『ニュー・シネマ・パラダイス』の巨匠ジュゼッペ・トルナトーレの監督最新作。北イタリアの港町を舞台に、忌まわしい過去を抱える美しきヒロイン、イレーナの愛と謎に満ちた物語を描く。イタリアのアカデミー賞ともいうべきダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で最多12部門にノミネートした話題作。ミステリアスなヒロインを、ロシアの実力派女優クセニャ・ラポポルトが演じている。すべての謎が明らかになり、感動がこみ上げるラストまで目が離せない。[もっと詳しく]
「ニュー・シネマ・パラダイス」から20年。あのコンビは哀しき母性を題材にした。
思い返してみれば、「ニュー・シネマ・パラダイス」の日本公開は、1989年だった。
母が亡くなり、個人的にもいろいろあって、大学を出てから先輩たちがつくった会社で10年少し協働したが、どうしようかな、と思い悩んでいた時だ。
当時ももちろん映画は好きだったが、たまたま銀座シネスイッチで観たのが、トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」だった。
シチリアの小さな町の教会、広場、映画館・・・。
トト少年とフィリップ・ノワレ扮する映写技師の心温まる交流・・・。
エンニオ・モリコーネの哀愁漂う音楽・・・。
僕は、エンディングのあとも、しばらく席を立つことが出来なかった。
そして、思い悩んでいた自分の気持が、なぜか、すーと晴れたことをよく覚えている。
僕はそれからまもなく、独立してオフィスを構えることになったのだ。
「ニュー・シネマ・パラダイス」は、この銀座シネスイッチという200席あまりの映画館の単館上映であった。
カンヌ映画祭大賞を受けていたとはいえ、上映は40週のロングランとなり、27万人動員で3億6900万円の興行収入を達成した。
その後20年、日本における単館上映でのこの記録は、いまだ破られていない。
いまでも、「あなたの感動した映画のベストは?」という質問に、かなりの人がこの作品を挙げている。
その後、トルナトーレ監督は、「みんな元気」(90年)、「明日を夢見て」(95年)、「海の上のピアニスト」(99年)、「マレーナ」(00年)と心に残る作品を贈ってくれた。
特に、モニカ・ベルッチの美しさとその女性に憧れを抱く少年を描いた「マレーナ」は、僕のお気に入りのひとつとなった。
モリコーネとのコンビによる本作「題名のない子守唄」は、まったく前情報なしに観始めたのだが、すぐにストーリーに引き込まれる事になった。
イレーナ(クセニア・ラバボルト)は北イタリアの港町トリエステに現れ、アパートを契約する。
そのアパートの部屋に対面している高級アパートがある。
イレーナは高級アパートに住む貴金属商のアダケル夫妻に接触しようとして、アパートの掃除婦としてもぐりこむ。
アダケル夫妻のメイドであるジーナから情報をとりながら、ある日、ジーナを螺旋階段から突き落とし、代わりのメイドとして採用され、隙を見て合鍵をつくりながら、部屋に忍び込み、なにかを探すことになる。
ストーリーは、どう進むのかわからない。
イレーナが何を探しているのかも、明らかにされない。
ただ、過去のシーンとして、イレーナは売春宿に拘束され、客を取らされている様なシーンが煩雑にフラッシュバック映像として挿入される。
単なる売春ではなく、監禁された上でのSM行為を強いられているようでもあり、さかんに血が飛び散るような生臭い暴力的なシーンも挿入される。
イレーナがアダケル家に忍び込んだり、螺旋階段を上から覗き込んでいるようなシーンは、まるでヒッチコックのサスペンスのようでもある。
いつものトルナトーレ監督の叙情的な映像の運びは、ここでは影を潜めている。
けれど、緊張感に満ちた、陰から光を当てるようなひとつひとつの構図は、ある意味モノトーンのヨーロッパリアリズム映画を観ているかのようだ。
アダケル家には、4歳のテアという可愛い娘がいる。
自己防衛障害とでもいうのだろうか、注意が散漫になり怪我をしやすい障害を負っているが、年齢の割りに聡明な少女だ。
テアは両親の不仲に、情緒が不安定になっている。
メイドとして信用を得たイレーナは、テアの面倒を見るのだが、必要以上に(メイドという範疇を超えて)テアと関係密度を深めていく。
このあたりも、観客にはイレーナの意図が、不明である。
なんらかの理由があって、テアを誘拐しようとしているのだろうか?
アダケル夫婦に復讐を考えており、可愛いテアの存在が迷いになっているのだろうか?
ここに、昔の売春宿の隠された秘密があるのだろうか?
結局、イレーナは売春宿でイレーナを監禁し続けたあげくイレーナを束の間解放してくれた恋人を殺した暴力的な男を見つけ出し、復讐を果たすことになる。
警察の取調べで、売春宿の目的は、娼婦を妊娠させ、出産直後にその子を取り上げ、金持ちに売りつけることであり、イレーナは十年あまりで、9人の子供を産まされたことを、告白する。
そして、その最後に産んだ子供がテオではないか、ということでアダケル家を探っていたことが明らかにされる。
ラストは、刑期を終えたイレーナが刑務所を出て、ひとり佇んでいるシーンに移る。
そこに、現れるのは、すっかり成人したテオだ。
テオは、イレーナに近寄り、笑みを見せる。
イレーナは途惑いながらも、笑みを返す。
モリコーネのスコアが、長い長いイレーナのようやくの解放を、暖かく包み込んでいるように聴こえる。
イレーナ役のクセニア・ラバボルトは、ロシアの実力派女優らしいが、謎に満ちたミステリアスな翳のある女を、とても深く演じている。
覚悟を決める際の意志の強さを感じさせる表情と、ハラハラドキドキの鼓動に怯える様子とが綯い交ぜになって、惹き込まれる。
過去の辛い記憶の苦しみと、テオを前にして思わず切ない母性愛が滲み出す様子に、どうしようもなく心が動かされる。
「題名のない子守唄」を、サスペンスミステリーとして観た場合は、伏線の張り方がいくらか混線しているような物足りなさを感じてしまう。
けれど、現実のイタリアで、政財界や宗教界まで含みこんでの、高級売春や収賄のいくつかの現実の呆れるようなスキャンダルに思い至れば、そしてあのトルナローレ監督とモリコーネのコンビが、半ば社会派リアリズムにも似たタッチを使いながら、あえて母性の哀しみを描くというそのことのアクチュアル性に対して、やはり一定の評価をしてみたくなる作品であることには間違いない。
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映画っていろいろな思い出がありますね。
kimionさんの背中を押してくれたトルナトーレ監督といったところでしょうか。
私も『マレーナ』大好きです。
これは少々重たかったかな。。。
失礼しましたー
直接には、関係ないんですけどね。
なんか、ゼロから何かを始めることの、勇気みたいなものをもらったということかな。
トラックバックありがとうです。(*^-^*
>テオは、イレーナに近寄り、笑みを見せる。
イレーナは途惑いながらも、笑みを返す。
ラストシーンは2人の絆を感じますね。(*^-^*
ラストの二人は、なんともいえず、温かい物が流れるような表情でしたね。やりきれないお話の中で、ほっとさせるシーンでした。
初めまして。
TBありがとうございました。
私も「ニュー・シネマ・パラダイス」が大好きで、今だに落ち込むたびに見ている映画です。
それにしても「題名のない子守唄」のラストには、本当に胸が詰まりました。
>今だに落ち込むたびに見ている映画です。
そういう映画が、1本でも2本でもあることは、とても重要なことだと思いますね。
今晩は☆★
コメントありがとうございました!
まさに名前のとおり、嫌なやつでした。こんなやつ、きっといるんでしょうね。実際にこんな話があるそうで・・・・。驚きと怖さを感じました。最近は色々な国の作品が公開される機会が増えて、いいことですよね。
「黒カビ」なんて、劇画チックな呼び方ですね(笑)
絵に書いたような、ヴァーヴァルな海坊主でしたね。
トルナトーレの語り口はいつも天下一品で、本作も序盤「ちょっと変だぞ」と思いましたが、それが戦術だったのには恐れ入りました。
「マレーナ」もお気に入り。思春期らしいユーモアと反戦への思いが上手く絡み合った逸品でしたね。
>ヒッチコック
やはり彼も映画っ子。
ヒロインが家探しをしている時に主婦が近づいてくる場面で「マーニー」をちょっと思い出しました。