私の研究日記(映画編)

ここは『智に働けば角が立つ』の姉妹ブログ。映画の感想や、その映画を通してあれこれ考えたことを紹介しております。

『1000年の山古志』(Theater)

2009-11-16 00:07:37 | さ行
監督:橋本信一
プロデューサー:武重邦夫、関正史、川島正英
撮影:松根広隆
音楽:森拓治
編集:小島俊彦
ナレーター:長谷川初範
製作:2009年(日本)
時間:2時間

 新橋のTCC試写室にて鑑賞(2009年9月24日)。

 早いもので、新潟県・中越地震の発生から5年の月日が経つ。この作品は、5年前の震災で被災した山古志村の人々が、生活を再建していく姿を捉えたドキュメンタリー映画である。

 阪神・淡路大震災(1995年)の発生から3年後の1998年、被災者生活再建支援法という法律が制定された。自然災害で住宅が被災したという場合、この法律によって、公的な支援金の給付を受けることができることになっている。自然災害の被災経験のない私のような人間には、生活の要ともいえる住宅の再建は、確かに災害被災者にとって大切なことだろう、と素朴に考えてしまうが、映画を見た今になって思うと、その考えはどうやら思慮が乏しかったようだ。

 自然災害で被災するということは、例えばこの作品に登場する人々のように、それまで住んできた場所、営んできた生業、それまでの生き甲斐を失うということである。それは単に家や仕事を失ったというだけではなく、その人が歩んできた過去を断ち切られてしまうことでもある。そういう意味で、大きな自然災害の後に被災者が迫られる問題は、単に住宅を再建するということばかりではなく、人生をどう立て直すかという問題なのかもしれない。見ながらそんなことを考えた。

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉があるが、新潟県・中越大震災も、発生したばかりの頃はマスコミがあんなに大騒ぎしていたのに、今では触れられることすらめったにない。それはマスコミばかりではない。当然私も含んでいるが、震災に対していまだに興味や記憶を保ち続けている人はほとんどいないだろう。震災で被災した人々の救出や避難はもちろん重要なことだが、災害の後、被災者が人生をどう立て直していくかということも、同様に重要な問題であるはずだ。われわれは震災について本当に知らなければいけない時期に、震災への関心を失ってしまっているともいえるだろう。
 そういう意味で、この作品は、震災後数年にわたって被災者の様子を淡々と描き出すだけの映画だが、人生を取り戻していく苦労や喜びを知ることができるとても貴重な作品だと思う。美しい山古志の自然も必見。

『ハッピーフライト』(CATV)

2009-10-17 20:44:35 | は行
監督・脚本:矢口史靖
製作:亀山千広
撮影:喜久村徳章
美術:瀬下幸治
音楽:ミッキー吉野
出演:田辺誠一、時任三郎、綾瀬はるか、吹石一恵、田畑智子、寺島しのぶ、岸部一徳 他
製作:2008年(日本)
時間:1時間43分

 自宅CATVにて鑑賞(9月6日)。

 あらすじ。「機長昇格への最終訓練である、乗客を乗せた実機での操縦に臨む副操縦士。その試験教官として同乗する威圧感バリバリの機長。初の国際線フライトに戦々恐々の新人CA。CA泣かせの鬼チーフパーサー。乗客のクレーム対応に追われる日々に限界を感じるグランドスタッフ。離陸時刻が迫り必死にメンテナンス中の若手整備士。窓際族のベテランオペレーション・ディレクター。ディスパッチャー、管制官、バードパトロール…。1回のフライトに携わるまさに多種多様なスタッフ達。そんな彼ら使命はただ一つ!飛行機を安全に離着陸させること。その日のフライトも、定刻に離陸、そのままホノルルまで安全運航!!のはず…だったが…」(『映画生活』からの引用)。

 大学でグライダーをやっていた私(⇒こちらを参考『智に働けば角が立つ』)の先輩には、航空会社勤務の方が多い。そういう私も、大学院進学と就職で悩んでいた大学4年生当時、実は気まぐれで某航空会社の入社試験を受けたことがある。気まぐれで受けた大学生を採用するほど某航空会社は甘くはなかったが。

 という前置きはともかくとして、パイロットやCAなど、華やかな印象のある航空会社だが、飛行機を安全に離着陸させるために、管制や整備などの地道な地上作業が行われていることは余り注目されない(厳密には管制の仕事って航空会社じゃなくて、空港管理会社の仕事だと思うけど)。そこには厳しいルールがあったり、仕事で身に付いた独特な習性があったり(飛行機の形をしたチョコを思わず並べてしまう管制官など)と、この映画を通じて、普段余り見ることのできない航空会社の裏方を垣間見ることができる。なかなか面白かった。

 仕事特有の変わったルールや仕事を通して身に付いた変な習性は、航空会社に限らずいろいろな仕事に付きものだと思うが、そこで働いている人々ほど、その面白さに気付かないものである。ぜひ鉄道会社や銀行、お役所など他の仕事でシリーズ化してもらいたい。
 

『幸せはシャンソニア劇場から』(Theater)

2009-10-15 23:03:22 | さ行
監督・脚本:クリストフ・バラティエ
製作:ジャック・ペラン、ニコラ・モベルネ
撮影:トム・スターン
美術:ジャン・ラバス
音楽:ラインハルト・ワグナー
製作:2008年(フランス・チェコ・ドイツ)
時間:2時間
出演:ジェラール・ジュニョ、クロビス・コルニアック、カド・メラッド、ノラ・アルネゼデール、ピエール・リシャール、ベルナール=ピエール・ドナデュー、マクサンス・ペラン



 シネスイッチ銀座にて鑑賞(9月5日)。

 あらすじ。「1936年、パリにあるミュージックホールのシャンソニア劇場は、経営不振のため閉鎖となる。30年以上この劇場で幕引きを務めたピゴワルは妻にも逃げられ、息子のジョジョとも引き離されてしまう。失意の日々を送るピゴワルだが、芸人仲間のジャッキーとミルーと一緒に、再度営業を始めようと劇場を占拠してしまう。そこに、歌手志望の美しい娘・ドゥースがやって来る。ドゥースはアナウンス嬢として採用されるのだが…」(『映画生活』からの引用)。

 息子を取り戻すために劇場を再建しようとする父親の奮闘、仲間との友情を描いた作品である。主人公ピゴワルを演じたのは『バティニョールおじさん』でバテニョールを好演していたジェラール・ジュニョ。その彼を存在感で圧倒していたのがドゥース役ノラ・アルネゼデールである。男性なら溢れ出でんばかりの彼女の魅力に心奪われるであろう。少なくとも私は始終うっとり状態だった(笑)。ちなみに、後でそのノラ・アルネゼデールが新人の女優さんだと知って、二度ビックリ。ベテランの女優さんだとばかり思っていた。大物の片鱗というか、今後の活躍を期待せずにいられない女優さんである。

 ストーリーといい、演出といい、俳優陣といい文句なしの秀作だと思う。面白かった。




『路上のソリスト』(Theater)

2009-10-05 00:39:04 | ら行
監督:ジョー・ライト
製作:ゲイリー・フォスター、ラス・クラスノフ
撮影:シーマス・マクガービー
美術:サラ・グリーンウッド
音楽:ダリオ・マリアネッリ
出演:ジェイミー・フォックス、ロバート・ダウニー・Jr.、キャサリン・キーナー、トム・ホランダー、リサ・ゲイ・ハミルトン
製作:2009年(アメリカ)
時間:1時間57分

 シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年8月23日)。

 あらすじ。「ロペスはある日、べートーヴェンの銅像のある公園で2本しか弦のないヴァイオリンを弾くホームレス、ナサニエル・エアーズに出会う。彼の演奏する音楽の美しい響きにひかれコラムのネタに取材をはじめる。まもなく彼は、ナサニエルが将来を嘱望されたチェロ奏者で、ジュリアード音楽院の学生だった事を知る。なぜ才能ある音楽家が、LAの路上生活者になったのか?そして、家も家族もない彼が、なぜ音楽だけは捨てずに生きてきたのか? やがて、ロペスはナサニエルの感動の物語を発見するのだった」(『映画生活』からの引用)。

 社会派映画を作ったつもりはない、というのが監督ジョー・ライトの弁だが、この発言には若干無理があると思う。

 物語の舞台はロサンゼルス。あらすじにあるように、ナサニエルはこの町のホームレスである。彼を通じて垣間見られるロサンゼルスの貧困の様相は、他の映画作品やテレビドラマからは、とても想像がつかない。むしろ思い出すのは『ツォツィ』や『スラムドッグ$ミリオネア』のような途上国のスラムである。



 というこの作品を見ていて、「はっ!」とさせられるのが、ホームレスの中に混じる障害を持った人々。ナサニエルもその内の一人である。身障者の雇用がなかなか進まない日本では、家族の経済的支援が支えになっているからだと思うが、障害を持つことは必ずしも貧困を意味しない。障害が貧困に直結しやすいアメリカ社会の一側面を捉えた作品といえるだろう。

 また、作中、興奮したナサニエルがロペスを組み伏せ、自分はロペスをMrと敬称で呼ぶのに、ロペスは自分のことをただナサニエルとしか呼んでくれない、と非難する場面がある。温厚だった彼の豹変にアッと驚き、緊張する場面だ。と同時に、同情されたり哀れみの目で見られることはあっても、決して対等の立場では扱ってはもらえない身体障害者や貧者の尊厳について考えさせられる場面でもある。スティグマ※の傾向が強いアメリカならではの問題であり、少なからず日本にも当てはまる問題なのではないだろうか。

 『路上のソリスト』というタイトルから、去年見た『奇跡のシンフォニー』のようなドラマチックな展開を期待してしまったが、決して楽しみながら鑑賞できるという作品ではない。見る前の印象と違ってズシリと重みのある作品だった。むしろ、監督ジョー・ライトの言葉とは裏腹に、見応えのある社会派作品といえるだろう。

 ホームページは、すばらしい音楽を堪能することができるのでお勧めである。

※スティグマというのは、ナサニエルのような身障者や貧者に対し、例えば「社会的弱者」というようなレッテルを貼ること。福祉国家に関する研究書などを読むと必ず出てくる言葉である。アメリカ(や日本)のようにGDPに占める社会保障費の少ない国ほど、社会保障支出(あるいはチャリティも)は健常者と同様の生活を営むことができない人々に集中するので、この傾向が強くなるという。確かに、日本の「生活保護」などその典型的な例といえるだろう。スウェーデンのような北欧諸国では、手厚い公的な福祉サービスを受けることは当然であり、スティグマは生じにくいのだそうだ。


『サマーウォーズ』(Theater)

2009-09-29 09:39:39 | さ行
 シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年8月1日)。

 あらすじ。「小磯健二は少し内気で人付き合いが苦手な17歳。数学オリンピック日本代表の座をあと一歩で逃したことをいつまでも悔やんでいる理系オタクだ。健二はある日、憧れの夏希先輩からバイトを持ちかけられ、一緒に彼女の故郷まで旅行することになる。バイト内容は、『ご親戚』の前で彼女のフィアンセのフリをすること。しかし、仮想空間“OZ”のパスワードを解いてしまったことから、世界を揺るがすトラブルに巻き込まれてしまい…」(『映画生活』からの引用)。



【ネタばれ注意!】
 あらすじでは余り触れられていないが、物語の鍵となるのは、仮想空間システムOZ。といっても、OZはただの仮想空間ではない。いわば「ユキビタス」化した「セカンドライフ」といったシステムだ。しかも仮想空間と現実とが、驚くほどにリンクしている。詳しいことは、ホームページをご覧いただきたいが、例えばアメリカの大統領ならば、仮想空間から核ミサイルの発射ボタンを押すこともできるそうだ。



 『2001年宇宙の旅』のHALや、最近だと『マトリックス』などもそうだが、優秀な装置ほど人の手で制御するのが難しくなるというのは、映画ではよく見られるテーマである。この作品の背景にも、そうした昔ながらのテーマがあるようだ。そういう意味では、ありきたりな作品なのかもしれないが、そう思わせないほどに十分面白い映画だと思う。

 例えば、OZ内でプログラムが暴走し、水道管が破裂したり渋滞が起きたりとライフラインは大混乱。人工衛星など操作不能に陥ってしまう。こうした展開は、ネットワーク化が進んだ現代ならではである。ネット社会の弱さをよく描いていて「なるほどな~」とうなずかずにいられなかった。テーマは古いが、装いに現代社会の抱える問題をしっかりと組み込んでいる。古臭さを全く感じなかった。

 何より、暴走するプログラムと対決するのがITの専門家や技術者などでなく、上田市の旧家の一族という設定が面白い(上田の旧家で先祖が徳川と戦ったというから、きっと真田家の末裔ということなのだろう)。ITネットワーク内で暴れまわるプログラムに対して、いわば一族といういわば伝統的な人的ネットワークが対抗するというわけである。



 公開初日に見に行ったが、実はそれほど期待していた訳ではない。その日たまたま見ていた情報番組(「王様のブランチ」だっただろうか・・・)で絶賛されていたので、騙されたつもりで見に行ったはずが、想定外の面白さだった。個人的には、ここ数年の国内アニメ映画の中では一番のヒットである。


『トランスポーター2』(TV)

2009-09-29 09:39:25 | た行
 自宅にて鑑賞(2009年8月16日)

 あらすじ「契約厳守。名前は聞かない。依頼品は開けない――運び屋フランク・マーティン(ジェイソン・ステイサム)はこの3つのルールの下、高額な報酬と引き換えにワケありの依頼品であろうが正確に目的地まで運ぶプロ中のプロ。引退を決意した彼は例外的な依頼を引き受けた。それは金持ち一家の7歳になる息子・ジャックの送迎だ。いつも寡黙なフランクだったが、次第にふたりの間に愛情が生まれる。しかし、予想外の罠が仕掛けられていた…」(『映画生活』からの引用)。

 ただ純粋に楽しむことができる作品である、という点では前作と同様。華麗な運転さばきの見せ場が、前作より少なかった気がするが、アクションは相変わらず爽快である。タルコーニ警部役のフランソワ・ベルレアンが良い味出していた。個人的には、前作より本作の方が好き。

『トランスポーター』(TV)

2009-09-29 09:25:43 | た行
 自宅TVにて鑑賞(8月9日)。

 あらすじ。「退役軍人のフランク(ジェイスン・ステイサム)は、南フランスの美しい海辺の町に暮らす年金生活者。しかし、彼にはもうひとつの顔があった。それが、高額の報酬で何でも運ぶ、トランスポーター。契約厳守、名前は聞かない、依頼品を開けない。この3つのルールを完璧に守るプロの運び屋だ。ある日、預かった荷物がゴソゴソと動くのに気づいたフランクは、ルールに背いて依頼品を開けてしまう。そこには美しい女が! ルール違反をとがめるように、とんでもない危機がフランクを襲う!」(『映画生活』からの引用)。

 爽快アクションはもちろんだが、車の華麗な運転さばきが見もの。何も考えずにただ純粋に楽しむことができる作品だ。面白かった。

『ホリデイ』(CATV)

2009-09-07 16:28:56 | は行
監督:ナンシー・メイヤーズ
製作総指揮:スザンヌ・ファーウェル
撮影:ディーン・カンディ
音楽:ハンス・ジマー
美術:ジョン・ハットマン
出演:キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、ジャック・ブラック、イーライ・ウォラック他
製作:2006年(アメリカ)
時間:2時間15分

 自宅CATVにて鑑賞(7月後半)。

 あらすじ。「傷ついた心を癒すため、見知らぬ土地に旅立つ事を衝動的に決心したアマンダとアイリス。ネットを通じて知り合った二人は、ロスとロンドン近郊にあるお互いの家を2週間だけ交換する事に。こうしてロスからロンドンにやってきたアマンダは、同棲していた恋人と手ひどい別れをしたばかり。一方のアイリスは、片思いしていた同僚の婚約発表により失恋…。新しい土地で彼女たちを待っていたのは、美しい家と思い掛けない出会いだった」(『映画生活』からの引用)。

 ラブコメ映画といえば必ず名前が挙がる映画監督ナンシー・メイヤーズ。この監督の作品を見るのは、今回が初めてである。

 アイリスとアマンダという、二人の女性を主人公とした二つの物語が、同時並行的に進んでいく。立場も性格も対照的の二人が、住んでいる家を交換するという設定は、なんだか『王様とこじき』のようだ。ラブコメにありがちなドタバタ劇もなく、かといって純愛物のようなどろどろした愛憎劇もない。極端な演出を極力抑えた感じの落ち着いた物語展開が、私としては好感が持てた。飛び抜けた作品というわけではなかったが、そこそこ楽しむことができる作品だと思う。

 それにしても、驚くのは豪華な出演陣である。キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレットはもちろん、ジュード・ロウにジャック・ブラック、それぞれ単独で主役をはれる役者が4人も出演してしまうとは。ファンなら、きっとこれだけで満足してしまうだろう。個人的にはアーサー役のイーライ・ウォラックが良かった。願わくはこのように歳をとりたいものである。

『DOA デッド・オア・アライブ』(CATV)

2009-09-04 23:22:48 | た行
 自宅CATVにて鑑賞(7月後半)。

 あらすじ。「人里離れた北海道の忍者村を去り、抜け忍として兄の行方を捜すかすみ。南シナ海でクルージングを楽しむ女子プロレス王者・ティナ。香港のホテルで警察に捕まりそうになるものの、警官隊を蹴散らして逃亡する強盗のクリスティー。そんな彼女たちに世界最強ファイターを決するトーナメント“デッド・オア・アライブ”への招待状が届く。3人を含めたファイターたちは飛行機で会場となる島ドアテク・アイランドへと向かうが…」(『映画生活』からの引用)。

 たまたまテレビを付けたら放映されていたので観賞。

 忍の里のお姫様って・・・。海辺にあんな巨大な大仏がそびえる島に、秘密の研究所なんて作るはずがないだろ! などと突っ込みどころ満載な作品だった。ここまで突っ込みどころが多いと、かえって潔くすがすがしいけど(笑)。

『ノウイング』(Theater)

2009-09-02 18:51:45 | な行
監督:アレックス・プロヤス
撮影:サイモン・ダガン
美術:スティーブン・ジョンズ=エバンス
編集:リチャード・リーロイド
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ニコラス・ケイジ、ローズ・バーン、チャンドラー・カンタベリー、ララ・ロビンソン、ベン・メンデルスゾーン、ナディア・タウンゼント
製作:2009年(アメリカ)
時間:2時間2分

 シネプレックス幕張にて鑑賞(7月始め頃)。

 あらすじ。「大学で宇宙物理学を教えているジョンは、ある日、小学生の息子ケレイブが持ち帰った紙に書かれた数字に目を留める。そこには過去に起きた大惨事の日付と犠牲者の数が書かれていたのだ。しかもそれは、50年前に小学校に埋められたタイムカプセルから出てきたものだった。やがて数字に予告された日付に大事故が起きる。さらに数字の最後には、人類がかつて遭遇したことがない大惨事が待っていた…」(『映画生活』からの引用)。




 あらすじからは分からないと思うが、ある意味これ以上ないほどにスケールの大きな作品である。だが、スケールが大き過ぎたのか、物語の焦点がボケてしまっている点は否めない。

 黙示録的な終末と新たな創世記の始まりを描いた壮大なハプニング映画だったようにも思われるし、終末を迎えた人類の絶望や家族愛を描いたヒューマン・ドラマだったようにも思える。実は未知なる存在からのメッセージを巡るスリラー映画だったのかもしれない。

 どのジャンルに置くべきかに思わず迷ってしまうような、収まりの悪い作品の典型といえるだろう。こういう作品は批判も多い。実際、『映画生活』の評価を見ると、点数が50点台。きっと期待を裏切られた人が多かったのだろう。
 でも、ニコラス・ケイジは息子との関係に悩む男やもめの物理学者にピッタリだったし、ジョンの苦悩は独身の私ですら感情移入できた。迫力ある映像も見所の一つといえるだろう。パーツの一つ一つは、そんなに悪い作品ではなかった。何より、個人的には、この映画のスケールの大きさを評価したい。面白いかどうかはともかくとして、一見の価値あり的な作品といえるのではないだろうか。



『ビッグフィッシュ』(CATV)

2009-08-30 12:35:54 | は行
監督:ティム・バートン
脚本:ジョン・オーガスト
原作:ダニエル・ウォレス
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ダニー・エルフマン
美術:デニス・ガスナー
出演:ユアン・マクレガー、アルバート・フィニー、ビリー・クラダップ、ジェシカ・ラング、ヘレナ・ボナム・カーター、アリソン・ローマン、
製作:2003年(アメリカ)
時間:2時間5分

 自宅CATVにて鑑賞(7月)。
 
 あらすじ。「エドワードは自分の人生を、常にロマンティックなおとぎ話のように語る。魔女や巨人、そして村の伝説だった“大きな魚”との出会い─。誰もが彼の話を楽し み、彼を愛していた。ただ一人、ジャーナリストになった息子ウィルを除いて…。子供の頃は父の話に夢中だったウィルも、今は父の本当の姿を求めていた。だ がその思いをぶつけても、エドワードは一向に事実を話そうとしない。しかたなくウィルは、ホラ話に隠された父の人生を探り始める」(『映画生活』からの引用)。



 この作品を見るのは2度目。前回は映画館での観賞だった。

 自分には、父親との関係が冷えきってかなり危うかった時期があり、この作品のように父と息子の対立と和解を描いた作品にはどうも弱い。二度目の観賞だったが、ラストはしっかりと泣かされてしまった。

 ちなみに、子供の立場からすると、ただの男性と女性だった頃の両親というのはなかなか想像しにくいものである。だからこそ、昔の両親がどういう若者だったのかというのは、子供にとってとても気になることだ。物語の背景として、そうした恐らく子供なら誰でも親に対して抱くであろう好奇心を置いたところが、この作品の魅力の秘訣だろう。

 ティム・バートンというと『スリーピー・ホロウ』や『PLANET OF THE APES/猿の惑星』、『チャーリーとチョコレート工場』のようにメリハリのきいた独特な映像が私好みで、好きな映画監督の一人だが、この作品ではどちらかというと映像よりストーリーが魅せてくれる。ティム・バートンの作品の中で最も人気があるのは、おそらく『シザーハンズ』だと思うが、私は『ビッグ・フィッシュ』をぜひお薦めしたい。素敵な作品である。


『ハリーポッターと謎のプリンス』(Theater)

2009-08-26 23:28:19 | は行
 シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年7月15日)。

 あらすじ。「ついに人間界にまで広がり始めた、闇の帝王ヴォルデモートの脅威。ダンブルドア校長は、かつてホグワーツで魔法薬学を教えていたホラス・スラグホーンを復職させる。「ホラスだけが知っているヴォルデモートの弱点を聞き出せ」とダンブルドアに命じられたハリー・ポッターは、ホラスに気に入られようと計画的に近づく。一方、ホグワーツの校内では思春期ならではの恋わずらいが多発。ハリー、ロン、ハーマイオニーらも恋の甘美さと苦しみを経験する」(『映画生活』からの引用)。

 このシリーズの醍醐味は、魔法を使って難題を突破していくところだと思うが、今作では問題が解決されず、むしろ大きくなったところでエンディングを迎えてしまう。ラストへの序幕という位置付ということなので、それもしょうがないのかもしれないが、えらい中途半端なところで物語が終わったように感じた。魔法映像こそ大迫力だったが、若干消化不良気味である。

 『レッド・クリフ』や『二十世紀少年』のように、間髪入れずに続編が公開されるなら、あきらめもつくんだけどな~。また何年か待たされるのかと思うと、何だかやりきれない。じゃー続編は見ないかといえば、もちろん見るんだけど・・・。


『ショーシャンクの空に』(CATV) 2回目

2009-08-26 23:28:05 | さ行
製作総指揮:リズ・グロッツァー、デヴィッド・レスター
製作:ニキ・マーヴィン
監督・脚本:フランク・ダラボン
原作:スティーヴン・キング
撮影:ロジャー・ディーキンズ
美術:テレンス・マーシュ
音楽:トーマス・ニューマン
製作:1994年(アメリカ)
時間:2時間23分

 自宅CATVにて鑑賞(6月終わり頃だったか・・・)。

 あらすじ。「1949年、妻とその浮気相手を殺害した罪で終身刑の判決を言い渡されたアンディーはショーシャンク刑務所に収監される。物静かなたたずまいを見せるアンディーだったが、元銀行員の知識と不屈の精神によって、尊厳を取り戻し、そして自らの運命の切り開いていく…」(『映画生活』からの引用)。

 3度目の観賞である。
 この映画ほど説得力のある「希望」という言葉も珍しいと思う。
 「希望を持つことは素晴らしい」というアンディのセリフは、前後の文脈は関係なく、ただこの部分だけを聞いたら、社交辞令のように陳腐な言葉だと感じる。少なくとも私個人からすると、希望を実現するために努力し続けるのは辛いことだし、希望を果たせなかった場合の挫折感は怖い。色々な意味で希望を持つというのは難しいことだと考えているからだ。
 だから「希望を持つことは素晴らしい」などと突然いわれても、「希望の難しさに触れもしないで、希望を持てなんていうなよ」と思ってしまうのだ。

 そういう意味で、この作品で重要なのはレッドの存在。「お前に一言いっておくが、希望は危険だぞ」というセリフが代弁するように、レッドは希望の持つ苦汁を何度も味わってきた人物だが、そのレッドが最後の最後でようやく報われるからこそ、「希望を持つことは素晴らしい」というセリフに説得力がこもっている。この作品の良い所は、そうした希望の辛さと素晴らしさとを描こうという絶妙なバランス感にあるのだと思った。


『トランスフォーマー』(TV)

2009-08-11 22:43:28 | た行
監督:マイケル・ベイ
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、マイケル・ベイ、ブライアン・ゴールドナー、マーク・バーラディアン
脚本:ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン
撮影:ミッチェル・アムンドセン
美術:ジェフ・マン
編集:ポール・ルベル、グレン・スキャントルベリー、トーマス・A・マルドゥーン
音楽:スティーブ・ジャブロンスキー
製作:2007年(アメリカ)
時間:2時間24分

 自宅テレビにて鑑賞(2009年6月20日)。

 あらすじ。「探検家を祖先に持つサムは冴えない高校生。やっとのことでオンボロのスポーツカーを手に入れたものの、同じ高校のミカエラを家に送る途中に車はエンスト。 せっかくの関係を深めるチャンスもどこかしまらない。その日の夜、彼のスポーツカーが突然家から走り去った。自動車泥棒だと思い必死で追いかけるサム。その先で彼は常識を疑うような光景を目にする。それは、巨大なロボットが歩き回る姿だった…」。

 何を隠そう私も子供の頃、玩具のトランスフォーマーで遊んだ世代。滑らかな変身や戦闘シーンを見ては、子供の頃のような興奮を覚えた。

 物語の絶妙な構成や人間関係の妙味で観衆を魅了するというより、緻密な映像技術や滑らかさ、あるいはダイナミックさだけをひた押ししたような作品。ある意味こういう作品も名作と呼べるのかもしれない。でも140分は長かった・・・。


『いとこのビニー』(CATV)

2009-08-11 00:33:09 | あ行
製作:ポール・シフ
製作・脚本:デイル・ローナー
監督:ジョナサン・リン
撮影:ピーター・デミング
音楽:ランディ・エデルマン
出演:ジョー・ペシ、ラルフ・マッチオ、マリサ・トメイ、ミッチェル・ウィットフィールド、フレッド・グウィン、
製作:1992年(アメリカ)
時間:1時間59分

 自宅CATVにて鑑賞(6月)。

あらすじ。「大学生のビル・ガンビーニ(ラルフ・マッチオ)と、スタン・ローゼンシュタイン(ミッチェル・フィットフィールド)は、大陸横断の旅の途中で立ち寄った、アラバマ州ワーズ市のコンビニエンス・ストアの店員が殺害された事件の容疑者となり、困り果てたビルは、ニューヨークで弁護士をしている従兄のヴィニー(ジョー・ペシ)に助けを求めた。キャデラックでフィアンセのモナ・リサ(マリサ・トメイ)を連れてワーズ市に駆けつけたヴィニーは、ビルとの再会を喜んだが、弁護士になったのは6週間前で法廷に立ったことがなく、司法試験に合格するまで6年間もかかったことを明かし、ビルをがっかりさせる・・・」(『goo映画』からの引用。

 『運命の息子』の知事選の場面で、ルーシー(フレッチャーの娘)が見に行ったのがこの映画である。「どんな作品なんだろう?」と思っていたら、たまたまテレビでやっていたので鑑賞。とにかくビニーの不器用さには、不器用な私が見ていてもじれったくなるほど(笑)。好感が持てた。じらしにじらした上での最後の逆転劇は痛快。なかなか面白い作品だった。