタッフの努力に、敬意を表したいです。
拙ブログにトラックバックしていただきしてありがとうございます。
gooブログとの相性がよくないようでして、こちらからトラックバックを送ることが叶いません。申し訳ないですけれども、このコメントにてかわりとさせていただきます。
本作の原作を読んでいないので、ザック・スナイダーの映像作りにおける拘りに気付くべくもなかったのですけれども、こちらの記事にある2点の対比図を見てそれを実感しました。原作への敬意を示しつつ自分の美意識を貫いたのかと思うと、私のなかのザック評が鰻登り。「300」はそうでもなかったのですが。
当該ブログのURLすら受け付けてもらえません。どうにもgooブログには嫌われているようで……。