サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 08328「ラスト、コーション」★★★★★★★★☆☆

2008年09月18日 | 座布団シネマ:や・ら・わ行

日本軍占領下の上海、そして香港を舞台にチャン・アイリンの自伝的短編を『ブロークバック・マウンテン』のアン・リー監督が映画化したサスペンス・ドラマ。1万人のオーディションで選ばれた、女スパイを演じるタン・ウェイは大胆な性描写にも体当たりで臨み、演じ切る。トニー・レオンの完ぺきな中国語にも注目。総製作費40億円をかけた映像美も見逃せない。[もっと詳しく]

この映画は、アン・リー監督の究極の「役者論」を、示唆しているのかもしれない。

僕の祖父が戦前の上海で貿易商をやっていた関係もあろうが、その頃の上海、つまり美しい租界地の独特の雰囲気の中で、当時の世界のどこにもないコスモポリタニズム、複雑な政治状況の中で不安と不信に脅かされる人々、さまざまな階層の大衆のたくましさ、阿片にまみれた地下の背徳の世界、そしてひたひたと押し寄せる日本軍の軍靴の足音あるいは中国内の軍閥を複雑怪奇に巻き込んだ権力闘争などといった光景を想像して、夜も眠れなくなることがしばしばあった。
現在の超高層ビル群に象徴される資本との奇妙な結託がいくところまでいったかのような光景とは、ずいぶんの開きはあるのだろう。
しかし、いまでも「魔都」としての妖しい引力のようなものは、十分に闇に潜んでいるのだろうと思う。



そうした上海、ことに日本の軍事支配化が見え出した20世紀はじめの上海を舞台とした映画は、いくつか記憶に残っている。
ここ10年ほどの製作映画にしぼってみてもいい。
北京オリンピックの開会式演出で話題を呼んだチャン・イーモウが元妻であるコン・リーをヒロインにして、この時代の上海を描いたのが「上海ルージュ」(95)。もっとも、チャン・イーモウはこの作品を失敗作と位置づけてはいるが・・・。
アンディ・ラウとレスリー・チャンの人気コンビが上海のノワールな側面を打ち出した香港映画が「上海グランド」(96年)、この作品はもともとはチョウ・ユンファ主演の80年代のテレビシリーズを基にしている。
「宋家の三姉妹」(97年)は、日本も製作に加わっているが、長女は名門財閥の孔家の妻に、次女は革命家孫文の妻に、三女は国民党指導者である蒋介石の妻にといった、まさに中国の近代史の動乱を数奇に生きた名門宋家の三姉妹の実話を基にしている。



抗日のアナキストグループの悲劇を演じたのはチャン・ドンゴンの「アナーキスト」(00年)。当時は、珍しかった韓国と中国の合作映画である。
人気女優であるチャン・ツィイー主演の2本の上海を舞台とした作品も忘れがたい。
1本は抗日組織に入った女性を演じた「パープル・バタフライ」(03年)で日本からは仲村トオルが参加している。
もう1本は、上海の3代にわたる写真館の女系家族を演じた「ジャスミンの花開く」(04年)であり、これはチャン・ツィイーのために用意されたような映画であった。
ヨーロッパの作品としては、ジェームズ・アイヴォリー監督と、アジアを撮らせれば右に出るものがいないクリストファー・ドイル撮影監督のコンビで「上海の伯爵夫人」(06年)が製作されている。この作品には、真田広之がイギリスの名優たちに対して、堂々とした演技で張り合っている。
こうしたすぐに思い浮かべることが出来る作品群を見ながら、もちろんいつも頭の悪そうな猛々しいだけの日本の軍人像に、哀しい気持ちが湧き起こったりもするのだが、それはさておき、当時の上海の街が再現されたかのようなセットやロケをみると、なぜか胸が詰まってしまうのである。
どこかで、祖父を思い浮かべているのかもしれない。



「ラスト、コーション」は台湾・アメリカの合同製作であるが、「ブロークバック・マウンテン」でアカデミー賞に輝いたアン・リー監督が中国に渡り、最初の作品となる。
すでに、ヴェネツィア映画祭では、グランプリ(金獅子賞)と撮影賞の2冠を獲得しており、アン・リー監督3度目のアカデミー賞オスカーも囁かれている。
上海の日本軍統治下のこの不穏な時代について、台湾生まれのアン・リー監督はもちろん中国本土は知らないわけだが、1895年から1945年まで日本の支配下にあった台湾での歴史的体験のようなものを、自分の視線に繰み込んだようにも思える。
この作品そのものに、日本軍の残虐さあるいは現地の支配の手練手管が、さして出てくるわけではない。
物語そのものは、日本占領下の上海における特務機関の長イー(トニー・レオン)の暗殺を目論む反日組織が、ウォン(タン・ウェイ)をマイ夫人と偽装し、一家に近づきながら、やがてウォンがイーを任務のため誑し込もうとするサスペンスタッチの駆け引きが軸となっている。



しかしこの作品のどこをとっても愛国的プロパガンダの匂いはなく、また当時の歴史情勢から来るイデオロギーや集団力学は、ほとんど捨象されている。
あくまでも、日本と通じる特務機関をのぼりつめる慎重で孤独なイーという男が、唯一欲望を放てる相手を見つけ、戦争のために海外留学に足止めを喰らってしまった少女ウォンが、たまたま愛国劇の役者に誘われたことから抗日グループにのめりこむことになってしまい、ふたりが肉体を重ねるうちに禁断の愛に踏み込んでいくという、とても官能的なラブ・ロマンスが主題となっている。
ここでは、日中戦争も、反日抗争も、暗殺の陰謀も、血で血を争う諜報戦も、たまたまこの二人に用意された舞台に過ぎない。
アン・リー監督は、極限状態の中での、男女が性にのめりこんでいく衝動、そのことをのみ、描きたかったのではないか、と思わせられるところがある。



ヒロインのタン・ウェイは1万人の応募者の中から、掘り当てられた。
ヴェネツィアでは、中国版の「愛の嵐」であるとも評され、「中国のリリー・マルレーン」であるとか、「新たなセックス・シンボルの誕生」などと騒がれたようだ。
僕にはこの女優さんは、どこか日本人的な顔立ちでありながら、クレバーで少し悪戯っぽく、清楚なように見えてしかし独特の色香を身体にまとっているような、そんな感じがする女優さんだ。
年齢制限のある映画だが、少なくとも僕が現在までに見ている中国映画の中で、もっともラディカルで迫真的な性愛のシーンを演じているように見える。
「大胆で後悔を知らない」このウォンという女性を、その変貌していく様子を、あたかもタン・ウェイという新人女優が、アン・リーというきわめて芸術的で繊細な職人監督によって、変貌させられていくさまを、この作品で二重写しにして見ているような気がしてくるのだ。



そういう意味では、この作品は、アン・リー監督の「役者論」といってもいいものだ。
アン・リー監督はインタヴューでこう述べている。
「演技と模倣は人間の残忍な性質によるものだ・・・より豊かな体験へ、高次の意味へ、芸術、真実へと開放する手段として・・・」
ベテランであるトニー・レオンと新人であるタン・ウェイに、アン・リー監督は、執拗にイーとウォンになりきるように演技指導したはずである。
マレーシアから上海へ、この撮影に要した日数は118日という。タン・リーはそのうち、114日の撮影に付き合い、メイク・髪・ドレスの調整に、連日3~4時間をかけたという。
アン・リー監督は、往年のフィルム・ノワールを撮りたかったのだともいう。
劇中にも、ヨーロッパ映画が上映されていたが、タン・ウェイにも、グレタ・ガルボの出演作などいくつかの往年の名画を観るように指導したらしい。



タン・ウェイ演じるウォンは、育ちの良さそうなけれどどこか野暮ったさの抜けない戦時下の女子学生として登場する。
この女子学生から、後のトニー・レオンとの大胆な性愛演技は、まったく想像できない。
しかし、ある日、ふとしたことから抗日劇への出演を誘われ、ウォンははじめて女優となることで、舞台の高揚感に目覚めてしまった。
演じること、模倣すること・・・。
ウォンにとって、マイ夫人を偽装し、チャイナドレスとハイヒールに着飾り、イーの歓心をひき、仲間により任務のため処女を奪ってもらい性愛のテクニックを身につけ・・・そうした行動は、愛国のため、思想のため、というよりは、演劇のあの高揚感の延長線上にあるものだといってもいいし、
女優の魂のようなものといってもよい。
イーの動向を組織に報告する時も、義務というよりは、スパイを演じる役柄に忠実であろうというようにみえる。



マイ夫人は、イー夫人たちに近づき、麻雀仲間となる。
麻雀はもちろん、高度な心理ゲームである。
互いのゲームを模した囁き、日常の出来事のやりとりのなかに、全神経を注いで相手を裸にし、自分を偽装する、応答劇のようなものである。
そして、最初にウォンが卓を囲んだ時、その目の配り、笑みの湛え方、羞恥の仕方、気品の発露・・・映画を見ているコチラがぶったまげてしまった。
彼女の視界の片隅に、トニー・レオン扮する隙のない背広姿のイーがいる。
偶然のように交わされた視線の、絡み合い。
ここから、中国映画史上はじめてのあの生唾を思わず呑んでしまうような美しい性愛シーンまでは、指呼の距離であった。
この作品を観賞した中国共産党のある高官が、不快感をもたらしたと言う。
トニー・レオンのような人気の役者に、日本と通じる特務機関の役を演じさせたことによるのかもしれない。
それとも、タン・ウェイの性愛シーンに、思想的革命性の希薄さを見て取ったのかもしれない。
そのせいで、タン・ウェイのCMが放映中止になったという馬鹿げた話まで聞こえてくる。
こうしたつまらぬ中国高官には、アン・リー監督が描こうとしている世界は、きっと生涯、わかるわけがないのだと思う。

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ブロークバック・マウンテン
アナーキスト
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ジャスミンの花開く








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24 コメント

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Unknown (rose_chocolat)
2008-09-21 22:25:24
こんばんは。
この映画、大好きで、たぶん自分の今年のナンバーワンになってしまいそうです。
いろんな想いが、宝石店で視線を交差させる場面に表れているようで。
背景の細かいことは歴史を勉強すればよく、映画ではひたすらこの2人の愛の形に没頭できたのもよかったです。
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roseさん (kimion20002000)
2008-09-22 00:48:43
こんにちは。
宝石店のシーンも上質なミステリーサスペンスを見ているような緊張感がありましたね。
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男女の愛の真髄。 (BC)
2008-09-22 01:27:44
kimionさん、お久しぶりです。
トラックバックありがとうです。(*^-^*

>ヴェネツィアでは、中国版の「愛の嵐」であるとも評され

戦争が背景にありながらも主題は男女の愛の真髄を描いているように感じるのは
『愛の嵐』に通じるような気もします。
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こんばんは、TBありがとうございました (パピのママ)
2008-09-22 01:33:17
久々に良い映画を観たなあ、と上映終了後しばらく余韻に浸りました。
主演の新人女優タン・ウェイ、この映画の中では、正に「映画女優!」といった貫禄さえ感じられる堂々たる演技です。
対するトニー・レオンもまるで「カサブランカ」でのハンフリー・ボガートを彷彿とさせる、渋い、寡黙な名演技。
過激な(?)セックスシーンがとても話題になっていますが、実際観てみると、過激というより、緊張感を孕んだ、痛々しいまでに、ふたりの人間の孤独感を表現しているシーンでした。
本当に、観ているこちらの胸にまで突き刺さってくるような、そんな印象を受けました。
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BCさん (kimion20002000)
2008-09-22 01:47:24
こんにちは。
「愛の嵐」は、もう少し背徳性のようなものを感じますけどね。やはり、アジアの緊張に満ちた愛でしょうね。
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パピのママさん (kimion20002000)
2008-09-22 01:49:14
こんにちは。
そう、痛いという感じですね。
とても新人女優さんだとは、思えませんですね。

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こんにちは♪ (ミチ)
2008-09-22 22:42:42
この時代を舞台にした映画は本当にたくさん作られていますね。
私もkimion20002000さんが挙げられた作品を何本か見ています。
街も時代も、そこに集まる人々もなぜか魅力的。

>アン・リー監督は、極限状態の中での、男女が性にのめりこんでいく衝動、そのことをのみ、描きたかったのではないか
そう考えると、とてもシンプルな作品といえるのかもしれませんね。
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はじめまして (しのぶん)
2008-09-22 23:31:30
TBありがとうございました。

この映画は、心理描写のほかも、時代の空気をよく描写していたのが印象的でした。
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ミチさん (kimion20002000)
2008-09-23 08:18:40
こんにちは。
なんか妖しげな魅力が、ありますね。
租界地という特殊性からくるものでしょうね。
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しのぶんさん (kimion20002000)
2008-09-23 08:20:38
こんにちは。
やはり、このスタッフは職人揃いだなあと思います。t手を抜いてはいませんね。
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