サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

ハワイアンの女王/日野てる子(歌手)/63歳

2008年09月19日 | 毎日がメメント・モリ

ハワイアン歌手・日野てる子さんが死去


9月19日8時1分配信/FONT>サンケイスポーツ




 ハワイアン歌手の日野てる子(ひの・てるこ、本名・一ノ瀬輝子=いちのせ・てるこ)さんが9日午後11時35分、肺がんのため東京都杉並区の病院で亡くなっていたことが18日、分かった。63歳だった。

 日野さんは平成15年12月に受けた精密検査で肺がんが発覚。がんは脳に5カ所も転移しており、入退院を繰り返していた。一時は容体が快方に向かい、歌手活動を続けていたが、昨年に再びがんが見つかり、同年12月23日に出演したクリスマスディナーショーが最後の公の場となった。

 4人姉妹の末っ子として愛媛・松山市で生まれた日野さんは、昭和37年に全日本ハワイアンコンテストで優勝し、39年にデビュー。癒し系の笑顔と歌声が注目を集め、40年発売の「夏の日の想い出」が100万枚を超える大ヒットに。同年から3年連続でNHK「紅白歌合戦」に出場した。

 ほかにも「さいはての湖」「南十字の星に泣く」「浜辺は夜だった」などのヒット曲を飛ばし、“ハワイアンの女王”と呼ばれた。人気絶頂だった44年に作曲家の一ノ瀬義孝氏と結婚。子育てで10年ほど芸能界から離れた後、音楽活動を再開し、「潮騒」などを発表していた。

 歌を愛しながら、5年近くに及んだ闘病生活。最期は入院先で家族に看取られ、静かに息を引き取ったという。葬儀・告別式は本人、家族の意向で11日に近親者のみで済ませた。後日、しのぶ会を開く予定。喪主は夫の一ノ瀬義孝(いちのせ・よしたか)氏。

僕の小学生から中学生にかけてのあたりが、ピークの人だったろうか。
いつも、耳の上に髪留めのように大きな花をつけていた。
こども心にハワイアンって色っぽいんだと思ったのは、彼女を通じてである。
とてもきれいな人であったし、長い黒髪が忘れがたい。

今回、彼女の訃報にあたって、実は数十年にわたって、自分自身が誤解していたことがあるのに気づいた。
彼女にも、「南十字星の星」というヒットソングがあり、題名は覚えていたので、その歌と「怪傑ハリマオ」の劇中歌であった「南十字星のうた」を混同していたのだ。
よく、呑み屋で昔懐かしの歌の話になると、僕は「日野てる子というハワイアンの女王がいてねぇ、それがハリマオの歌を歌っていてさ、三橋美智也の主題歌じゃないよ。♪南国の夜は美しい・・・っていう曲なの。僕はこの歌が聞きたいばかりに、学校から走って帰ったもんだよ」なんて、とくとくとおしゃべりしていたものだ。
実は、こちらは近藤圭子さんという童謡歌手で、同じく大好きだった「豹(ジャガー)の眼」の劇中歌である「少女錦華の歌」や昔はどこの田舎町でも見かけた「ロバのパン屋さん」の歌も唄っていたらしい。
紆余曲折のあと、ハワイに移られたと聞くが、日野てる子の訃報で、僕の中での間違いが、数十年ぶりに改められたわけである。・・・合掌!

「南十字星のうた」はコチラ
日野てる子はコチラ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿