毎年10月8、9日の三崎秋祭りでは、
江戸初期から続く伝統行事「牛鬼と四ッ太鼓の練り」が行われます。
全長約10mの大きさの胴体に青く塗ったカシラを持つ「牛鬼」と、
四人が太鼓を打つ約10×4mの「四ッ太鼓」が東西に分かれ、
東の住吉様が応援する牛鬼(平家)、
西は義経の四ッ太鼓(源氏)が蹴り上げ合戦をくりひろげます。
残念ながら、今年は雨で危険なため、勝負は中止となりました。
牛鬼は愛媛県の南予地方に広く分布しています。
ちなみに宇和島藩の城下町宇和島の牛鬼の歴史はおよそ200年と言われています。
頼山陽は『日本外史』の中で、豊臣秀吉の文禄1年の朝鮮出兵(1592年=文禄1年)の際、
熊本藩主の加藤清正が韓国の慶尚道・晋州にある晋州城攻防戦で「亀甲車」を用いました。
この話を宇和島藩主の藤堂高虎が宇和島に伝えたのが始まりだ、という説もあります。
「亀甲車」とは、木製の箱を牛革で包んで、
牛の生首を棒に刺して先につけ、中に兵士が入って戦うものと伝えられています。
南予地方では、神輿の先がけと家の悪魔祓いの役をするということで、
神社とも仲のいい関係にあります。
このようなさまざまな秋祭りは、
田舎の宝物です。
岬人
江戸初期から続く伝統行事「牛鬼と四ッ太鼓の練り」が行われます。
全長約10mの大きさの胴体に青く塗ったカシラを持つ「牛鬼」と、
四人が太鼓を打つ約10×4mの「四ッ太鼓」が東西に分かれ、
東の住吉様が応援する牛鬼(平家)、
西は義経の四ッ太鼓(源氏)が蹴り上げ合戦をくりひろげます。
残念ながら、今年は雨で危険なため、勝負は中止となりました。
牛鬼は愛媛県の南予地方に広く分布しています。
ちなみに宇和島藩の城下町宇和島の牛鬼の歴史はおよそ200年と言われています。
頼山陽は『日本外史』の中で、豊臣秀吉の文禄1年の朝鮮出兵(1592年=文禄1年)の際、
熊本藩主の加藤清正が韓国の慶尚道・晋州にある晋州城攻防戦で「亀甲車」を用いました。
この話を宇和島藩主の藤堂高虎が宇和島に伝えたのが始まりだ、という説もあります。
「亀甲車」とは、木製の箱を牛革で包んで、
牛の生首を棒に刺して先につけ、中に兵士が入って戦うものと伝えられています。
南予地方では、神輿の先がけと家の悪魔祓いの役をするということで、
神社とも仲のいい関係にあります。
このようなさまざまな秋祭りは、
田舎の宝物です。
岬人
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