サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 07238「パトリス・ルコントのDOGORA」★★★★★★★★☆☆

2007年06月22日 | 座布団シネマ:は行

ゆったりと流れる大河メコン。そこは人々の生活の源だ。まぶしい太陽の光、やがてオレンジ色に染まる夕暮れの中、往来ではスクーターや自転車に鈴なりの人々と車が渾然となって行き交う。視線の強い子どもたち、時にくたびれて気怠そ... 続き

映画の最後の位置を、ルコント監督は覗き込んだのだろうか。

映画が発明されたのは、もちろんフランスである。1895年、リュミエール兄弟によるシネマトグラフ。そしてフランス映画は、20世紀の映画シーンで、とても重要な役割を果たした。
1930年代、ルノワールの「大いなる幻影」や「ゲームの規則」を、いまでも映画史上最高の作品と評する人もいる。ルネ・クレールやジュリアン・デュヴィヴィエを経て、第2次世界大戦中に撮影されたマルセル・カルネ「天井桟敷の人々」へ。戦後、フランス政府はカンヌ映画祭を開催する。

1951年アンドレ・バザンによって映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」が発刊され、その寄稿者連中たちはいきなり映画を撮り始めた。いわゆるヌーヴェル・ヴァーグである。ゴダール「勝手にしやがれ」、トリュフォー「大人は判ってくれない」、ルネ・クレマン「太陽がいっぱい」、アラン・レネ「去年マリエンバードで」、ジャック・ドゥミ「シェルブールの雨傘」・・・どれだけでもあげられるが、もちろん53年生まれの僕は、10年ぐらい後に、ひたすら名作映画館に通い詰めて、「古きよき映画を見る体験」という幸福に浸ったのである。



さて、その後といえば、たぶん世界的な映画の革命(ニュー・シネマの台頭)の流れの中で、とりたててフランス映画に傾倒することはなかった。あるときは、アメリカのニューシネマの流れに、北欧の前衛主義的な観念映画に、英国の社会派監督たちに、ドイツの実験作家たちに、東欧圏の反全体主義映画に、スペインの芸術映画に、イタリアのニューリアリズムの流れに、そしてなにより日本の映画作家たちの果敢な試み(ほとんどは悪戦苦闘の末に無残な興行成績であったが)に、関心が拡散していった。

フランス映画では80年代のベネックス「ベティ・ブルー」、リュック・ベッソン「グラン・ブルー」、レオス・カラックス「ポンヌフの恋人」や90年代のキュンロフスキの「トリコロール三部作」が印象に残っているが、2001年のベネックス「アメリ」などいくつかの話題作はあったとしても、いまさらフランス映画祭に通い詰めるだけの気力は湧いてこない。カトリーヌ・ドヌーブなどが、文化親善大使となってフランス映画の新しい潮流を一生懸命日本にも紹介してくれてはいるのだが・・・。



そういうなかで、初期の作品はのぞいて、ほぼ全作品に付き合っている(楽しみにしている)監督がいる。それが、パトリス・ルコントだ。
「仕立て屋の恋」「髪結いの亭主」から最近の「親密すぎるうちあけ話」あたりまで、ほぼ1年に1作のペースでルコントに付き合ってきた。
小難しくもないし、目まぐるしくもない。年々、もう若くはないんだ、という自分の年の取り方と重なって、ちょっと、ああ、年を取るのも悪くないんじゃないか、と慰められるようなルコントの小話に付き合ってきたのだ。
好きな作品はたくさんあるが、僕の中では「歓楽通り」(2002年)が最高作だ。娼婦館「オリエンタル・パレス」で生まれ働くプチ=ルイ。娼婦たちの世話をする小男だが、運命の女との出会いをひたすら夢見ている。そして現れた運命の女(新人娼婦)マリオン。プチ=ルイは、マリオンの恋を影から成就させようとする。マリオンが幸福になれば、自分も幸福だ・・・。
そんなひそやかな恋の陰影を小話風に描きあげるルコントが、まったく異なったアプローチから作品にしたのが「パトリス・ルコントのDOGORA」である。



エティエンヌ・ベルションという新進の音楽家(僕はまったく知らなかった)の「DOGORA」という作品に、ルコントは雷に打たれたような啓示を受ける。100名の子どもたちが合唱する。「DOGORA」で歌われている言葉は、どこの国の言葉でもない。この合唱曲のために新しく定義され造作された言葉である。その音楽の、活気、哀調、率直さ、激しさに、「私は動けなくなりました」とルコントは語る。
この音楽との出会いはもうひとつの啓示をルコントにもたらすことになる。義弟が住むカンボジアをはじめて訪れたルコントは、メコン川のほとりの大通りに佇みながら、「この地に招かれたことに愕然とする」のだ。
そしていっさいセリフも役者もストーリーも存在しない映画が出現することになった。
「DOGORA」の音楽に喚起されたイメージとカンボジアを撮影した映像が、重ねあわされる。そこに奇跡のような映像世界が現れる。抒情詩のような映像作品。
「ずっと撮りたかった映画です。私の心の鼓動にもっとも近く、もっともシンプルな作品です」



ゴムの木の森、ジーンズ工場、ガソリンスタンド、稲穂が揺れる田園・・・。
オートバイ、スクーター、自転車に何人もが重なるように乗りながら、働きに行く。
本来ならば、学童期の少年・少女も。埃が舞い散る。頭にはバンダナを巻き、あるいはタオルをマスク代わりにして、たぶん日々の最低の暮らしにも十分でもないような報酬で働いている。
仕事にありつけなかったものたちは、ゴミ捨て場で、なにか売れそうなものを拾い集めようとしている。次々とゴミ収集車が到着し、ゴミを吐き出す。埃で一面がみえない。画面から悪臭が漂ってくる・・・・。
夕暮れの中で、一日の疲れを癒す。そして、折り重なるように、子どもたちは無心に寝る。
朝になる。屋台がずらっと並ぶ。旺盛な食欲で、大人も子どもも、朝食を幸せそうに貪る。
カンボジア特有の仏教風舞踊で体をくねらす少女たちの映像が続く。なんというおだやかさ。なんという優雅さ。



東南アジアではあるがどこか中央アジアのような雰囲気が漂うカンボジア。
栄光のクメール文明の末裔たち。
1953年までフランスに統治されていた。第2次世界大戦後、台頭したのは共産政党であるクメール・ルージュ。ボル・ポト政権の下、人口の3分の1の200万人が虐殺されたという。文字が読めるもの、知識を持つものは、ほとんど壊滅状態となった。クメール・ルーシュの幹部たちは、フランスに留学していたインテリ層であった。
国土の3分の1は農業である。輸出産業は少なく、国民は貧しい。

ルコントはひたすら子どもたちにカメラを向ける。みなりは貧しい。けれど、この子たちの目に宿っている力強さ、好奇心、生命力、直截さはどうだ。そして、若い母親たち。赤ちゃんに乳をやり、幼児の手を引き、子どもといっしょに労働する。貧しいが、ここには未来がある。



パトリス・ルコント。1947年生まれ。映画狂いの父の元、13歳から映画にのめりこんだ。60歳になろうとしている。本国では、あといくつかの作品を残し、引退を表明している。どこかでフランスのジャーナリズムに絶望しているところもある。
たぶん成熟しきったフランスという国は、もう「死の国家」の側に入っている。それは、文明史としての必然であり、避けようがないことだ。その熟成のなかで、ルコントの愛した恋愛あるいは非恋愛の複雑な世界が、ため息とともに落下する。そこにはすべて、「死の影」がある。
しかし、ルコントは、「DOGORA」という音楽とカンボジアの光景に出会った。それは、生の側からの奔出する生命的パワーをもたらしている。

このメコンの子どもたちに、ルコントはなにかを託そうとしているのだろうか?
フィクションでもドキュメンタリーでもないこの作品は、ルコントの一神教からの転向のようにも思えるし、ゴーギャンが生命力を求めてタヒチに終の棲家を移したような衝動かもしれないなと思う。あるいは、統治国であったフランスへの哲学的な思弁的懺悔であるかもしれない。
しかし、と僕は思う。
リュミエール兄弟のシネマトグラフから始まった20世紀の映画の歴史。そこから100年が経過し、職人監督ルコントが、その100年の物語や修飾や言葉の歴史に、もしかしたら背を向けようとしているのかもしれない。
にもかかわらず「歓楽通り」に感じた官能性と同質のようなものを僕は「DOGORA」という不思議な作品に感じたのである。
死と生が、官能性によって、メビウスの輪のように連鎖している。
それは、映画というものの、最後の位置を暗示しているのかもしれない。



 



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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
オカピーさん (kimion20002000)
2007-11-02 16:58:46
こんにちは。
僕は、あるところでCGもリアリズムも、評価するところがあります。でも、ひとつの歴史を経た上で、そうした表現に辿り着いたものと、流行のような新し物好きとは大きな差がありますね。
これは、ベテラン、若手ということではなく、表現に対する意識の持ちようだと思います。
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豆酢さん (kimion20002000)
2007-11-02 16:55:51
こんにちは。
ヌーヴェルバーグ。映画が元気な時代でしたね。
僕だって、後追いです。
でも、当時は、自分の(青臭い)生き方と連動して、映画館に通いつめており、それは、今の自分の一部となっています。
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TB有難うございました。 (オカピー)
2007-11-02 14:38:56
世間の評判は余り良くないですが、「歓楽通り」は頗る耽美的で僕もお気に入りです。

トリュフォー亡き後フランス映画を守ってきたのはエリック・ロメールとルコントだと思っておりますが、ロメールはもはや高齢、ルコントの新作が余り期待できないとなると、フランソワ・オゾンに希望を託すしかないでしょうか。
「ロシアン・ドールズ」のクラピッシュはトリュフォー的になってきたので個人的には期待の星なんですが、フランス映画の未来は明るいとは言えないようです。
CG派とリアリズム派にほぼ二極化してしまった映画界自体に私のようなオールド・ファンは希望を持てないわけですが。
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今頃で申し訳なく… (豆酢)
2007-11-02 09:53:03
随分前にTBいただいてました。
あの頃はブログの引越しでばたついており、お返しをする余裕もありませんで失礼なことをしてしまいました。申し訳ありませんでした。

私自身は、ヌーベル・ヴァーグは完全に後追いの世代です。映画館で作品を観る幸せには恵まれませんでしたが、DVDで見返すごとに改めてその新鮮な魅力に気づかされている次第です。

ルコント監督、引退を決意しているんですね…。残念な限りですが、彼の気持ちも判る気がしますね。
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fizzさん (kimion20002000)
2007-07-21 02:06:58
こんにちは。
この映画に、コメント返してくれて、とても嬉しいです。なんか、アフリカを舞台にした映画だと、同じ貧困でも、もっと乾いたものがあるんですね。カンボジアには、まだ救いがあるし、希望があります。
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思い切って (fizz♪)
2007-07-21 01:26:04
kimion20002000さん、お邪魔します。
拝読し、kimion20002000さんの深い記事に感動しました。
この監督がこの映画に寄せるこんなにも深い思いがあったことを知ることができました。
ありがとうございました。
露ほども知らずに、楽しんでいたんですね…
私もルコント作品が好きでかなり…ほとんどは観てきましたが、『歓楽通り』も好きな作品でした。
kimion20002000さんの記事に比べると恥ずかしいですが、私の拙い過去記事を思い切ってTBさせて頂きました。
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狗山さん (kimion20002000)
2007-06-27 23:00:28
こんにちは。
>厚ぼったい音楽に拒否反応
そうですか。僕は音楽の専門化ではないですけど、もう、画面に見とれていました。
音楽と、人工的な不思議なDOGORA語と、カンボジアの生活のあるいは自然の音が、ミックスされて、なにか泣き出してしまいそうになってしまったんです(笑)
観る前は、「なにこれ?環境映像?」ってなもんだったんですけどね。
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音楽がちょっと・・・ (狗山椀太郎)
2007-06-27 22:42:43
こんばんは、トラックバックありがとうございました。
確かに、映画監督としての奇跡、国の歴史、映画の歴史、などに思いをはせながら鑑賞すると、感慨深く見ることができそうですね。ただ、私はあの厚ぼったい音楽に拒否反応を示してしまいました。
ルコントさんの映画はあまり見ていないのですが、以前にTVで見た『イヴォンヌの香り』は、エロティックながらとても叙情的で美しい物語でした。
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