サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09400「グラン・トリノ」★★★★★★★★☆☆

2009年10月03日 | 座布団シネマ:か行

『ミリオンダラー・ベイビー』以来、4年ぶりにクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた人間ドラマ。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、自身の偏見に直面し葛藤(かっとう)する姿を描く。イーストウッド演じる主人公と友情を育む少年タオにふんしたビー・ヴァン、彼の姉役のアニー・ハーなどほとんど無名の役者を起用。アメリカに暮らす少数民族を温かなまなざしで見つめた物語が胸を打つ。[もっと詳しく]

イーストウッドが遺言のように、老いた肉体を通じて、造形しようとした精神

クリント・イーストウッドの役者としての最後の作品となる。
『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)の老いたトレーナーの演技も忘れ難い。
監督としてはその後、『硫黄島2部作』と『チェンジリング』で健在ぶりをみせてくれたが、『グラン・トリノ』は「偏狭で頑固な元軍人」という主人公のキャラクターに思うところがあって、イーストウッド自らが主役を勤めることになったらしい。
あの細身で苦みばしった表情に、ときおりユーモアを交えたぶっきらぼうな口調で本音を言い放つ、シャイで頑固で孤独でけれど温かみのあるイーストウッドの演技が見れなくなるのは寂しい限りだが、それはそれで仕方がないことだ。



僕たちはたぶん『グラン・トリノ』のウォルト・コワルスキーという、朝鮮戦争の帰還兵でフォードの自動車組み立て工として勤め上げ、女房に先立たれ子どもや孫にも疎外を感じ、老犬デイジーを傍にはべらせて、家の修繕をかかさず、几帳面に小さな芝生を手入れし、苦虫をかみつぶした顔で玄関先の椅子で新聞に目を通しながらビールを飲む・・・そこから見えるチューニングを欠かさない1972年製のヴィンテージ・カーであるフォードのトリノを満足げに眺める、といった老人の面影を、これからもクリント・イーストウッドのことを想起するたびに、思い浮かべることになるだろう。



ウォルト・コワルスキーはある意味で、典型的なアメリカの保守的な中産階級の男である。
元はポーランドあたりからの移民の家系なのだろうが、ある意味でアメリカそのものの発展と栄光、資本主義の代表格でもある自動車産業に従事しながら、カトリックの教会にも通い、戦争従事の苦い経験も経て、旧きよきアメリカの伝統を保守しながらも、その価値観がだんだん時代遅れのように見做されてきて、なにより自分の子どもたちとも断絶していってしまうという悲哀を経験している。
M1ガーランドで自分を武装しながらも、周囲は異民族や異なる人種が満ち溢れてきて、もう郷愁をこめた共同体は崩壊している。
月に1回通う床屋で、親しい悪態をつきながら、互いの存在を確認する・・・そんな場所も少なくなってきた。
教会では説教もろくにできないような若い司祭があらわれて「頭でっかちな童貞」などと悪態をつきたくもなる。
隣家は、東南アジアのもっとも旧い少数民族であるモン族の家族が越してきたが、騒がしいだけで自分の家の手入れもろくに出来ない連中とはかかわりたくもない。
妻の葬儀にかけつけた息子夫婦や孫たちも、なにを考えているかわかったものではない。
なにより自分の体調も、ままならないようになってきた・・・。



栄光のフォードも、落日のなかにある。
こともあろうに、息子は、日本車のディーラーで儲け、強欲な女房にせっつかれて金勘定ばかりするような男になりはてている。
夜中には、朝鮮戦争で十人以上の「敵」を殺したことが、悪夢として甦る。
少年もいた。じっとこちらを見ていた。いったい、あの戦争はなんだったんだ。おれたちが造ってきたアメリカは、何を残してきたんだ。
もう、なにも関わりたくはない。
おれは、自分の人生の「締めくくりかた」に向かうしかない・・・。



ペシミスティックで孤独な老いの観念が、主人公に訪れている。
人生の半ばをとうに過ぎた50代半ばの僕などにも、もうまばゆい愚かな青春の観念よりも、コワルスキーの孤独の中のささやかな矜持に、共感する部分が増えてきている。
少し前ならば「革新」のラディカルさに共鳴したり疑義を呈したりしていたものだが、いまでは「保守」や「中庸」やといった思想の系譜を、真顔で遡って思索するようにもなっている。
コワルスキーのようなどこか厭世的な「ひきこもり」に、半ば似たような行動を無意識にとっているであろう自分に気づくこともある。



隣家に越してきたモン族の家族たちに、コワルスキーは不承不承で成り行きでかかわることになっていく。
ことに、優しい性格なのだが晩熟な性格の少年であるタオ(ビー・ヴァン)とその姉で快活で能動的な姉のスー(アーニー・ハー)。
タオはいとこの不良グループであるスパイダーたちに脅され、コワルスキーの「グラン・トリノ」を盗むよう指示され、コワルスキーにM1ガーランドをつきつけられ追い払われる。
スーは黒人の不良どもにからまれているところをコワルスキーに助けられる。
そんなこんなで、ビール欲しさに隣家のパーティーに招かれたコワルスキーだが、そこで祈祷師に自分を占われたこともあったりして、彼の偏見も薄らいでいく。
交流のできたモン族の人たちからは、仏教的な感謝の意であるのだろうが、ひっきりなしに花や植木や料理やお菓子が玄関先に届けられる。
「モンロー主義」を貫くコワルスキーは困惑するのだが、徐々に心を開いていく。
そして、自分の「人生の始め方」がわからないタオに、仕事を手伝わせたり長い間に買い揃え手入れしてきた工具を貸し出したりするような関係となる。
タオやスーも父親が不在で、どこかでこの頑固爺を父親のように、慕っていくようになる。



アメリカそのもののように生きてきて生きあぐんでもいるコワルスキーは、モン族の隣人に触れて、少し転回することになる。
もう、自分たちは消えいく存在で、頑固に守ってきたであろう美意識も、こどもにも通じないようなところにきている。
たしかに、朝鮮戦争の悪夢のように、自分たちが誤って来たこともあるのだろう。
けれども、自分たちが培ってきたことで、まだ誇れることもあるし、正しい事もあるだろう。
たまたま出会った小さな関係世界の中で、スーはスパイダーたちにレイプされ、深く傷ついている。
ようやく自分の足で歩き始めたタオは、泣き叫び、復讐の念で捨て鉢になっている。
自分ひとりの老いたプライドは、M1ガーランドで守れるかもしれないし、「グラン・トリノ」を磨きながら、非干渉に徹すれば、それなりの静かな生活は、表面上は保守できるかもしれない。
けれども、自分がこの隣人たちのために出来ることはなにか、そこで自分らしいスタイルを貫くことは可能か、そして自分が戦争の中で銃を向けてしまった異邦人に、むくいることは可能なのか。



クリント・イーストウッドというひとりの老いた肉体が、ある意味で遺言のように、コワルスキーというありふれた孤高の名もなき「アメリカ人」という設定を借りて、スクリーンで語りかける。
この複雑なシステムが覆っている世界の中で、正義も悪も単純に決定されるわけではない。
自分が良かれと思った価値観のなかで発した行動も、その因果がまた不幸を呼び起こすことになるかもしれない。
愛犬は隣人にあずけよう。
手塩にかけた「グラン・トリノ」のよさは、タオがちゃんと受け継いでくれるだろう。
自分は、もう銃を発砲して、人を傷つけることは出来ない。
ただ、自分の「人生の締めくくり方」は、誰のせいにもせずに、自分で決定するしかない。
そして、コワルスキーの選択は、隣人がいる小さな町の見知った人たちだけの記憶に残る。
けれどそのことは同時に、この世界に対してのひとつのかけがえのない価値として残る、ということをも意味している。

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10 コメント

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Unknown (かからないエンジン)
2009-10-04 22:23:52
TBありがとうございました。

イーストウッドの信念のようなものが
込められた傑作でしたね。
様々な方のレビューを拝見致しましたが、
どなたも非常に内容のあるレビューを
お書きになっておられて、この作品の
深さを再認識させられます。
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かからないエンジンさん (kimion20002000)
2009-10-04 22:38:00
こんにちは。

そうですね、やはりそのひとなりに語りたくなる映画なのでしょう。
こういう作品は、年に何本もないでしょうね。
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Unknown (de-nory)
2009-10-05 07:21:26
こんにちは。墨映画(BOKUEIGA)のde-noryと申します。
墨彩画で映画レビューを描いてます。
先ごろは、当方ブログにお越しいただいたようで、ありがとうございました。

大好きな映画に仲間入りの1本です。
クリント・イーストウッドは、俳優としてもすばらしいですが、監督としてはもっとすばらしいと思ってます。

何かに生きることの価値を見出し、その価値の為に生き抜いた姿は、心に響きますね。

またお越し下さい。お邪魔しました。
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de-noryさん (kimion20002000)
2009-10-05 10:47:07
こんにちは。

今後は、監督として、まだまだ作品を生み出していって欲しいですね。

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アメリカと言う国 (sakurai)
2009-10-06 15:50:04
何とか系というのが必ずつくアメリカ人ですが、いかにものアメリカを体現していたような気がしました。
そのひとつにモンロー主義も当てはまるでしょうか。
さすがにうまいですね。

イタ公とか、アイリッシュ野郎とか毒づきながら、心通ってる辺りは、ニヤニヤしながら見てました。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-10-06 20:00:31
こんにちは。

主人公は、知恵はありますが、インテリぶっていないのがいいですね。
正しいアメリカの中産階級であり、互いに冗談や罵倒をしながら、親愛感をあらわしているところなんかは、アメリカの好きな部分ではあります。
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Unknown (みみ)
2009-10-09 13:39:48
たくさんトラバありがとうございました。
同じ作品をみていたようなので、トラバさせていただきました。メールの欄が不明でしたのでこちらにコメントさせていただきます。

 あまり本数をみる方ではないのですが、同じ作品をみていると好みがあうというかどこか似ているのではと安心します。(勝手にやってろって!)

 お気に入りさせていただきます。
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みみさん (kimion20002000)
2009-10-09 13:46:19
こんにちは。

ほとんどは書きなぐりに近いものですが、よろしければ、コメント残してください。
とはいうものの、僕もほとんどがTBだけになっちゃうことが多いですけどね。
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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-05-23 11:48:17
現代西部劇とでも言うべき内容でしたが、西部劇たらんことを自ら止めなければならない西部劇なんですね。
でも、その精神がある意味極めて西部劇的であり、その手法がアンチ西部劇的。
その辺りが大変面白く、古い西部劇を何百本と見てきた僕なんかには余計に感慨深いものがありました。

結局、古いか新しいかだけで、アメリカでは尽く移民なので「目くそ鼻くそを笑う」の類なんですが。
とにかく、益々様々なところからの移民を抱えるアメリカの現状を、家族や宗教の問題を絡めて、象徴的に描いた秀作ですね。
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-05-23 16:42:30
こんにちは。
アメリカがただ移民を排除すれば、自分たちの国家の存立基盤がなくなるわけですからね。
ただこの二律背反は、オールドマンにはつらいものがあると思います。
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